名匠のスペシャリテ「みかわ 是山居(ぜざんぎょ)」早乙女哲哉さん

時代を超えて愛され続ける名匠のスペシャリテがある。
連載第33回目は、当代屈指の天ぷら職人、「みかわ 是山居」主人の早乙女哲哉さんと、「江戸前天ぷら」

ここ江東区福住の「みかわ 是山居」は、63歳のときに開いた店です。今でこそ静かな路地裏の風情ですが、店の前の通りは、江戸城から深川八幡へと続く御成街道。江戸の文化の中心地で、江戸前の活きのいい天ぷらの屋台が並び、人口100万都市大江戸の繁華街でした。上野広小路の「天庄」に弟子入りしてから10年ちょっと。29歳で茅場町に「みかわ」を開きました。これが最初の店で、今は倅が仕切っています。倅は「是山居」が私の最終章と思ったようですが、天ぷらを極めるには、まだまだ時間がいる。130歳までは揚げ場に立ち続けたい。無理でしょうかね。100歳まではイケると思っていますが……。

1996年に出版した『天ぷら道楽』(講談社刊)や、「天ぷらを科学する」視点でNHKのテレビ番組を担当したときも、私は天ぷらを、「種の脱水作用」と結論づけました。つまり、揚げ油には脱水する力があるわけです。普通、ものから水分が抜ければしぼんでしまいます。ところが、衣をつけた天ぷらの種は、脱水してもしぼまない。油が入った分だけ、水が出る。水と油が入れ替わったからです。これは「天ぷらとは何か?」と、自らの仕事に問いかけを繰り返し、30年前に私が導き出した理論です。疑問符が仕事を極めることにつながるのです。さらに現在、「揚げる」とは、「蒸す」と「焼く」が同時にできる調理法だという結論に達しました。

疑問を持ち根本の理論を導き出すことが大切


例えば、車海老を揚げますね。じつは車海老は出世魚で、生まれたばかりの頃は「才巻」と呼ばれ、かき揚げにします。少し成長して「巻海老」。天ぷらにするにはこれが一番。「車海老」は40グラム以上の大きさのもので、やや大味なので焼き物などに用います。海老はそのまま揚げると丸くなってしまうので、殻を外してから「のす」のです。「のす」とは、つぶすのではなく、背筋を伸ばす感じでスポン、スポンと2個所抜くことです。包丁で切れ目を入れたりする人もいますけれど、これは論外。そして、油を220度まで上げ、22秒程度で引き上げます。昔は170度から180度で1、2分かけていましたが、考えを変えました。
天ぷらとは「蒸して焼く調理法」と理解すれば、海老は22秒ほどで油から引き上げ、芯の温度が45度から50度の間に仕上げます。これが、海老を一番甘く感じていただけるやり方です。こういった根本を押さえて天ぷらを揚げている人は、誰もいなかったのではないでしょうか。でも、ここが一番大切なことだと思っています。こう考えてくると、まだまだ〝新発見〟がある気がする。130歳まで揚げ場に立ちたい、というのは、そういうことです。

「みかわ」を開いて40年。定休日以外、一度たりとも、揚げ場に立たなかった日はありません。海外をはじめ、遠方からお越しいただくお客さまに、喜んでいただける仕事を持続することこそ、真のアーティストだと思います。器やしつらえなど、好きな芸術家の作品に囲まれて、江戸前の天ぷらを極めたい――。17歳のときに抱いたこの想いをカタチにした「是山居」で、これからも精一杯、私の仕事を続けていきます。

江戸前天ぷら車海老、はぜ、穴子
頭は香ばしく、身のなんと甘いことか。二つに分けた車海老(巻海老)の左奥は、尾が見事に開いた活きのいいはぜ。その奥は、料理評論家の山本益博さんが「秘術を尽くした離れ業」と称したという、こっくりと揚がった穴子。当代随一の江戸前天ぷらは、食する幸せを教えてくれる。

早乙女哲哉 Soutome Tetsuya
1946年、栃木県に生まれる。中学卒業後、東京・上野広小路の「天庄」に弟子入りする。 29歳で日本橋茅場町に「みかわ」を開店。修業時代から独自に培ってきた天ぷら理論を具現化し、江戸前天ぷらの第一級の店として名を馳せる。63歳で深川福住に「みかわ是山居」を開店。美術工芸や骨董、茶道にも精通し、「みかわ 是山居」には、ギャラリーを兼ねたサロンもある。六本木にも店を構える。

text 長瀬広子   photo 依田佳子

本記事は雑誌料理王国2015年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2015年2月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。