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もしも世界に包丁がなかったら?暗闇坂 宮下 宮下大輔さん


もし料理人になっていなかったら、どんな仕事をしていましたか?
放送作家の小山薫堂さんが料理人の「もうひとつの人生」を聞き出します。

宮下大輔さん Daisuke Miyashita
1961年山梨県生まれ。早稲田大学在学中にダイニングバー「春秋」の創業に参加。95年「春秋」を退き、麻布十番に「暗闇坂 宮下」を開店。2002年以降、丸の内、青山、六本木などにもレストランを開店。さまざまなレストランのプロデュースやリーシングコンサルも行う。

小山 宮下さんは今つの8店に携わっておられるそうですが、最初は元麻布ですよね。

宮下 はい。1995年に「暗闇坂宮下」をオープンしました。

小山 まだ近くに六本木ヒルズもないし、地下鉄の駅もない頃ですよね? 店をやるには中途半端な場所だったのではないですか?

宮下〝陸の孤島〞といわれていましたね。でもあの場所には縁を感じたんですよ。僕は池波正太郎の時代小説をよく読んでいたのですが、浪人が道場に向かって「暗闇坂」を下っていく、というシーンがありました。その下った場所が「宮下町」だったのです。今は「元麻布」ですが、当時は「宮下町」だったのです。

小山 そうなんですか!では店名の「宮下」には、ふたつの意味があるんですね。

宮下 これはもう運命だなって思いましたよ。それに、何もない場所であることがかえっておもしろいとも思いました。実は「宮下」を始める前は、三宿のダイニングバー「春秋」のマネジメントをしていたのですが、あの店が賑わうのに伴って、三宿は発展していきました。ひとつの店から町が変わる、あの喜びや感動は特別なものでしたから。

小山 それで思い切って暗闇坂に店を開いたのですね。

宮下 そうです。しかも、それまで厨房に立ったことがなかった僕が料理を作ることになったのです。一念発起ですね。本当にゼロからのスタートでした。さまざまな本を読んだり、知り合いの料理人に教えてもらったりして。毎日が本当に大変でした。

小山 お客さんの前で魚をさばかなければいけませんよね。大丈夫でしたか?

宮下 最初は失敗しちゃってね、怒って帰ってしまうお客さんもいました。今思うと、ありえない状況でした。でも中には、「これはなんとかしてあげないと」と足繁く通ってくださるお客さんもいましてね。

小山 お客さんも「見守ってあげよう」という気持ちになったのでしょうね。

宮下 自分で言うのも変ですが、そうやって一日一日成長したと思います。

小山 そもそも何がきっかけで、飲食業の世界に入られたのですか?

宮下 大学時代のアルバイトですね。銀座にあるシチュー屋に始まって、代々木八幡や新宿二丁目でバーテンダーのような仕事もしていました。

小山 新宿二丁目というと、もしかしてゲイバー?

宮下 そうです。いや、僕はそういうタイプではないんですけど、今の仕事をしていなかったら、二丁目でママをやっていたかも。二丁目には、アーティストとかクリエイターとか、男性も女性も独創的で個性にあふれた人たちが集まっていました。おもしろい出会いがあって、毎日がとても楽しかった。そこで、人が集う「場」を作ることに関心を持ったんです。僕にとって二丁目は、始まりの場所だといえますね。

小山 料理はもちろん、内装や器などの細部にまでこだわる宮下さんの店作りは、そういうところから始まっているのですね。

宮下 「場」が生まれると、思いがけない出会いが生まれるじゃないですか。それこそ、この仕事の大きな喜びです。

小山 もし〝宮下ママ〞の店が本当にあったとしたら、また新たな文化をつくっていたことでしょうね。

人が出会える「場」を作る。そのきっかけは新宿二丁目のゲイバーでした。宮下大輔

もし〝宮下ママ〞の店があったら、また新しい文化が生まれたでしょう。小山薫堂

暗闇坂 宮下 神楽
東京都新宿区神楽坂3-2-31
03-6228-1984
● 12:00~14:30LO、18:00~22:30LO 
● 日、祝休
http://wa-kinari.jp/


小山薫堂
1964年熊本県生まれ。放送作家・脚本家。国際エミー賞に入賞した「料理の鉄人」「トリセツ」など斬新なテレビ番組を数多く企画。初めての映画脚本を担った『おくりびと』でも多数の賞を受賞。そのほかに、絵本の翻訳、小説の執筆、雑誌へのエッセイの寄稿など活躍は多岐にわたる。

井本千佳・文/構成 依田佳子・写真 柳田エリ・スタイリング


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