ビストロブームを生んだ!半世紀続く名店のポリシー


【広尾】ビストロ・ド・ラ・シテ

堂々たるビストロ40年の歴史。妥協せず食材にもこだわる。

ビストロの代名詞ともなったこの店の開業は1973年。フランス料理と聞けば、多くの人がホテルなどの高級料理をイメージした時代だ。パリの下町を思わせるこの店の料理は注目を集め、一躍人気となった。 

10年後の1983年、店は創業者から、現オーナーの関根進さんに受け継がれた。標榜するのは「ビストロ料理の正統派」。今日までに、8人のシェフが代々厨房を預かったが、関根さんの揺るぎないポリシーを軸に、「ビストロ・ド・ラ・シテ」の料理は、30年間、味もスタイルもぶれることなく続いてきた。

40年の歴史 サラダ・シテ
手前の「豚肉の田舎風テリーヌ」から時計回りに、「レンズ豆の炒め「」スモークサーモン」「野菜の酢漬け」「白レバーのパテ」「ラタトゥイユ」、以前はバイキング形式で提供していたが現在は一皿盛り。

お客と店の対等な関係から新たな方向性が自然発生

「店はお客に迎合しちゃダメ」と関根さんは言う。しかし、それは、頑なに過去のスタイルや自分だけのこだわりに執着するということではない。関根さんが「店は生き物」と言うように、お客さんとの関係から、自然発生する変化は受け入れる。

たとえば、店の看板メニューでもある「ブッフ・ブルギニヨン」に、以前はばら肉を使っていたが、現在はホホ肉か舌。「ステーキ」もサーロインなどの脂身の多い肉から、赤身肉に。また、バターの使用量が減り、オリーブオイルを取り入れるようになったのも近年の傾向だ。

今年の2月からシェフを務める大竹智之さんも、「むやみに新しいものを取り入れるのではなく、40年の店の歴史をふまえながら、今の時代にどう対応するか。日々料理を提供する中で自然にみつけたい」と語る。

70歳を超えた今も毎日店に立つ関根さんは言う。「最近のお客さんに対しては、もっとまじめに食べて欲しいなと思いますね。食べることは生きる糧。携帯電話をいじりながら食べるなんて、料理がかわいそう。食に興味がないという人も増えていると聞きますし、日本の食の未来はどこへ向かっているのでしょうか」

昨今の流れを憂慮しながらも、関根さんは変わらず、ひたすら真摯に食と向き合い続ける。食材選びにおいても一切妥協しない。自ら築地へ赴き、自分の目で確かめ、納得した魚や野菜を仕入れる。さらに、和洋中、ジャンルを問わず、精力的に食べ歩いては舌を研ぎ澄ませ、新しい料理の提案もする。

こうした関根さんの料理に対する誠実さに惹かれ、今日もお客は西麻布に足を運ぶ。

オーナー 関根 進さん
1943年生まれ。子どもの頃は、美食家でお酒好きの父親に連れられ、料理屋へいくのが日常。食に対する感性はこの頃から培われてきた。大学卒業後、アパレル企業を経て、レストランに勤務。飲食業界に足を踏み入れる。「ビストロ・ド・ラ・シテ」の他、東京・六本木のレストラン、「オー・シザーブル」のオーナーでもある。

シェフ 大竹智之さん
1966年生まれ。23歳で渡仏。ボルドーの「サン・ジェームス」をはじめ、パリ、リヨンで6年間修業を積む。帰国後は「ひらまつ」などのレストラン勤務を経て、独立。銀座と立川でレストランを経営する。その後、ホテルグループの総料理長、再び芝公園でビストロを経営するなどの経験を積み、今年2月「ビストロ・ド・ラ・シテ」に。

瀬戸由美子=取材、文 星野泰孝=撮影

本記事は雑誌料理王国2014年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2014年7月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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