まさに刀のようにギラリと輝くこの一品は、塩と酢でしっかりと〆た「さんまずし(1,000円)」。年間を通してこれを供する居酒屋の名もずばり「秋刀魚」。東京・飯田橋で26年営み続ける光りもの好きなら知らぬ人がいないほどの名店だ。
厨房を仕切るのは店主の山風呂秀一さんと、息子の真之さん。2人とも親子揃って、兎にも角にもサンマ押し。シーズンが始まる晩夏から漁期の終わる12月上旬まで、刺身と塩焼きは欠かさない。そしてこの「さんまずし」は年がら年中欠かさない。ひと口食べれば、熟れた青魚特有の香りがシュッと鋭く鼻を通り、まだ抜け切らない丸みのある脂がエッジの立った酢の味わいと混ざり合いつつ、舌の上に行き渡る。時おり歯に当たったゴマがプチプチ弾けて香ばしさ差し込み、大葉が清々しく後味を締めてくれる。…あぁ日本に生まれてよかったなぁと、しみじみできる瞬間だ。
和歌山県は紀伊半島の南端で生まれ育った秀一さんが、祖母のつくったサンマの寿司を思い出しながら生み出したこの味わいは、冷凍技術と物流網が発達した現代だからこそ生まれる新しい郷土料理かもしれない。
そもそもサンマは北半球の太平洋を広く回遊する魚で、アラスカやメキシコの沖合にも生息するが、日本近海のサンマは夏場にオホーツク海で潤沢に餌を食べ、産卵のために親潮に乗って南下を始める。オホーツク海から近い北海道の根室沖で漁獲が始まるのが7月下旬から8月上旬。旬の走りのサンマがその身に脂をのせているのはそのためだ。さらにサンマが南下して三陸沖で獲れるのは9月に入ってから。サンマは産卵を目的として決死の南下をしているので、移動距離が長くなれば蓄えた脂肪も燃焼させてしまう。秀一さんが生まれ育った紀伊半島沖で獲れるサンマは、オホーツク海を泳いでいた頃の姿からは想像もできないくらいにやせ細り、筋肉だけが残った状態で水揚げされるのだ。
一時期に集中して大量に獲れる魚を、少しでも長期間、できれば美味しい状態で食べつなぐために生まれた知恵は日本各地に残っているが、秀一さんの故郷である南紀では、サンマを塩蔵し、炊いた米の漬け床でナレズシにしたり、酢で〆て寿司にしたりという知恵が育まれた。長期保存をする際に、酸化した魚の脂は美味しさを一段も二段も引き下げてしまうため、長旅の末に引き締まった南紀のサンマは、その土地ならではの気候・風土下で保存には好都合だったというわけだ。
そんな文化的な背景のもとで受け継がれてきた南紀のサンマ寿司を、秀一さんは旬の走りの北海道沖で獲れたサンマで再現した。獲れた先から船上で急速冷凍され、温度・湿度だけでなく酸素にも触れないように管理されたサンマは、一年中いつ解凍しても脂ののりは絶好調で、その質は最高潮。秀一さんの思い出と昨今の冷凍技術が重なった結果、サンマの脂肪に含まれるDHA・EPAを潤沢に残した状態で極上のサンマ寿司を一年中味わえるようになった。