名匠のスペシャリテ「オテル・ドゥ・ミクニ」三國 清三さん


時代を超えて愛され続ける名匠のスペシャリテがある。
連載第15回目は、常に挑戦者であり続ける「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ三國清三さんと、「野生きのこのカプチーノ仕立て、ムッシュー・アラン・シャペルの思い出」。

あと2年でここ四ツ谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」は、30周年を迎えます。オープンした際にフランスのレストランの風習に従って、特別仕立ての「リーブル・ドール」を用意しました。芳名録と訳せばいいでしょうか。お客様にお名前やご感想などを記していただくもので30年という時間がつまった僕の宝ものです。
オープンから5年目の1990年でした。フランスで最後に出会った偉大なシェフ、アラン・シャペルが来店し、リーブル・ドールに記してくれました。「キヨミあなたは、フレディ、ジャン、ピエール、アラン、ポール……巨匠たちの料理を日本的なものへと進化させた」と――。


フレディは、フレディ・ジラルデさんのこと。20歳で駐スイス日本大使館の料理長としてスイスに渡った僕は、4年間の勤務のかたわら、三つ星の「オテル・ドゥ・ヴィル」のオーナーシェフ・ジラルデさんに5年間師事。その後、同じく三つ星のジャンとピエールのトロワグロ兄弟のもとへ。さらに、アルザスの自然のなかにある「オーベルジュ・ドゥ・リィル」のポール・エーベルラン氏の元へ。そして、料理とお菓子で二つのMOF(フランス最高技術者賞)を授与されたジャン・ドラベーヌ氏の店を経て、 「料理界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称されたアラン・シャペル氏の元へ。
20代の8年間、5人の偉大な料理人の下で働き、多大な影響を受け、サティフィカ(証明書)を得ました。なかでもムッシュー・アラン・シャペルは、僕が最も影響を受けた偉大な料理人。その師への想いがいっぱい詰まっているのが、『野生きのこのカプチーノ仕立て』です。

〝料理界のダ・ヴィンチ〞へのオマージュを込めて

じつは何度もシャペル氏に「働きたい」と手紙を書きましたが、1年間断られ続け、やっと1981年12月、27歳の僕は、リヨン郊外のミヨネ村を訪ねることができました。シャペル氏は44歳。マダムのスザンヌと、裏山から採ってきたばかりの野草や草花を客席のテーブルに飾っていました。調理場に入ると、そこを覆いつくしているのはアラン・シャペルという存在感。張り詰めた空気のなか、シャペル氏は無言で仕事を進めて行きます。その料理哲学は、素材本来の風味を生かすこと。『野生きのこのカプチーノ仕立て』は、マッシュルームの水分を利用して火入れをするのがポイント。エチュヴェというフランス料理の技術で、素材本来の風味を最高に生かします。


シャペル氏に出会い、僕の目指す料理の方向性が明確にわかってきました。子どもの頃から、生まれ故郷の北海道・増毛で船に乗ってとったアワビやウニ。畑でかじった青みの残るトマト。僕は自然のなかで育まれた食べ物の味を知っている。海や畑でとれた食材がすばらしい料理になることを教えてくれたのは、ヨーロッパ行きのチャンスをくれた帝国ホテルの故・村上信夫料理長であり、シャペル氏をはじめとする偉大な料理人たちでした。
シャペル氏は、リーブル・ドールに「キヨミの料理」を認める言葉を残してくれたその年に、52歳の若さで急逝しました。僕は命ある限り、この大切なスペシャリテを作り続けたい、と思っています。

text 長瀬広子   photo 阿部吉泰

本記事は雑誌料理王国2013年8月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2013年8月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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