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【芸術家たちの食卓】歌川国芳の江戸の白和え

江戸の白和え

 歌川国芳は江戸・日本橋に生まれ、染物屋を営む父親の下に育った。幼少の頃から絵を描き、早くから才能を発揮。15歳で歌川豊国の門下に入り、本格的に絵師を志した。

 当時、すでに活躍していた葛飾北斎からの強い影響を受けながら、画中で何気なく幕府の老中を非難するなど、「社会風刺」という視線を持っていた国芳。その辛辣な姿勢が江戸の庶民たちに支持され、人気を得ていた。また、出回りはじめた西洋画に興味を持ち、それに倣うこともあった。江戸っ子ならではの気質を大切にしつつ、新しいものを受け入れることに積極的であった人物像がうかがわれる。

歌川国芳「源氏雲浮世画合若菜下 桜丸女房八重」
歌川国芳「源氏雲浮世画合若菜下 桜丸女房八重」

 この絵に描かれているのは、歌舞伎、人形浄瑠璃の人気演目『菅原伝授手習鑑』の一場面で、菅原道真が失脚する話がもととなったもの。すり鉢を前に、大きなすりこ木をまるでバットのように握る女性。八重という名のこの女性は主要人物のひとり、桜丸の新妻である。舅、白太夫の70歳の賀の祝に、八重をはじめ嫁たちが料理をし、雑煮やおひたし、味噌汁を作るという設定である。当時、味噌汁は、すり鉢で味噌を摺り、ざるで漉して作るのが主流だった。すり鉢が普及するまでは、江戸庶民の食卓に、味噌汁はおろか、胡麻和えや白和えも登場しなかったようだ。

 国芳が生まれる15年ほど前、天明2年(1782)に豆腐の料理法を紹介する『豆腐百珍』が出版され、大流行する。しかし、ここに「白和え」の作り方は掲載されていない。ひょっとするとまだすり鉢が普及していなかったのかもしれない。その後出版された『豆腐百珍余録』に、ようやく「白和え」が登場。豆腐4の割合に対し白味噌6という、今では考えられないほどねっとりと濃厚なレシピである。水をきったなめらかな豆腐に、練り胡麻も入れず、ひたすら白味噌を混ぜ込んでいく。すり鉢の中で均一に混ざり合う豆腐と味噌。シンプルでありがならまったりした味わいは、野菜や魚介に、相手を選ばない。おかずというより、酒の肴だ。

 既存の概念や方法論にとどまらなかった国芳。大らかに描かれた女性、すりこ木とすり鉢は無邪気で自由、それでいて新しい食卓を予感させる。質素でありながらも豊かな江戸の食卓をそこに見るのは、私だけであろうか。

 国芳は登場人物の運動能力や喜怒哀楽、心情などを見事に描き出した数少ない絵師のひとりである。それと同時に、歴史画や猫の絵など自分が好きなものに気持ちを傾け、多くの名作を残した主観性の強い絵師でもあった。この天ぷらの団扇絵にも、当時の江戸っ子の「食」に対する気持ちの高まりが描かれているかもしれない。たっぷりと胡麻油を吸ったぶ厚いサクサクとした衣。江戸湾から揚がった海老の香り。皿いっぱいに盛られた天ぷらを串一本で思い切りいただくというこの場面、国芳自信が好んだ食卓、はたまた夢見ていた理想の江戸の食卓だったのかもしれない。

Kuniyoshi Utagawa
1797−1861(寛政9年-文久元年)
武者絵や風景画、戯画を得意とする江戸時代末期を代表する浮世絵師。西洋の透視図法なども取り入れ斬新な画面を展開。風刺画家としても知られ、庶民に広く愛された。

歌川国芳の江戸の白和え

江戸で大流行した料理本『豆腐百珍』にのる料理は、いま見ても新鮮で食欲をそそられるものが多い。濃厚な白和えも然り。歌川国芳も白和えをつまみに、お酒を嗜んだのだろうか。

江戸の白和え

材料(2人分)

せり 適量

車エビ 6尾

絹ごし豆腐 40g

白味噌 60g

作り方

  1. セリはさっとゆでて冷水にとり、ざるにあげる。 3㎝ほどの長さに切る。
  2. エビは頭をとり、殻をむき、背わたと尾をとる。背に切れ目を入れ、湯でさっとゆで、冷ましておく。
  3. 豆腐はよく水切りをし、すり鉢に入れ、よくすり混ぜる。
  4. 3に白味噌を入れ、よくすり混ぜてから、1と2を加えて、和える。

文・料理 林 綾野
キュレーター。美術館における展覧会の企画、美術書の執筆、編集に携わる。企画した展覧会に「パウル・クレー線と色彩展」など。『ゴッホ旅とレシピ』『モネ庭とレシピ』、近著に『フェルメールの食卓』(すべて講談社刊)。

北村美香・構成 竹内章雄・写真(料理)
construction & styling : Mika Kitamura /photo : Akio Takeuchi


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