5年以上経営難が続いた。それでもやりたいことを優先「ヴィラ アイーダ」


地元の客か、遠方からのゲストかターゲットを絞らないと失敗する

小林寛司さん ヴィラアイーダ

フランスやイタリアの片田舎にひっそりと建つ一軒家のレストランをイメージして建てたという「ヴィラアイーダ」。今でこそ周囲に建物が増えたものの、オープン当初は見渡す限り田んぼだった。小林寛司さんは、イタリアでの修業から戻った1998年の末、25歳で故郷の和歌山県にレストランを開いた。開業場所の選択に迷いはなかった。東京都心などが候補に挙がらなかったのは、「イタリアでは都心から田舎に食事に出かけるが普通だったので、それを日本でもやりたかった。ニーズがあるところに店を出すのではなく、やりたいことができる環境に店を出し、そこにお客さんを呼ぼうと思ったから」。

オープンから17年、地方でイキイキと仕事に励む小林さんに、成功の秘訣を尋ねた。

R岩出駅から車で10分ほどのところに建つ「ヴィラ アイーダ」。全体的に古びた感じに見せるため、外壁素材をエージング加工しているので、建物だけ見るとヨーロッパの田舎町を訪れたようだ。

5年以上経営難が続いたそれでもやりたいことを優先

食材にこだわった上質の料理と安らぎの空間を求めて、「ヴィラアイーダ」には、都会から多くの料理人や食通が訪れる。だが、オープンして5年以上も経営がうまくいかず、「何度も辞めたいと思った」と振り返る。しかし、両親を保証人にして、自分の生命保険まで担保に入れて借りた7000万円。借金返済の目途が立つまでは、どんなことがあっても店を閉めるわけにはいかなかった。

なぜ、経営難に陥ったのか――。「地元で愛される店にするのか、遠方からゲストを呼ぶ店にするのか。その線引きがあいまいだった」と小林さんは分析し、反省する。たとえば、新鮮で滋味あふれる和歌山県産の食材は、はるばる東京から訪れるゲストにとっては魅力的でありがたいものだが、地元の人には「新味のないもの」に映ることもある。食材を活かすにはシェフの技が不可欠とはいえ、客層と料理のイメージの差が経営に大きく影響するのだ。

当初から「ガストロノミーでいく」と決めてはいたものの、顧客がつくまでには時間がかかる。その間、小林さんは揺れ続けた。ゲストの来ない日々に耐え切れず、「値段を安くして料理をボリュームアップしてみてはどうか」とのアドバイスを受け、1000円ランチを出したこともあった。結果、経営が成り立たなくなるばかりか、店は自分のめざすイメージからかけ離れていった。

ナスとネギとフレッシュアーモンド ゴマと大豆のピュレ、ネギオイル
油で揚げた水ナスと、ゴマと豆腐で作ったピュレとの相性は抜群。生アーモンドの甘さがアクセントに。生アーモンドは小林さんが、水ナスは小林さんの父親が丹精込めて育てた。

原点に戻り、徹底的にテロワールにこだわった

「初志貫徹して、遠方からのお客さんにターゲットを絞ろう」

試行錯誤の末、小林さんはようやくこの結論に達する。「お客さんが来てくれないのなら、来てもらえるように合わせるのではなく、自分のやりたいようにやってみて、それでだめだったら、そこで終わろう」と覚悟を固めた。ある意味で退路を断ち、前だけを見つめて歩み始めた瞬間から、小林さんのレストランは注目され、客足も伸びたのだ。

暇な時間をくよくよ悩んで過ごすのではなく、田んぼや畑仕事に専念したのもよかった。

なぜ、和歌山でやりたかったのか、原点に立ち返ってみたら、自分はテロワールを大切にしたかったんだと再確認できたんです」

料理に合わせて、大小さまざまな野菜作りにチャレンジした。市場には流通していないハーブや生アーモンドなど、日本では珍しい植物の栽培にも力を入れた。

「地元産」にこだわることで、野菜だけでなく、魚や肉などを扱う地元の生産者との交流も密になっていった。熱意ある生産者は、都心で働くシェフたちと太いパイプで結ばれていて、彼らが和歌山に来ると、「ここにも素晴らしいレストランがあるんですよ」と、小林さんの店を紹介してくれた。そんなことを繰り返しながら「ヴィラアイーダ」の知名度は高まっていったのだ。「それでも、本当にこれでやっていけると実感できるまで7年かかりました」。

経営が軌道にのってからは、レストランと畑の手入れに大忙し。「田舎のシェフはのんびり暮らしていると思うでしょうが、実は目の回るような忙しさです」と笑う。

7000万円の借金は、予定通り15年で完済。2007年には、宿泊を希望するゲストのために、1日1組だけ泊まれるヴィラに増改築。その際に借りた3000万円も、計画通り5年で返済した。

エージングして風情を出した外観や漆喰の壁、アンティークのガラス窓や各国で買い揃えた調度品など、随所に小林さんの美意識がちりばめられた「ヴィラアイーダ」だが、これらも少しずつ直したり、買い集めたりしながら完成形に近づけてきたのだ。中庭の木々が大きくなって木陰を作り、畑にたくさんの作物が実るようになった頃、気が付けば「ヴィラアイーダ」は、多くの人が「遠くても通いたい」と評するレストランに成長していた。

Kanji Kobayashi
1973年、和歌山県生まれ。大阪「アルバ」での修業を経て、1994年に渡伊。ヴェネト州、ロンバルディア州、トスカーナ州、カンパーニャ州などの星付きレストランで腕を磨く。 1998年に帰国し、その年の12月に「リストランテ アイーダ」をオープン。 2007年には、増改築して宿泊スペースを併設し、「ヴィラアイーダ」と改称した。

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上村久留美=取材、文 伊藤信=撮影

本記事は雑誌料理王国2015年8月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2015年8月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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