昇って5年、下って5年。自分の色が出せるまで10年はかかる。「ビゴ東京」オーナーシェフ藤森二郎さん


 飲食業界の中でも、専門学校の生徒に就職先として人気の高いブーランジェの世界。華やかに見える世界だが、どの世界でも、成功の裏には条件がある。ブーランジェに今、求められていることは何か――。日本のブーランジェ界を牽引してきた藤森二郎さんに聞いた。

「大切なのは〝温故知新〞」と、藤森さんは断言する。時代に合わせる感性は大切だが、まず歴史や文化を理解した上で、と藤森さん。

「どの街に行ってもプラース(広場)から四方八方に道路が伸びていますね。その街の中心に必ずあるのが教会とブーランジュリーです」

これは、ブーランジェも神父と同じく聖職者でなければならない、という示唆なのだと言う。

「だからこそ、パンの歴史やモラルを理解して、お客さまにも伝えなければならないと思います」

「こんな店が近くにあったらいいな」と思う店づくり

歴史やモラルを基盤にしながらも、どこかに自分の想いを込めてお客さまにぶつけていく。それが跳ね返ってきた分で、また勉強する。

「戦い続けて、なんとか自分の色を出すには、10年はかかると思います。そうして初めて〝名店〞になれるのではないでしょうか」

日本に本格的なフランスパンを広めたフィリップ・ビゴ氏から、藤森さんがのれん分けを認められたのは今から25年前。フランスパンを通じて、フランスの豊かな食文化を伝えたいと、強い信念で「ビゴ東京」を設立、店を展開してきた。藤森さんのポリシーは、「こんな店が近くにあったらいいな」という想いだ。足腰がしっかりした強い店とは、自分の基準を持ち、お客さまにとって、「ものさし」を提案できるような店だと言う。

「毎日パンを焼きながら、お客さまを育てられるようなパン屋が出てこなければならない、と思います」

店の2階のカフェには、フランスの歴史や食文化に関する本がズラリと並ぶ。ブーランジェを構成するものは、カルチャーでなくてはならないと思うからだ。

「食べ物は、その国の歴史や文化そのもの。それを伝えられる言葉を持つためには、自分もきちんと勉強しなければならないと実感します。私たちは、文化の伝道師の役割も果たさなければならない。それには時間がかかりますよね」

ちなみに新年の公現祭に食べるガレット・デ・ロワ。こんなフランス菓子が流行ったらいいなと思って30年経ち、ようやく広まってきたのだ。

「本当になんとかなりたいのなら、NOは言わないこと。昔は『オーボンヴュータン』の河田勝彦さんやビゴさんの飲んだ後のコーヒーまでも飲みたいほど、何かを吸収したくて必死でした」と藤森さん。

語尾がはっきりしている若者は信頼できる

「昔、あるフランスのシェフに言われたんです。料理人は作曲家。パティシエは芸術家、ブーランジェは科学者だ、と」。目の前の素材を見、折々の状況を判断して皿を創作する料理人は、音符があってないところから創作する。ブーランジェは正確に温度、湿度、時間にこだわらなければならない。しかしそれを前面には出してはいけない。99パーセント数字を追い、残りの1パーセントに自分の感性を込めるのがパン職人だ。ブーランジェは科学者でありながらも、人間らしい感性が絶対条件だ。「モンサンクレール」の辻口博啓シェフや「Toshi Yoroizuka」の鎧塚俊彦シェフとも親交が深い。数々のブーランジェを世に送ってきたパイオニア。そんな藤森さんが思う、成功する若者の条件は――。

「まず自分の意見を持っていること。ハキハキと物を言い、語尾がしっかりしている若者は、信頼できます」

人が叱られている時に聞き耳を立てている若者も、ほぼ100パーセント伸びる。叱っている人間、叱られている人間の両方の気持ちが分かり、失敗しないよう工夫するから。「我々と育てられ方が違うので、今は、辛抱が足りない若者が多いですよね。だから、できるだけ叱らない方がいい、というのが現実ですが」

若いオーナーシェフの中には、みんなで共存していこうという姿勢が出てきている。それは微笑ましく好ましい。しかし彼らも歳を重ねる。「若いスタッフたちと親子ほど年齢差ができた時に、その間に立てる兄貴分を育てておかないといけない。そういう人間が育っている店は、今後も生き残れると思います」

「エスプリ・ド・ビゴ」玉川田園調布店のオープン当日。フィリップ・ビゴ氏と藤森さん。

憧れの師匠にはどんな時でも「ウィ、ムッシュ」

カナダにホームスティをして洋菓子の魅力にはまり、大学を卒業後、藤森さんはフィリップ・ビゴ氏のパンと出会った。「絶対、ビゴ氏の元で働く」と自身に言い聞かせて、単身「ビゴの店」芦屋本店を訪ね、弟子入りを懇願。門前払いの後、4日目に入店を許された。しかし、与えられた仕事はパンの配達だった。「その時は、配達なんて無駄だと思っていました。けれども今思うと、無駄なことなんてひとつもなかった」

配達先で修行していた若者たちが、今ではトップシェフとして飲食界をリードしている。今でも、彼らとは友だち付き合いをしている。「師匠にはどんな時も『ウィ、ムッシュ』と言えるかどうか、それだけ自分が惚れ込める師匠を一人作れるかどうかが、成功の分かれ道だと思う」。無駄なことなんてないのだから、ノーとは言わず、何でも受け入れようとすること。そして、その憧れの人に距離的にもレベル的にも近づこうとすること。それが、目標となる。

3食絶対に必要なものではないだからこそ「夢」が必要

店を強く長く続けたいと思うなら、深く打ち込む姿勢と、常に店全体を見渡す広い視野を持ち続けることだ。鷺沼に店を構えて25年。首都圏に5店舗を経営するが、毎朝5時には必ず店のキッチンに顔を出す。パンの工程は止めることができないので、最初の状態を掴んでおかなければ、人任せになってしまうからだ。「その流れを自分の目で見ないと気が済まない性分なんです」と笑う。そして毎回、オープン前に店の入り口に立って店全体を見渡し、気になる箇所はないか確認するという。

そういう微妙な価値観を感じてくれるお客さまを一人ずつ増やしていきたい。謙虚に一生懸命やり続ければ、必ず周りに似た価値観を持つ人たちが集まる。

「パンやスイーツは3食絶対に必要な存在ではない。だからこそ、夢がなければ食べないと思う。我々作り手も、夢を持ち続けることが大切です」。藤森さんは最後にこう加えた。

Jiro Fujimori
1956年東京・目黒出身。明治学院卒業後、横浜のパティスリーを経て、フィリップ・ビゴ氏に弟子入り。 1984年銀座ビゴの店「ドゥース・フ
ランス」のシェフ兼支配人に。1989年独立し、(株)ビゴ東京を設立し、「ビゴの店」鷺沼店をオープン後、田園調布、港南台高島屋など計5店舗のオーナーシェフに。2003年に「クラブ・ドゥ・ラ・ガレットデロワ」を設立。2006年にフランス政府より農事功労章シュヴァリエを受章。

料理王国=取材、文 依田佳子=撮影

本記事は雑誌料理王国247号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は247号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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