「すきやばし次郎」小野二郎さんから、若きすし職人たちへ


握りが誕生したといわれる江戸の時代から長き時を経て、変化を遂げながら今、さらなる個性を語り始めたすしの世界。しかし、そういう時代だからこそ、日本の伝統食である〝すし〞を、そしてその食文化の重みを背負ってきた人の声を聞いてみたい。
82歳の今も現役でつけ場に立つ「すきやばし次郎」小野二郎さんに、すべての若きすし職人たちに向けての声を伺った。

個人的な意見ですがね、すし屋の修業といえるものは最低10年。3〜4年やったくらいではわからないと思いますよ。

独立とは、親方と同じようにできて初めて成立するもの。親方が百やっていたら自分も百できるなんて当たり前のことで自慢にもならなくて、むしろ、まだその程度までのことだって謙虚にならなくちゃ。自分の店を持ってから時の流れとともに自然にすしが自分の形になっていく。そういうものです。うちから独立してすぐにどんなにうまく握ったって、あたしから見ればしばらくは見習いの延長。それは、しょうがないでしょう。

独立は年齢がきたからやろうかじゃ駄目なんですよ。自分の握りを食べて納得して、よそに負けないと思えるようになって初めて独立を考えるもの。独立する人のなかで、自分が握るすしの味のことを、いったい、どのくらいの人がわかってるんでしょうかね。半分はいないんじゃないでしょうか。今は「あいつが30歳で店を持ったから自分も」でしょ。これはマスコミも悪いんですよ。実力を確かめもせずに取材して載せちゃうことが多いんですから。

いい魚買って銀座で格好よく握りたい。
そのためにどうするか、が大事でしょう。

握りずしの世界は簡単なものではないんですよ。握りのことを突き詰めたら、握りを中心に出したい、お客さまに食べてもらいたいと思ってしまう。自然なことじゃありませんか。最近、料理屋のようなすし屋が増えているようですね。酒やつまみを出すなとはいいませんが、つまみばかりで握りは締めに5、6貫。それじゃ本当の握りのうまさなんてわかりゃしませんよ。うちのように基本的に握りだけで店をやっていくのは大変なこと。だから、修業が大事なんです。

でも、せっかく修業に入っても長続きする人は少ないですね。今までこの店には100人くらい修業に来てますけど、やり遂げたのは1割程度ですかね。「私は野球部で頑張っていましたから、どんなきついこともやれます」なんて言うヤツに限って3日で「自分に合いませんでした」なんてもっともらしいことを言って諦めていく。皆、すしを握っている立ち姿の華やかさしか見てなくて裏を見てない。だから、現実がわかると嫌になって続かないんでしょうよ。

世の中が豊かになったんでしょうね。「この仕事じゃなくても生きていける」なんて思っている。あたしの時代は入った以上はやめらない。次がないんですから。家には帰れないし、寺の下か橋の下で寝るしかありませんでした。

今は自分勝手な都合で店に入ってくるんですね。「給料はいくら、勤務時間は、休みは?」と。お金が欲しいなら、すし屋じゃなくても、他にいくらでも仕事があるじゃありませんか。母親が「うちの子を修業させてください」って電話をよこすこともあるんだから、何を考えてるんだろうってね。

怒られるのが嫌だって馬鹿なことを言うヤツもいますが、入ってきてから怒るのはこちらのためだけではありません。本人のためなんですよ。怒るより黙っているほうが楽なんですからね、こっちは。いつか独立したくてうちに来てくれているなら、一日も早く一人前になって欲しい。そう願っているだけです。

独立するためと思えば毎日やることはいくらでもあるはずなのに、言われたことだけしかやらない。これじゃ、駄目ですよ。いい魚買って銀座で格好よく握りたい。その思いはいいことですが、それまでにやることがあるでしょう。

今、何をするべきか。あたしの頃はさらにその先まで読んでやろうと思ったし、やらないと殴られました。でも今思えば、それが財産になっている。体で覚えられましたからね。怒られないのは結局、損なことなんですよ。

今でも夜中に飛び起きますよ。
「こうすればおいしくなるぞ」って夢を見るから。

あたしは40歳で独立して「すきやばし次郎」を始めてからも修業時代と思いはそう変わりません。どうしたら今以上によくなるかって。夜、夢を見て飛び起きて、こうやればうまくなるなんて書き留めることはしょっちゅうですよ。カツオ、蒸しアワビ、イクラ、タコ、玉子なんて、あたしが若い頃修業した店のものとは違う。親方に習ったものとは違うんですね。独立してからも考えているから自分の色になっていくわけです。

ちゃんと仕事をやってれば、自分の握りにとって大切なことがはっきりと見えてきますよ。あたしが一番口うるさくいうのはすし飯の温度。ひと肌以下に冷めたらおいしくないと思うから。冷や飯の上に刺身をのせて食べてごらんなさい。わかるでしょう?うちの場合、お客さまの予約の時間に合わせてごはんを炊いて、冷めれば出さない。確かに無駄が多い。でも、この点は譲れないんですよ。だって、あたしのすしだから。当然、まかないはすし飯のチャーハンにすし飯の雑炊ばっかり。若い衆はもう食べたくないでしょうよ。でも、それが店の生の姿なんです。

汚れたらすぐに拭く。ほおっておかない。
どんなことでも、すぐに行動しないと。

あたしの握り姿に色気を感じる?そんなこと考えて仕事をしたことはありません。そう思われるんでしたらそうかもしれません。ずっと続けてきた結果でしょうか。でもそれは姿形じゃなく、店の雰囲気も手伝っているんじゃないでしょうかね。うちの店には魚の匂いなんてまったくありませんでしょう?白衣も、店もピカピカにしていますからね。以前、保健所の人が来てつけ場に靴を脱いで上がろうとしたことがあるんですよ。もちろん、靴なんか脱ぐ必要はありませんけどね。

とにかく、何でもすぐに行動にうつすことですよ。汚れたらすぐに拭く。時間が経てば洗わないといけなくなるし、さらに時間がたてば磨かないといけなくなる。余計に手間なんですよ。毎日やっていればそれが当たり前で癖になる。というより反射で動くくらいになりますよ。

後で大掃除してピカピカにしようなんて考える人は、結局、大掃除もやらないもんですよ。そうなると、どんどん店は汚い店へと流れていきます。

すし屋は怪我をしちゃいけないからね。外出はいつも手袋していますよ。

今時、店を清潔に、なんて当たり前のことを言うのもなんですけれどね、握りもそうですよ。お客さまの前で生の魚を手で触って、お出しするわけですから、手がきれい過ぎて悪いことなどひとつもない。外出時は今でも、手に怪我をしないようにいつも手袋をしています。握る指に絆創膏を巻いていてはお客さまも興ざめでしょう?手袋をするということは心構えにも通じるのです。

万が一手に怪我をしたときですか?今は息子が一緒に店を守ってくれているので、潔く握りません。でも、ひとりで店をやっている場合はそうはいかないでしょうね。軽い手の怪我くらいで休むことは現実的にむずかしい。そんなときは、やむを得ない処置として指サックをするといいです。あたしも昔はひとりでやっていましたからね、救急箱には今でも指サックを入れています。指の大きさに合わせて3種類。万が一怪我をしたら、指サックをして根元を縛れば握れるんです。絆創膏は絶対駄目です。ガーゼが水を含んで不衛生ですからね。今でも出張には必ず、持っていきますよ。

大切なのはいつも先のことを読みながら考えてやること。そうでないときれいな仕事はできません。うちの店ではね、あたしが厨房に入ると、若い人たちはすぐにあたしの目線を追います。何を見ているか、何をしそうか。若い人が感じて、あたしよりも先に動こうとする。たとえば、あたしの目線の向こうにガラスの曇りを見つけたら、ふきんを持ってさっと動いて拭こうとする。だから店の空気がひき締まるんでしょうね。

結局、修業は技術を習うだけじゃないんですね。我慢を覚えること。ひとつ先、ずっと先をも考えること。大きくものを見ること……、そして初めて、すしが見えてくる。

あたしがまだできないのはお愛想ですかね。お世辞なんて今も言えませんから。

おのじろう
1925年静岡生まれ。
9歳で割烹料理屋の下働きとして働きはじめ、 10代後半は軍隊で過ごす。
52年、東京・京橋「与志乃」、大阪「みどり」を経て銀座に「すきやばし次郎」を開店。


梅谷隴 ─ 構成、管洋志 ─ 写真

本記事は雑誌料理王国第150号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第150号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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