石川県を代表する伝統工芸の「九谷焼」は、九谷五彩と呼ばれる青・黄・紺・紫・赤で絵付けを行う、繊細で美しい模様が特徴的な陶磁器。1879(明治12)年に現在の能美市で創業された「上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)」は、開窯140年を迎える老舗。その6代目にあたる上出惠悟さんに話をうかがうべく、あたり一面雪景色の広がる能美市を訪れた。
今年で37歳になる上出さんは、東京藝芸術大学を卒業した2006年に石川へ戻り、家業の後継者として本格的に活動を開始。
「僕が家業を継ぐことに父はずっと反対で、何度も『帰ってくるな』と言われました。でも、九谷焼にはまだやれることがあり、可能性も感じていた。よいものを作っていると思えたからこそ、それを終わらせたくなかったんです」九谷焼の産業全体では、素地(きじ)の成形や焼成、絵付、販売をそれぞれ別の業者が分業制で行い、より廉価な素地を他産地から購入する業者も存在する。長右衛門窯のように、自社一貫生産によるものづくりを続ける窯は少ないという。
「学生時代は自分がすべきことを模索する日々で、3年生の時に1年間休学し、自分のルーツを知ろうと半年ほどを故郷で過ごしました。あらためて九谷焼と向き合ったことで生まれたもののひとつが、卒業制作として取り組んだ『甘蕉房色絵梅文』という作品です」。のちに金沢21世紀美術館の所蔵となる、バナナの形をした九谷焼だ。この作品で上出さんの名は美術界に知れ渡り、瞬く間に高い評価を得ることとなる。
上出長右衛門窯で働く人たちの年齢は20〜80代と幅広く、絵付師5名、ろくろ師2名、成形担当5名のほかに受発注管理に5名ほど、企画デザインから生産管理や営業活動、サイト運営などの担当者が5名ほどの、約名で構成されている。工房の1階は焼成など絵付前の工程が中心。2階には絵付スペースとオフィス機能が集約され、ここで上出さんは数々の新しい商品を考案してきた。
上出さんが新商品の企画デザインなどを一手に引き受けながら、上出長右衛門窯の顔として活躍するようになって7年ほど。「まだ正式な6代目ではなく、かなり出しゃばってやっています」と上出さん。これまで、転写技術を使った「KUTANI SEAL」の考案、スペイン人デザイナー、ハイメ・アジョンと組んだ食器シリーズの発表のほか、美術家としても定期的に個展を開催するなど、九谷焼の新しい可能性の追求に精力的に取り組んでいる。
「僕は職人ではないので、高い技術を持ち合わせてはいません。そして祖父と父はどちらかというと経営者として長年窯を支え、僕のような作家でもありませんでした。九谷焼やその作風についてなど、師のようにふたりから直接教わることはほとんどなかったんです」と上出さん。「でも、影響は受けていると思います。反面教師かもしれませんが(笑)。ふたりが手仕事をきちんと残してくれたことに感謝し、器の数々や環境などを引き継ぎ、今後さらに活かして行きたいと思っています」言葉で教えられなくても、これまで作ってきた器を見れば、その志は自ずと理解できたという。長右衛門窯の器には、古染付(こそめつけ)の「笛吹」や「祥瑞(しょんずい)」など、中国の明の時代に作られた器からインスピレーションを受けたものが多く、それらは祖父の代から始まったものだ。
「祖父の考える磁器の最上とは、均質であり、上品な白さを持ち、釉薬の輝きがあるもの。磁器の源流である東洋の歴史を舞台にしながら、現代だからこそできる上質な材料と環境、人の手による丹精込めた手仕事で、磁器の新鮮さや瑞々しさを呼び戻す。そして長右衛門窯ならではの「今」を感じることのできる九谷焼を作る。それが大きな志だと理解しています」最後に、今後の展望を尋ねた。「ガス窯がなかった頃に使っていた薪窯を作ろうと、今少しずつ動いているところです。原点に帰ることがとても大切だと思うので、効率を求めて捨ててきた作業をもう一度見直して、その価値を再認識したいですね」
Keigo Kamide
上出長右衛門窯の6代目として1981年石川県に生まれる。東京藝術大学の卒業制作でバナナを象った九谷焼「甘蕉 房 色絵梅文」を発表し、高い評価を受ける。2006年に窯元へ入り、商品の企画デザインなどを担当。自らの作家活動にも取り組み、国内外での個展・グループ展を多数開催。九谷焼の新しい可能性を追求し続けている。
本記事は雑誌料理王国284号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 284号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。