元公務員がサンセバスチャンの人気店オーナーシェフになるまで


いろいろな出会いと偶然の連続が、僕をバスクに導いてくれた

「うちの卒業生で『バスクハポネス』のレストランを開いている日本人がいるわよ。すごくおいしいの!」
バスクのレジェンドシェフのひとり、ルイス・イリサールさんの娘のビルヒニアさんが教えてくれた「チュビージョ」。オーナーシェフ苅部仁さんは30歳の時、公務員を辞めてマドリッドにやってきた。言葉ができないと深いところまで理解できない、と現地の語学学校に通う。そこでサン・セバスティアン出身の講師に出会い、「美食の都」の存在を知る。その後サン・セバスティアンへ。ちょうどルイス・イリサール料理学校の入学試験をやっていた。面接に行くと、引退したはずのイリサールさんが登場。少し話をした後、服の採寸を始めた。「入学するとも言ってないのに、月から来るだろう? って(笑)」。在学中に苅部さんが働きたい店があると「これを使え」と自分の名刺をくれた。黄門の印籠と同じだった。「可愛がってもらいました」。


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