名匠のスペシャリテ「シェ・トモ」市川知志さん

時代を超えて愛され続ける名匠のスペシャリテがある。
連載第41回目は、「銀座シェ・トモ」のオーナーシェフ市川知志さんと、「九州産磯魚を8時間かけて煮込みすり潰したサフラン風味の濃厚な南仏風スープとズワイガニのフラン添え」。

それは2007年のことでした。老舗の化粧品会社ポーラの会長の鈴木郷史さんから、2年後には、銀座のビルが完成するので、その最上階に「シェ・トモ」を出店しないか、というお誘いを受けたのです。料理人の道を目指して25年。オーナーシェフとして最初にオープンした「白金シェ・トモ」を贔屓にしてくださっている鈴木会長自らのお誘いでした。

ポーラが、企業文化の発信基地として新築するビルの、一番目立つ最上階への出店を勧めてくださった。私はこの信頼に応えられるだろうか。いや、応えなければならない。こうして、ここ銀座一丁目、中央通りに面したポーラ銀座ビルの11、12階の2フロアで74席の「銀座シェ・トモ」をオープンしました。

銀座の名に恥じない優雅な空間で、席数24のシンプルな空間だった白金の店と同じような価格帯で勝負する。これが私のポリシーです。私の信念は、上質な本物のフランス料理を、できるだけ多くの皆さんに召し上がっていただくこと。敷居の高いフレンチレストランにはしたくなかったんです。とはいえ、聞こえてくるのは、家賃の高い銀座でその値段でできるはずはない、無謀極まりない、という声ばかり。でも、あきらめない。それが私の生き方ですから。若い人にも、自らの人生を「しょうがない」、「無理だ」とあきらめないで、と言いたいです。

一人でも多くの方に本物のフランス料理を


私は常に自らの想いに忠実に生き、努力してきたと思っています。本場の技術を、空気を、すべてを知りたいという一念で25歳の夏、パリのシャルル・ド・ゴール空港へ降り立ち、バスク、ブレス、そしてロアンヌの「トロワグロ」と、血の滲むような努力を重ねた6年間。あのフランスでの修業時代、なけなしの小遣いをはたいて食べた庶民の料理。心底旨いと感動した料理。その本物の料理が「市川の皿」の原点です。

今回のスペシャリテは、まさにそんなひと皿の〝新作スペシャリテ〞といいましょうか。この「九州産磯魚を8時間かけて煮込みすり潰したサフラン風味の濃厚な南仏風スープとズワイガニのフラン添え」は、〝市川の代名詞〞ともいえる長年作り続けているスペシャリテ「生ウニの貴婦人風」と、「山形県産 無農薬野菜達28〜30種の盛り合わせ」に続く久しぶりの新作で、この秋から2カ月続くコース料理の新しいメニューとしてお出ししています。

九州・福岡の漁港から届く小鯛、ホウボウ、イトヨリ、カサゴなどの磯魚10キロを8時間煮込み、何度も丁寧にすり潰す。こうして作る「スープ・ド・ポワソン」は、私の魂に染み入った南仏のビストロ料理の定番で、スペシャリテのひとつです。そこに新たに「ズワイガニのフラン」を添えることで、「銀座シェ・トモ」の一品に仕上げました。現在、白金の店は「アトリエ・ド・アイ」と名前を変えて、太田圭二がシェフを務めています。2005年4月にオープンした「ラ・ピッチョリー・ド・ルル」はバスクの郷土料理が中心で、ピッチョリーとはバスク特有の言葉で「バル」を意味します。そして私は、朝から晩まで「銀座シェ・トモ」の厨房に立ち続け、つくづく「フレンチの料理人という天命を全うしたい」と思う毎日です。

九州産磯魚を8時間かけて煮込みすり潰したサフラン風味の濃厚な南仏風スープとズワイガニのフラン添え
濃厚でありながら、優しく深い味わいのスープ・ド・ポワソンは、まさに記憶に烙印される絶品。そこにズワイガニのフランが溶け合い、忘れられないひと皿となる。

市川知志 TOMOJI ICHIKAWA
1960年東京生まれ。西麻布「勝沼亭」でサービス、調理を経験。25歳で単身フランスへ。バスク地方のミシュラン一ツ星レストラン「レ・フレール・デ・イバルボー」、ブレス地方の三ツ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」、ロアンヌの三ツ星レストラン「トロワグロ」などで修業、91年帰国。銀座「レザンドール」、赤坂「ル・マエストロ ポール・ボキューズ・トーキョー」のシェフを経て、2002年「白金シェ・トモ」のオーナーシェフとして独立。05年広尾に「ラ・ピッチョリー・ド・ルル」、09年に「銀座シェ・トモ」をオープン。著書『フレンチの侍』(朝日新聞出版)。

text 長瀬広子   photo 依田佳子

本記事は雑誌料理王国2015年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2015年11月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。