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【芸術家たちの食卓】ゴーギャンが愛した「デザートオムレツ」


西洋文明の虚偽と退廃を嫌い、原始的な生活の自由と真実に憧れ、タヒチに移り住んだポール・ゴーギャンだったが、フランスの味は懐かしかったに違いない。材料も道具もないなか、友人を招いての食事にオムレツでデザートを作っていた。

ポール・ゴーギャンのデザートオムレツ

食事を待つ子供たち。鮮やかなオレンジ、黄色で彩られる果実の力強さが、白いクロスの上で輝くような絵。この絵が描かれた1891年、画家ポール・ゴーギャンは、祖国フランスを離れ、タヒチに独りで暮らしていた。文明化された近代社会を嫌い、原始的な素朴さや美を求めて、南の島にやってきたのだった。

ゴーギャンの経歴はユニークだ。女性権拡張論者の祖母、急進的なジャーナリストだった父を持ち、ペルーに移り暮らしていたこともある。幼年期を異国で過ごしたことが、その後の人生、とくに芸術観に深い影響を与えたことは、残された作品が充分に伝えてくれる。船乗りを経て、23歳でパリに落ち着いて株の仲買人となった。ゴーギャンはこの仕事で成功を収め、結婚し、5人の子供をもうけた。アマチュア画家としての趣味が高じて、35歳で絵を生業にしていくことを決意してから、彼の人生は一転した。作品はまったく売れず、生涯、生活に苦しんだ。

新たなユートピアを求めて42歳でタヒチに渡るが、当時、すでに植民地政策が進み、かつての原始的な雰囲気は失われつつあった。この絵に描かれた子供たちも、タヒチの子らしからぬ「洋服」を着ている。ゴーギャンは失望と希望をこの地でも繰り返しながら絵を描いた。

食事(バナナ) 
1891年 油彩、カンヴァス 73 × 92cm
オルセー美術館蔵 パリ(フランス)

そんななかで隣人たちを招いてもてなす会を開いた。いくつか自作メニューが残されている。「サラミ、フォワグラのパテ、ハム、サラダ、ジャム入りデザートオムレツ」。タヒチでは自給自足、物々交換が基本であったため、よそ者はヨーロッパ産の缶詰や乾物に日々の食事を頼らざるを得なかった。そのなかでなんとか故郷の食卓を再現できないかと腐心したのではないだろうか。でき合いのメニューの最後に添えられたオムレツは唯一、オーブンのない南国で調理できる一品だったと思われる。画家は家族と囲んだテーブルを回想しながらメニューを綴った。卵にふんわりくるまれたジャムは口の中でひろがり、子供にも大人にも喜ばれた素朴なデザート、そんなことを思いながら。

描かれた無造作な果物、洋服を着た子供たちはテーブルからなぜか目をそらしている。この地のどこか素っ気ないテーブルに画家は馴染めなかったのかもしれない。そんなしらじらしさが画面から感じられる。マルキーズ諸島で帰らぬ人となったゴーギャンは故郷を忘れたかのように振る舞っていた。しかし、孤高の画家が食卓に求めたのは、やはり懐かしいふるさとの味だったにちがいない。

【レシピ】ポール・ゴーギャンのデザートオムレツ

材料 (約2人分)

卵…3個
牛乳…大さじ2
砂糖…15g
バター…20g
ジャム…50g(好みで。写真はラズベリージャム)
粉砂糖…少量

作り方

  1. 卵をボウルに割り入れ、さっと混ぜ合わせる。
  2. 1に牛乳、砂糖を加え混ぜる。
  3. フライパンにバターを入れ、中火で熱して馴染ませる。
  4. 2を流し入れ、フライパンを前後に動かし、卵を大きくかき混ぜ、卵が半熟状態になったら、弱火にして、卵の真ん中にジャムを置く。ジャムにかぶせるように、卵を手前から返していく。
  5. フライパンの奥に卵を寄せ、形を整え、皿に滑りこませるように盛る。
  6. 粉砂糖をかける。

ポール・ゴーギャン
Paul Gauguin(1848-1903)
パリ生まれ。株式仲買人を経て、画家を志す。アルルでのゴッホとの共同生活、タヒチでの制作がよく知られる。西洋文明の虚偽と退廃を嫌い、原始的な生活の自由と真実に憧れ、南太平洋の島々を移り住み、55歳でマルキーズ諸島ドミニック島で亡くなる。ポスト印象派を代表する画家。


文・料理 林 綾野
キュレーター。美術館における展覧会の企画、美術書の執筆、編集に携わる。企画した展覧会に「パウル・クレー線と色彩展」など。『ゴッホ旅とレシピ』『モネ庭とレシピ』、近著に『フェルメールの食卓』(すべて講談社刊)。

北村美香・構成 竹内章雄・写真(料理)
construction & styling : Mika Kitamura /photo : Akio Takeuchi


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