名匠のスペシャリティエ「揚子江」

時代を超えて愛され続ける名匠のスペシャリテがある。
本格上海料理の名店「揚子江」のオーナーシェフ黄成惠さんと、「紅焼獅子頭(オンソゥスーヅードゥ)」

素材本来の味を大切にした本格上海料理

ここは、中華街の賑わいからは少し離れた馬車道の官庁街の一角です。ご覧のようにマンションの2階の16席ほどのこじんまりとした店ですが、本格上海料理をお出ししています。私たち華僑の間では、「三把刀」と称する職業があります。料理人、理髪師、仕立て屋。刃物を使う職業を表す言葉です。実際、私の父は仕立て屋でしたし、私は高校在学中に料理人の道へ進みました。上海生まれの母が作る料理は、とてもおいしかった。いわゆる脂っぽい中華料理とは違う優しい味わいの「母の上海料理」を、日本の皆さんに味わっていただきたい。この想いが私を料理人へと駆り立てました。私の師は母なんです。

そして、もう一人忘れることのできない師がいます。東京・原宿「樓外樓」の馬場調理長。故人になられましたが、1970年代、日本中華料理界の頂点にいた料理人でした。「揚子江」をオープン後、店は弟に託し、私は馬場さんの元で働きました。努力家で探究心の塊だった馬場さんは私のことを、「俺が唯一認める料理人」とおっしゃってくださいました。師のこの言葉は、私の生涯の糧となっています。「旨い!」。お客さまにひと言そうつぶやいていただくために精進してきましたが、中でも、初めて「樓外樓」にお越しいただいて以来、お亡くなりになるまで私の料理を愛してくださった石津謙介さんには、深く感謝しています。当時、私の着るものは、石津先生が立ち上げたアイビールックのブランド「VAN」一辺倒でした。私にとって神様みたいな人が、私の料理を「旨い!」と言って、通ってくださる。ただ、ただ、ありがたく、うれしかったですね。

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厨房をご覧ください。私の使う調味料の種類は、砂糖、醤油、塩、お酒ととても少ない。無駄な調味料は使わず、旬の食材をふんだんに取り入れながら、素材本来の味を大切にした脂っこくないヘルシーな料理を作っています。ただおいしいだけではなく、素材、風土、季節、そして栄養バランスを考えて厨房に立っています。揚子江のほとりに開けた上海には、梅雨があり、気候は日本に似ています。上海料理は日本の風土に合うんですね。

獅子頭のような大きな肉団子「紅焼獅子頭」は、上海では祝いの席には欠かせない代表的なひと皿で、周恩来の好物でした。材料は豚肉とネギと生姜と、いたってシンプルです。大きな肉団子は、今にもくずれそうだ、というその手前の柔らかさに仕上げるのが私流です。肉団子をとろけるように仕上げるには、つなぎに入れる水の量が重要です。レシピなどに頼るのではなく、その日の気温なども加味したカンの問題ではないでしょうか。肉団子は8分ほど揚げて、そのあとで蒸します。生姜の香りが効いた大きな肉団子は、ヘルシーな味わいですから、皆さんいくつも召し上がりますね。

「揚子江」は私が一人で賄い、私の考える理想の料理をカタチにした私の城です。現在、68歳を迎えましたが、これからも「黄の上海料理」を追求していきます。

黄 成惠 Seikei Ko
1946年神奈川県生まれ。17歳で料理の道へ。25歳で「揚子江」をオープン。1970年代、日本中華料理の頂点にいた東京・原宿「樓外樓」の料理長、故馬場氏が唯一認めた料理人。「揚子江」では40年以上の実績を活かし、本場の上海料理を提供し、名だたる食通を唸らせている。

揚子江
神奈川県横浜市中区弁天通2-28ライオンズマンション関内204
045-664-3970
● 11:30~14:00、18:00~23:00
● 無休
● 16席
www.yosuko.jp

長瀬広子=取材、文 依田佳子=撮影

本記事は雑誌料理王国2015年6月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2015年6月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。