「和」の食材で「洋」で仕立て。ロブションを唸らせた一品


山口県産萩直送釣り甘鯛うろこ付きで香ばしく焼き 百合根と枯木ゆずのナージュを添えて

ナベノ-イズム 渡辺雄一郎さん

昨年末、渡辺雄一郎さんは、「世紀の料理人」と称えられるジョエル・ロブション氏から「卒業」した。5月には、「ナベノ-イズム」のエグゼクティブ・シェフとしてスタートを切る。ロブション氏のもとで、21年もの長きに渡って腕を磨いた渡辺さん。エグゼクティブ・シェフまで務めた「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」のメニューの中には、渡辺さんが考案したシグニチャーディッシュも少なくない。その中で、もっとも思い出深いのが、「山口県産萩直送釣り甘鯛うろこ付きで香ばしく焼き 百合根と枯木ゆずのナージュを添えて」だと言う。


この料理は、国によってアレンジの違いがあるものの、世界各国にあるロブションの系列店で親しまれている。また、「ナベノ-イズム」でも提供される予定だ。多くの人に愛されるこのスペシャリテは、どのように誕生し、進化してきたのだろうか。

甘鯛、ゆず、百合根、どれもフランス料理に無縁の食材だった

「この料理の材料は何? 手順なども書いて説明しなさい」
今から12年ほど前、ロブション氏は渡辺さんの提案した料理を試食すると、すぐさまそう畳みかけてきた。その瞬間こそが今回紹介するシグニチャーディッシュの始まりだった。それは甘鯛、ゆず、百合根といった和食の食材をフランス料理に仕立てたひと皿で、盛り付けの飾りとして花穂しそまで添えてあった。今でこそゆずを使うフランスの料理人は多いが、当時は馴染みのない食材。ロブション氏もまた、ゆずを使った渡辺さんの提案に驚きを隠さなかった。

こんなものフランス料理と呼べない、と言ってロブション氏が怒り出すことも、渡辺さんは想定していた。「おおげさじゃなく、辞職も覚悟して提案した」と振り返る。「世紀の料理人」と働くということは、そういうことだ。しかも甘鯛はうろこ付きのまま。魚の皮さえ敬遠するフランス人に、うろこ付きの魚料理を出すことは、まさに「挑戦」だったのである。

けれど、もし気に入ってもらえれば、フランス料理の世界に日本人として足跡を残すことになる。そんな野望もあった。フランス人の経営するレストランで働くことにこだわり続けてきたのも、ひとつにはそのチャンスを狙っていたからでもある。

否定された場合を考えて、いろいろな解説を用意していたが、「ロブションさんは私の料理を認めてくれた。本当にうれしかった」。

提案した料理は、何より「おいしさ」と斬新な発想で注目され、人気を得、シグニチャーディッシュに成長していく。

渡辺さんは、さまざまなシグニチャーディッシュを生み出してきたが、その定義を「名前だけで料理人や店をイメージさせ、しかももう一度食べたいと思わせる料理」と言う。人気店の伝統は、必ずと言っていいほどそんな料理が支えている。

ナージュの仕上げに入れる小タマネギはスライスしてバターとオイルで炒め(右)、その甘みを活かす。フランス料理のクラシックな手法だ。これをナージュのベース(左を漉したもの)と合わせる。

フランス料理の要素を必ず盛り込むことが大切

渡辺さんは、日本人としての感性のままにこのひと皿を生み出したわけではない。たとえば素材の甘鯛については、その調理法を学ぶつもりで、甘鯛を使い慣れている京都の料亭などに足繁く通った。
「昔からある料理には、それが生き残ってきた理由があるはず」

和食やフランス料理というジャンルの違いを超えて、それが受け継がれてきた理由を知ることは、シグニチャーディッシュを生み出す重要なヒントにもなるのだ。実際、うろこ付きで焼いた甘鯛に添えたナージュ(ブイヨン添え)のヒントになっているものに、岩魚の骨酒や河豚のひれ酒などがある。

塩をふって身を締めた甘鯛は、うろこを起こして隙間を作るように包丁を入れていく。こうすると火にかけた時、表面に油が入りやすいのでカリッと仕上がる。

百合根にジャガイモの食感を見出したり、フランス料理につきものの柑橘類にゆずを選んだりしたのも、考え抜いた結果。ただし使い方や組み合わせに注意しないと、フランス料理として成立しなくなってしまう。
「甘鯛の料理の場合は、ナージュの仕上げに小タマネギを活用し、フランス料理の基本に則って、タマネギで甘さを出しています」

「もう一度食べたい」とゲストを喜ばせる料理は経営戦略の上でも欠かせないものです。

ナージュを澄んだ状態に仕上げるのは、和食の吸い物をイメージしてのことだが、根底には琥珀色に澄んだコンソメがある。
「食材にこだわり、それを十二分に活かし切る使い方はロブションさんに学びました。その習慣もシグニチャーディッシュを創り出すための原動力になっていると思います」

変貌する時代を見据えつつ変わらぬ味を追求する

「シグニチャーディッシュには急激な変化は無用で、むしろあまり変えないほうがいい」とも言う。渡辺さんの場合、食材の産地を変更したり、調理のごく一部分を変えたりする程度に留めているのだ。

シグニチャーディッシュには、ゆずの皮のほかにパウダーや果汁なども使われているが、香りが勝ちすぎることはない。ゆずの酸味と苦みが厚みのある味わいを形成している。


甘鯛に適した下処理や調理法については、「若狭甘鯛(わかさぐじ)で有名な福井県の若狭や、京都の料亭に行って実際に料理を食べ、自分の舌で学びました」と言う。

たとえばゆずは甘味、酸味、フレッシュ感のバランスがなかなか納得できず、いろいろな産地のものを試したが、現在は高知県産に落ち着いている。また、以前は百合根をゆでて使っていたが、今はホクホク感を活かすために蒸しているそうだ。
「ナージュのベースを作る際、甘鯛のアラを鶏のブイヨンと合わせるのですが、この時、どちらも熱い状態にしておかないと魚の生臭みが出てしまう。温度帯など、細部にまで気を配ることも大切です」

焼いた甘鯛の上にブランシールした万能ネギと、花穂しそをのせて仕上げる。この料理を考案した2004年には、フランス料理に花穂しそが使われることはほとんどなかった。

異ジャンルの料理の良さを、フランス料理に上手に取り入れてきた渡辺さんの今後の目標は、意外にも、フランス料理としての明確な味を追求することだという。
「スペイン、北欧、南米など、さまざまなジャンルの料理の台頭によって、フランス料理に迷いが出てきているように思います」と渡辺さん。
「こんな時代だからこそ、フランス料理とは何かということをつねに自分に問いかけていきたい」とも。

新たな活躍の場で、実力派の渡辺さんが今後どんなシグニチャーディッシュを生み出すのか。料理人や食通の多くが注目している。

山口県産萩直送釣り甘鯛うろこ付きで香ばしく焼き
百合根と枯木ゆずのナージュを添えて
うろこをカリカリに身をジュージーに焼き上げた甘鯛を、上品な味わいの
ナージュとともにいただくスープ仕立ての料理。ゆずの風味がさわやかで、
付け合わせの百合根のとろりとした食感が甘鯛の旨味を引き立てている。

Yuichiro Watanabe

1967年、千葉県生まれ。88年辻調フランス校卒業。91年に渡仏し、リヨンの一ツ星店「ラ・テラス」で1年半修業後、帰国。「タイユバン・ロブションカフェフランセ」のシェフ、「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」 のエグゼグティブ・シェフを経て、2016年5月、「ナベノ-イズム」のエグゼグティブ・シェフCEOに就任する予定。

上村久留美=取材、文 星野泰孝=撮影

本記事は雑誌料理王国260号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 260号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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