【語りたい100年史の一皿 #3】「プティ・ポワン」北岡尚信さん


小野正吉さんの言葉に支えられた勉強の日々

プティ・ポワン 北岡尚信さん

北岡尚信さんは4年前、「フランス国家農事功労章」を受勲した。授与式の場所は、古巣の「ホテルオークラ」。この時、彼の脳裏に浮かんでいたのは、ここで修業していた頃の自分の姿と、師匠の〝小野ムッシュー〞こと小野正吉さんだったのかもしれない。

料理人をめざしたのは、ほんの小さなきっかけだった。子供の頃、エリゼ宮の晩餐会のニュースを見て、フランス人シェフの高いコック帽に憧れた。そして調理師学校へ。卒業後は某ホテルを経て、縁あってホテルオークラに入社。料理人として「日々是勉強」を決意させたのは、まさに初出社の日、厨房のドアを開けた瞬間だった。

「ピシッと研ぎ澄まされた空気が流れていて、背筋が伸びる思いがしました」

当時の総指揮者は小野さん。そこで550人のスタッフがきびきびと働いている。遅れをとってはいけないと、北岡さんは必死で勉強した。最初の配属はアントルメティエ。スープと付け合わせの野菜をつくる部署だ。小野さんの書いたメニューに従って料理をつくるのが常だったのだが、ある日のこと、そのなかにスペルの間違いを見つけた。「Pomme Savonnette(ポム・サヴォネット)」のnがひとつ足りなかったのだ。辞書を開いたが当然出ていない。悩んだ末、小野さんに質問した。当時の厨房は絶対的な縦社会。間違いだとしても、それを聞くなどもってのほか。だが、小野さんは叱るどころか誉めてくれた。「君は偉いな。よく勉強している。このまま、頑張れ」。北岡さんは、小野さんの人間的大きさに深く感動したという。

その後渡仏し、パリやオランダで研鑽を積んで帰国。「プティ・ポワン」を人気店に成長させ、東京サミットの大蔵省晩餐会を担当し……と活躍は周知の通り。だが、その華やかさの裏には、常に自分の料理を模索し続けた日々があった。「日本のフランス料理はコピーから始まった。それをどう自分のなかで咀嚼して翻訳するかが、僕の料理人としての存在意義だと思います」。

日本人の味覚を考えて料理を構築する北岡流フレンチの原点

炭火焼きしたフォワグラのテリーヌ

焼き鳥のレバーをイメージしたという北岡さんのスペシャリテ。フォワグラを1.5cmの厚さに切り分け、炭火で炙って燻したニュアンスをまとわせる。その後、ソーテルヌを10分の1に煮詰めたソースにくぐらせ、塩や香辛料で調味。酸味と甘味のバランスがよいテリーヌは、甘口ワインによく合う。フォワグラはガチョウではなく鴨を使用。鴨の方が炭火で焼くと余分な脂が落ちるという。北岡流フレンチを体現するひと皿だ。

chef’s history

’47 神奈川県逗子市に生まれる。
’68 銀座東急ホテルにて料理人人生スタート。
’68 「ホテルオークラ」入社後、アムステルダム「オークラ」、パリ「プラザ・アテネ」で研鑽を積む。
’71 ホテルオークラ「ベル・エポック」開業に携わる。
’77 広尾に「プティ・ポワン」開業、オーナーシェフとなる。
’93 井上旭氏、高橋徳男氏とともに東京サミットの晩餐会を担当。
’05 フランス政府より「フランス国家農事功労章シュヴァリエ」を受勲。農業の活性化や食育に積極的に取り組んでいる。

text by Kimiko Anzai/photographs by Kazuo Kikuchi

本記事は雑誌料理王国155号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は155号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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