おいしい日本再発見 in Kagoshima

坂井ムッシュ、故郷・鹿児島の食材を再発見

豊かな大海原。燦々と太陽が降り注ぐ広大な大地。南の大自然が「食彩王国」鹿児島に恵みをもたらす。

常に日本のフランス料理界をリードしてきた坂井宏行さんが、「薩摩隼人」に象徴される果敢で俊敏、進取の精神に富んだ男たちを育んだ歴史と文化の地、鹿児島を離れておよそ半世紀が過ぎた。

出荷前の牛に見入る右から坂井さん、森川さん、川島さん。
鹿児島県が誇るブランド豚の「かごしま黒豚」。かごしま黒豚ブランド産地指定方針並びに産地指定基準に合致したものだけが、かごしま黒豚として流通する。
鹿児島市中央卸売市場では立派な本マグロがさばかれる。中央の坂井さんを囲んでの市場の皆さんとのスナップ。

故郷・鹿児島の食材と再会する坂井さんの旅に同行したのは、「ムッシュ(坂井さん)の元で働いて年以上になりました」と語る「ラ・ロシェル山王」の料理長・川島孝さん。「懐食みちば」の料理長・森川保さんも一緒だ。

貫体制を整えた理想的な肉用牛の農場「錦江ファーム」を訪ねる

坂井さんたちが訪問したのは、錦江ファームの中核的存在である金峰農場。薩摩半島の中心部に位置するこの農場では、先進的な飼育システムが実現されており、3人の料理人は一様に驚嘆の声を上げた。「飼料作りから繁殖、肥育までの一貫体制を確立しています」と、場長の田之脇久志さんは胸を張る。飼料用イネをベースに、地域から出る焼酎粕などの食品副産物を混ぜて、エサを自社で作って牛に給与している。さらに、生まれてから出荷、販売までの管理状況を確認できるトレーサビリティも確立している。

鹿児島の壺造り黒酢 壺畑で坂元醸造代表取締役社長の坂元昭宏さん(手前)と、藏元さんとともに。
伊藤祐一郎鹿児島県知事(右)から「薩摩大使」・「鹿児島食の匠」の委嘱を受けた坂井さん。委嘱状を手に笑顔のふたり。ともに出水市出身。

伝統を守り続けることの価値を知る壺造り黒酢

このあと、3人を感動させたのが、坂元醸造が手掛ける壺造りの黒酢だ。訪れたのは錦江湾の一番奥に位置する霧島市福山町である。
「この地は三方を丘に囲まれ、南向きの斜面に位置しているので、昔から気候がとても温暖な地域なんです。年間の平均気温は18.7度。黒酢の発酵に適した土地柄です。この壺とこの場所でないとおいしく発酵しないんです」と、醸造技師長の藏元忠明さんが説明する。
三方を囲む丘の中腹に蓄えられた豊富な地下水は、薩摩藩時代から「廻りの水」と呼ばれた藩内随一のおいしい水だった。壺畑にこの水を引き込み、黒酢造りに利用しているのだ。
さらに、福山港が商業港だったからこそ、黒酢造りの原料となる米と壺も手に入りやすかった。そして今なお、江戸後期から200年続く伝統の製法で、香り高い、まろやかな黒酢が造られている。「壺一つひとつの中で、黒酢は同じようには育ちません。それぞれの個性を見抜きながら大切に育てています」と藏元さん。

「まさしく誠実で優しい”ものづくりの心”。そうして誕生した食材を、僕たちも愛情を込めて使わせていただきます」。坂井さんの言葉に、川島さんも森川さんも深くうなずく。


「ラ・ロシェル」
Hiroyuki Sakai 坂井 宏行

ラ・ロシェル オーナーシェフ
1942年、鹿児島県生まれ。17歳でフランス料理の修業を始め、19歳で単身オーストラリアへ。帰国後、銀座「四季」などの有名店を経て、80年、38歳で「ラ・ロシェル」をオープン。以来、日本のフランス料理界の第一人者として活躍し続ける。「料理の鉄人」の「フレンチの鉄人」としても有名。

「ラ・ロシェル 山王」
Takashi Kawashima 川島 孝
ラ・ロシェル 山王 料理長
1967年、群馬県生まれ。群馬調理師専門学校卒業後、89年に「ラ・ロシェル」に入社。99年「ラ・ロシェル 南青山」オープンと同時に副料理長に就任。その後、フランスでの3年の修業を経て、帰国後の2010年から「ラ・ロシェル 山王」料理長に就任。坂井宏行氏の繊細なフランス料理の世界を受け継ぐ。

「懐食みちば」
Tamotsu Morikawa 森川 保
懐食みちば 料理長
1967年、東京都生まれ。寿司職人として和食の修業を始める。その後、「料理の鉄人」の「和食の鉄人」として活躍した道場六三郎氏に師事。2000年にオープンした道場氏の2号店、銀座「懐食みちば」の料理長として、新しい発想の創作料理を中心としたカジュアルな懐石料理を提供。人気を得ている。