松野さんが最初の赴任地、韓国へ飛んだのは32歳の時。なんと故郷の徳島に自分の店を開いて2年で訪れた転機だった。経営は順調だったが、ある日、「公邸料理人として働いている友人の話を聞いて、公邸料理人になりたくて料理の道を選んだ日のことを思い出した。その夢をどうしても実現させたくなったんです」と言う。
親子ほど年の離れた大使に認めてもらうには、料理人としてもっとキャリアや年齢を重ねる必要があるのではないかと思ったが、「信頼できる人であれば年齢は関係ない」という大使の言葉にも背中を押された。
そして2か国目となるアメリカで働く今は、若くて気力も体力も充実している時に公邸料理人としてスタートを切ってよかったと実感している。「ヴィーガンやアレルギー体質の方、宗教上の理由で食事制限のある方など、ニューヨークではさまざまな人が会食に参加されます。1皿ずつ内容を変えますので、メニュー作りや食材の調達は大変ですが、そこにやりがいを感じる自分がいます」。
また、現在は単身赴任の大使とプライベートでも食事を共にしていて、その際に語られる大使の言葉に学ぶことも多いと言う。「ヨーロッパでも働きたいので、あと10年ぐらいはこの仕事を続けたい」という言葉に、公邸料理人としての自信が漲っていた。
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