名店のマダムが語る。スターシェフの卵の見つけ方


優れた目利き力が、時代を的確に読み、若き才能を発掘・開花させる

「リストランテ山﨑」オーナー 山﨑順子さん

金の卵を見出だす目利き力、スターシェフへと育て上げるプロデュース力を発揮しながら、「リストランテ山﨑」を名店へと育て上げた山﨑順子さん。料理人の資質を見極め、才能を花開かせた方法とは。

現在、6代目の若きシェフ・矢島直樹さんが腕を振るう「リストランテ山﨑」。1986年に開業してから現在に至るまでに巣立った5名の歴代シェフの現在を追えば、この店がいかに優れたシェフを輩出してきたかがわかる。

初代シェフを務めた寺島豊さんは、現在は石川県「ホテルアローレ」総料理長、2代目・日髙良実さんは「アクアパッツァ」オーナーシェフ、3代目・濱﨑龍一さんは「リストランテ濱﨑」オーナーシェフ、4代目・武田正宏さんは「ラソスタ」シェフ、5代目・髙塚良さんは、昨年6月1日にハワイに開業した「フォーシーズンズリゾートオアフアットコオリナ」内にあるイタリア料理店「ノエ」の料理長と、華々しい活躍ぶり。

数々のトップシェフたちを育て上げてきたオーナーマダム・山﨑順子さんは、いったいどのように彼らの才能を開花させたのか。その秘訣を尋ねると、マダムはこう答えてくれた。

「たまたまうちに来てくれた人が優秀だったんじゃないのかしら。私は育てた覚えはないんですよ。みんな基礎ができている人たちばかりでしたから、自由に好きなことをさせてきたんです。だって、私があれはダメ、これはダメと口出しすると、可能性が狭まってしまうでしょう」

山﨑順子マダム流スターシェフの卵の見つけ方

しかし、優秀な料理人との出会いは単なる偶然ではない。山﨑さんの人材探しはイタリアの星付きレストランで修業中の日本人の情報を集めることから始まり、店に食べに訪れ、本人に会って話しをするという、丁寧で実直な方法。その情報収集力や行動力は、さながらヘッドハンターだ。

初代の寺島さんと出会ったのは、彼がミラノの三ツ星店「マルケージ」で働いていた24歳の時だった。

「イタリアにある洗練されたリストランテを日本に作りたい」と考え、勉強のためミラノに住んでいた山㟢さんは、現地のイタリア人から「マルケージ」でパスタを作っている日本人がいるという情報を聞き、注目していたのだという。

「日本人で『マルケージ』のパスタを任されるということは、すごいことでしょう。会って話をしてみると、24歳という若さながらよく勉強して知識が豊富でしたし、真面目で物怖じしない人柄も頼もしい。それで寺島さんを3年契約でシェフにお迎えして、1986年4月2日に『リストランテ山﨑』を開業したんです」

24歳の若きシェフとの立ち上げは賭けでもあったという。しかし、その後、「リストランテ山﨑」が名店への階段を駆け上がったのはご存知のとおり。当時の日本は、イタリア料理といえばピッツァやスパゲッティくらいしか知られていなかった時代。だが、イタリアではヌオーヴァ・クッチーナ(新イタリア料理)の潮流に乗ってグアルティエーロ・マルケージさんのようなスターシェフが誕生するなど、イタリア料理が劇的に変化している時代だった。山﨑さんはその潮流をしっかりとキャッチし、「マルケージ」で食べたキャビアの冷製パスタをアレンジすれば、日本で絶対に流行ると確信していた。

現在の「リストランテ山﨑」を支える皆さん。

日髙良実、濱﨑龍一 ―― 歴代シェフの思い出 

2代目の日髙さんと出会ったのは、彼が修業していたピアチェンツァの「アンティカ・オステリア・テアトロ」だった。ある日本人シェフの誘いで食事に出かけた時に知り合ったのだという。

「当時の日本は、フレンチには石鍋裕さんや三國清三さんのようなスターシェフがいましたが、イタリアンにはいませんでした。ですから誰か売り出したいという思いがあって、日髙さんにお会いした時は『この人なら』と思ったんです。頭のよさ、風貌、お客様との接し方など、スターシェフに必要な要素が備わっている方でしたから」

3代目の濱﨑さんと4代目の武田さんは、山﨑マダムが直接探したのではなく、当時のシェフが店に引き入れ、「リストランテ山﨑」で育ったメンバーだ。

「濱﨑さんは日髙さんが連れてきてくれたのですが、シェフとして11年半活躍してくれて、シェフになる前の期間を合わせると、約13年間もがんばってくれました。最初はおとなしい方でしたけど、美的センスは目を見張るものがあった。シェフになってからそれがさらに花開き、めきめき成長しましたよ。4代目の武田さんは、濱﨑シェフが面接した方で、うちに4年いてから修業のためイタリアへ渡りました。そして帰国後、またここに戻ってきてくれて、シェフになったんです。やはりシェフという肩書きがつくと『リストランテ山﨑』を背負う責任感が生まれるから、成長しますね」

実は歴代のシェフは皆、他店でシェフを勤めた経験がない人ばかり。そんな料理人がシェフとして成長するのを見るのは、マダムにとっても楽しみなのだとか。

5代目の髙塚さんとの出会いは、再びイタリア。知人の紹介だ。マダムは現在も1年に一度はイタリアを訪れている。

「彼は二ツ星の『ペルベッリーニ』のセコンドシェフでしたから、安心してきてもらいました。現在6代目として活躍中の矢島直樹シェフは『リストランテ濱﨑』出身で、濱﨑シェフのお墨付きです」

つねに素質のある人を探し、厳選してシェフに迎えているマダムに、あえてシェフに必要な素質を尋ねた。「シェフに大事なのは包容力と、人を育てる力、人間性です。上に立つ人は皆、そうですよね。料理だけできてもダメ。リストランテはひとりではできないのですから」

Junko Yamazaki
「ルイ・ヴィトン ジャパン」銀座直営店の初代マネージャーを務め、1983年に退職後、レストラン開業準備のためにイタリアへ渡る。帰国後、1986年に「リストランテ山﨑」をオープン。

小松めぐみ=取材、文 内海明啓=撮影 

本記事は雑誌料理王国274号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は274号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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