本場ベルギーから世界に発信する奇才ショコラティエ ピエール・マルコリーニさん


独創的。画一的でない大胆なアロマをまとったクーベルチュールが理想です

数々の大会における受賞歴を持ち、世界的ショコラティエとして名を馳せるピエール・マルコリーニさん。この人が作り出すチョコレートやクーベルチュール(カカオ豆から作られるチョコレートの原料)は、品質の高さと個性的な味わいから、〝ブリュッセルの宝〞とまで称えられる。理由は並々ならぬクーベルチュールへのこだわりにある。ほとんどのショコラティエが、メーカーからクーベルチュールを仕入れているのに対し、マルコリーニさんは、カカオ豆の産地まで出向いて仕入れ、焙煎に始まるクーベルチュール作りのすべての工程をブリュッセルにあるアトリエで自ら行っているのだ。マルコリーニさんが語る言葉は説得力に富み、そのメッセージは、ジャンルを超えて、示唆に富む。

カカオ豆の仕入れルートから開拓する徹底したこだわり

──マルコリーニさんが手掛けられているチョコレートやスイーツ、クーベルチュールなどは、現在、世界6カ国で販売されていると聞きます。人気の理由は、やはり徹底した素材へのこだわりだと思われますか?

 そうだと思います。カカオ選びから納得のいくものにというのは、私がもっとも大切にしていることのひとつですから。カカオは、赤道から南北へ、緯度度以内の高温多湿な地域で栽培されていますが、産地、品質、土壌や気候によって、その持ち味はまったく異なります。個性的で、「最高」と思えるチョコレートを生み出すためには、カカオの特性を見抜き、クーベルチュール作りから行うことが不可欠なのです。

──そこまでしているショコラティエは少ないのでは……。

 ええ、たとえば、どの国のショコラティエが作るチョコレートも、「同じような味わい」に感じたことはありませんか? しかし、本当ならフランス人のショコラティエが作ったものと、日本人のショコラティエによるチョコレートでは、風味が違って当然ですよね。同じような味わいになってしまう理由は、ほとんどの作り手が、ヴァローナやバリ・カレボーといった大手メーカーからクーベルチュールを仕入れ、それに味付けをして販売しているからです。

──カカオの産地を回って、ひとつひとつ吟味する手間は大変なものですから、そこはチョコレートメーカーに頼るほうが、効率的で経済的ということなのでしょうね。

 たしかに、私は現在、ブラジル、ナイジェリア、ガーナ、エクアドルなど、14カ国のカカオを使っていますが、よい生産者に出会い、ここに落ち着くまでに15年かかっています。でも、20世紀になる前までは、こういうことをショコラティエは普通にやっていたんですよ。私のカカオへの追求は、まだこれからも続く予定で、今はハワイ産のカカオを試作しているところです。

──カカオとの印象深い出会いはありましたか?

 カカオに情熱を注ぐ生産者との出会いは私にとって喜びですから、それぞれに思い出はあります。中でも印象深かったのが、エクアドルだけで栽培されている希少価値の高いナショナル種のカカオに出会った時のこと。非常に古い木になるカカオは苦味が強くて酸味は控え目。カフェや花のような香りが印象的でした。

──1年のうち何日くらい出張されているのですか?

 100日くらいです。カカオの生産地のほか、アーモンドやヘーゼルナッツの栽培に適したスペインやイタリアにも出掛けますし、イベントや新商品発表のために、ロンドン、フランス、モナコ、日本など、海外の店舗も回ります。人々との出会いも楽しいので、私自身、100日の〝不在〞を長過ぎると感じることはないのですが、妻は、もう少し家にいてほしいようですね(笑)。

──ベルギーにいらっしゃる時は、どんな毎日を送っているのですか?

月曜日から土曜日の朝6時から夕方4時頃までは、だいたいアトリエで仕事をしています。クーベルチュールが完成するには、焙煎から10以上の工程を経なければならないので、スタッフとともにその仕事をしたり、新作について考えを練ったり。その合間にベルギー国内の店舗を回ったりしますから、時間はいくらあっても足りないくらいです。

無類のデザート好き好きな道をひたすら突き進んだ

──ショコラティエとしてだけでなく、パティシエ、グラシエ(冷菓職人)、コンフィズリエ(砂糖菓子職人)としても活躍されていますが、この世界をめざそうと思われたきっかけについて教えてください。

子どもの頃から、デザートが大好きだったのです。とにかく甘いものに目がなかった。

──家業を継がれたわけではないんですね。

ええ。家業を継いでパティシエになる人は少なくありませんが、私の場合は違います。スイーツ好きは、多くの子どもに見られる特徴ですが、私の場合は並外れていたというか……。どんなに魅力的な玩具を差し出されても、スイーツ以上にはときめきません。父親がぬいぐるみを手に、「デザートと交換して」と言っても、絶対に応じませんでした(笑)。やがて職業を決める時期になると、自分の好きなことを仕事にしたかったので、両親に「ショコラティエやパティシエをめざす」と宣言したのですが、その時になってもまだ両親は、私がこうした職業に就くとは思っていなかったようです。

──別の仕事に就いてほしかった?

おそらく弁護士とか、ある意味、堅実な仕事に就いてほしかったんじゃないかな。でも、私自身は、本当に好きなことが貫けて、しかも海外にまで自分の味を広めることができ、とても幸運だと思っています。また、力を貸してくれた方たちにも感謝をしています。

──日本に進出されたのは2001年ですが、たとえば、国によって商品の味や、使う素材を変えたりすることはあるのですか?

ほとんどの商品をベルギーで作っているので、そういうことはありません。たとえば、バターひとつとっても、国や地域で味わいや品質が異なるので、むしろ各国共通の味わいにするためにそうしているのです。
国によって食文化が異なるため、好む味わいも違ってくる。だから商品の味わいを変えるという考え方もあると思いますが、これに関しては、国によって主力商品を変えるという形で対応しています。日本では、繊細な味わいのチョコレートが好まれるようです。チョコレートに対して幅広い知識をもっているのも、日本の消費者の特長だと思います。

30代が独立適齢期個性的な創り手になってほしい

──ショコラティエの適正は?

まず好奇心旺盛で、クリエイティブであること。フランス語に「トラバイエ(働く)」と「ファブリケ(創造する)」という言葉があり、少し乱暴な言い方かもしれませんが、パティシエに必要なのは「トラバイエ」で、ショコラティエに求められるのが「ファブリケ」と言えるのではないでしょうか。チョコレートボンボンを作ることより、クーベルチュールを生み出すほうが、はるかに想像力と好奇心を要するからです。それと前述しましたが、旅が好きであること。人との出会いや土地との出会いに感動できる感性も大切です。

──最後に、独立を考えている人に、アドバイスをいただけますか。

20代で独立を決断する人もいるでしょうが、30歳ぐらいが適齢ではないかと思います。それまでに経験を積み、また個性を磨くことも忘れないでください。たとえば料理の世界で言うと、ジョエル・ロブション氏やピエール・ガニェール氏が各国で高く評価されるのは、自分のカラーを持っているから。それはショコラティエにも必要なことです。経験と個性、この両方を磨くために、ともに努力を続けていきましょう。

定番のチョコレートのほか、イベントに合わせた商品も。新作のチョコレートが入ったバレンタイン用のセレクション。
生チョコレートケーキも人気商品のひとつ。

Pierre Marcolini
1964年、ベルギー生まれ。数々の名店で修業を積んだ後、 1994年にショコラティエとして独立。95年、リヨンで開催される大会「クープ・デュ・モンド」で優勝。その後も多くの受賞を重ねる。現在、自身の名を冠したチョコレート店やカフェは、世界6カ国に26店舗。

上村久留美=取材、文 依田佳子=撮影

本記事は雑誌料理王国247号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 247号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


SNSでフォローする