グランシェフから若手料理人へのメッセージ#2 アクアパッツァ


一生懸命になれば、力を貸してくれる人が必ず表れます。

アクアパッツァ 日髙良実さん

Yoshimi Hidaka
1957年兵庫県生まれ。86年渡伊し、イタリア各地で修業。帰国後、「リストランテ山﨑」を経て、90年「アクアパッツァ」料理長に。01年、広尾に移転。現在、「横須賀アクアマーレ」など東京・神奈川・広島・鹿児島に数店舗を展開。

僕が西麻布「アクアパッツァ」の料理長となったのが、1990年。ティラミスが流行り、「イタメシ」という言葉が生まれ、イタリア料理に注目が集まり始めた時期です。時代をつかんだと言ってくださる方もありますが、自分自身では、小川に浮かんだ木の葉のように、ときに沈みそうになったり、同じ場所でくるくると回ったり、迷いの多い歩みを続けてきたと感じています。

もともと音楽の道をめざしていましたが、大学受験に失敗し、料理の道へ。フランス料理を学び、当時、上柿元勝さんが料理長を務めていた神戸ポートピアホテルの「アラン・シャぺル」に入りました。でも、どんなにがんばっても上柿元さんに追いつくことすらできないと感じ、早々にイタリア料理に方向転換しました。

本場で学びたいと渡伊しましたが、「エノテカ・ピンキオーリ」、「グアルティエーロ・マルケージ」など修業先の店はフランス料理を志向している。これではなんのためにイタリアまで来たのかわからない、イタリア料理を媒介として、自分が表現できるものは何かと悩みました。

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