【インタビュー】「厨房のピカソ」と呼ばれる天才肌のスターシェフ ピエール・ガニェールさん


料理はファッションであってはならない。私は常に自分でありたい。
一番大切構成なのは意欲を持ち続けることだ。

 フランス、リヨンの南西80キロの山間に、人口400人ばかりの小さな村アピナックはある。1950年、ピエール・ガニェールさんは、その小村で料理人の両親のもと、4人兄弟の長男として生まれた。31歳でリヨン南西60キロのサンテティエンヌに、レストラン「ピエール・ガニェール」をオープンして独立。5年後にはミシュラン二ツ星、その後三ツ星を獲得。「厨房のピカソ」と呼ばれ、天才の誉れを欲しいままにする。しかし46歳の年、負債によりミシュランに星を返上して閉店。その後、パリ8区に「ピエール・ガニェール」を再開、2年後には三ツ星に返り咲いた。現在64歳。その料理人人生は、文字通り波乱に満ちている。日本では2010年3月にANAインターコンチネンタルホテル東京内に開店して5年。その心境と、料理人としての哲学を聞いた。

大切なのは人と人の関係 レストランは人が作り上げる

──ピエール・ガニェールは、挑戦し続ける料理人というイメージです。

 ええ、いつもトライしていますよ。

──東京での現状はどうですか?

 ご存知の通り、表参道の店が2008年に大変な危機を迎えた。2年後にこちらでオープンしてからも、東北の大震災で、私のチームも壊れてしまった。でもこの2年ほどは、ホテルの的確なバックアップもあり、とても円滑に動いています。

──何が円滑になったんですか?

 特にチームが、素晴らしく仕上がりました。キーパーソンはプロ意識に徹しており、温かく、友情を持って仕事ができる。それこそが非常に価値のあることだと思っています。

──シェフの赤坂洋介さんは、23歳からパリの「ピエール・ガニェール」で働き始めてすでに12年ですね。

 シェフパティシエのタカ(森谷孝弘さん)も、2006年からパリで一緒でした。サービスのマキシムも、とても優秀。彼らが非常にいいチームを作り上げてくれているんです。

──チームは健在だったんですね。

 再び素晴らしいチームが構築できた。私が一番重視しているのは、人と人との関係。レストランは人が作り上げるものなんですから。

「ANAインターコンチネンタルホテル東京内の店に来るたびに、自分のチームのプロフェッショナリズムを実感して嬉しくなる。日本のスタッフは非常にエレガントで、洗練されていて、ディテールも細かく見ることのできる人たちだ」と語るガニェールさんは、スタッフを信頼しており、厨房での会話も弾む。

日本で最初に天ぷらを、お寿司を食べたとき、「文化が語ってくれている」と私は感じたんです。

──料理人である前にひとりの人間であれ、日本人であることに誇りを持てとおっしゃっているそうですね。

 世界中に私の名前を冠した店があり、各国の環境は違うし、歴史も違う。バイタリティも違う。そんな中で、日本には特殊性があると思います。日本の秘密というものがある。

──日本の秘密とは?

 長く培われてきた伝統があり、素晴らしい文化がある。それが日本の特殊性だと思います。そこから、日本人同士の関係性が生まれています。

──ガニェールさんの心にもっとも響いている「日本」とは何ですか?

 それぞれの人がプロフェッショナリズムを持って仕事をしている。厳しい目を持って自分の仕事をし、他の人を尊びます。例えば、盆栽をはじめ多様な植物の愉しみ方を知っていて、日本文化に培われた料理もある。そういうものすべてに敬意が払える。食べ物にも料理にも、同じことが言えるのではないかと思います。

──日本人としては、今の日本は「便利」という誘惑に負けて、一番大事にしなければならないものを壊していっているような気がしていますが。

 世界中どこでもそれは起きていますね。でも日本では、その変化がとても静かに起きている。西欧人から見ると、国としての塊が、ユニットが非常にいい。ヨーロッパを旅行して、ビストロに行ったり、街を歩かれると、そこには汚い道だったり、何かしらの暴力臭があるでしょう?

──いろいろ違ったものが、ヨーロッパには混在してあると思います。

 それがすべて悪いわけではなく、マルチカルチャーがヨーロッパの豊かさとも考えられます。私はフランス人だからフランスが好きだけれど、それでもヨーロッパの方が、日本より大問題を抱えていると思います。

──でも、日本人と仕事をなさっていると、問題もあるでしょう。

 あえて言えば、何かを決定をする際にいろいろな人が大勢いて、いったい誰が最終的に決めるの?というところ。ヨーロッパの場合は誰かパトロン、主人がいて、その人の鶴の一声で決めてしまえる。もちろん私はバイオレンスは嫌いです。必ず相手を尊敬しなくてはならないと思っています。何かをするにも、デリケートに言わないといけない。暴力でやってはいけない。盆栽と同じように、静かにそっと扱わなくては。日本ってそんな感じがします。

料理には火、繊細さ、正直さ、そして厳しさが重要

──ロワール河畔の小さな村で生まれた少年が、世界的な前衛と呼ばれるシェフになった。少年はどこで変わったのか。変わらなかったのか?

 全然変わっていません。

──でも小さい頃から前衛だったわけではないでしょう?

 子どもは子どもですね。でも、成長するにつれ自分の人格を自分で作る。そして、選んだ職業のおかげで、自分を表現できるようになる。自分に投資し、多くのことを知って、自分の中の小さな宝物、芸術を表現して世に出せるようになるんです。

──料理をやめてしまおう、などと思ったことはないんですか?

 ないです。責任があったから。逃げるわけにはいかない。私の周りにたくさんの人がいるわけですから。仕事や生活の仕方、社会とのつながり方、関係の持ち方、さまざまなものがいい意味で変化した。でも常に、私には仕事をする喜びがあった。料理の歴史を作っていく喜びがあります。多くの人に出会い、自分以外の人に喜んでいただける喜びがある。

──世界の料理界には新しいモノサシも登場して、評価される店もどんどん変化していますよね。

 いつも新しいものを探して取り上げるメディアの力、というものが働いていますが、それは同時に危険でもあると思います。料理がファッションになってしまうということが。なぜかというと、それが若い料理人に大きな影響を与えるから。

──料理にもっとも大切なものは?

 火、繊細さ、正直さ、厳しさがとても重要だと思います。ファッション、流行として起きている現象は知っていますけれど、私は常に自分でありたい。よそに何かがあるから見に行って、これはちょっと取り入れて変えた方がいいかと考える、そういうタイプではないんです。

──料理人には何が一番大事?

 一番大切なのは意欲を持つこと。歳をとってくると、それがなかなか簡単にはいかなくなる。しかも常に旅をしていると、時差もある。それでも意欲を持って仕事をしているか、それが重要なのだと思います。

──意欲はどこから湧いてくる?

 一緒に仕事をしてくれている人たちに対する尊敬の念だったり、自分の発言に対して責任を持つこと。容易ではないけれど、勇気を持つこと。勇気を持って正直に厳しい目で仕事をするところから、意欲は出てくる。僕は真面目なんです(笑)

──若い人たちにメッセージを。

 勉強すること。聞くこと。古い世代を、頭のいいやり方でリスペクトすること。分からないことは常に質問して、自分のやっていることを信じて、情熱を持って仕事をすることだと思います。ニコニコしながらね。

──含蓄のあるお話を率直に、ありがとうございました。

ガニェールさんの料理は、細部へのこだわりと、想像を超えた味と素材の組み合わせによって生み出される。常に進化し、新しいものを提供することをコンセプトとしているため、定番料理やスペシャリテは存在せず、メニューは季節ごと日ごとに変わる。

民輪めぐみ=インタビュー・構成 星野泰孝=撮影

本記事は雑誌料理王国第258号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 第258号 発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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