大ピンチを大チャンスに。料理人が描く「復興」に向けて
「一本杉川嶋」川嶋亨さん 


能登半島を最大震度7の地震が襲った元日から、2ヶ月が過ぎた。
発災直後、自ら被災しながらも地域の炊き出しに奔走していた料理人たちは自分の店と仲間たち、そして地域の今後について考え始めている。
彼らが考える「復興」とは。

七尾市で被災した川嶋さんが抱くのは、料理人の視点で構想するまちづくり。
震災をチャンスにしたいと語ってくれた。

text:つぐまたかこ
「美味しい」で人と企業と地域を元気にする食プランナー・フードライター。石川県金沢市を拠点に執筆、地域食材や生産者のブランディング、商品開発、イベント企画などに携わる。

炊き出しが満たしたものは被災者と料理人の心

震災後すぐにチームを立ち上げて炊き出しを始めた川嶋さん。当時、「厨房ではガンガン音楽を掛けながら笑顔で調理しています」と明るく話してくれていたのだが、自分の店は半壊し、ライフライン復活の目処も立っていないという状況だった。もしかしたら無理をしているのではないか?いつか燃え尽きてしまうのではないか?と口には出せなかったが、私はずっと心配だった。

あの日から2ヶ月。川嶋さんの「今」を知りたくて、連絡を取った。

震災直後に駆けつけて以来、1月22日に初めて自分の店を見に行ったという川嶋さん。
「毎日の炊き出しに精一杯で見に行けなかった…のはちょっと違うかも…現実に引き戻されるのが怖かったのかもしれません。あたりまえですけれど、あの日見たままの状態でした。でも、片付けながら、自分の店のこと、仲間のこと、地域のこと…いろいろなことを考えました」。 

一本杉川嶋は、約90年前に建てられた有形文化財の建物。外壁が崩れ落ち、店内では修業時代から少しずつ集めた器も被害を受けた。

ちょうどその頃、道路網が少しずつ整備されて七尾市に物資が入ってくるようになり、川嶋さんたちが市内の商業施設の厨房を使って行っていた炊き出しチームは2月で解散した。現在は、水が出る羽咋市で、別の料理人たちと一緒に炊き出しを続け、七尾市よりも奥に位置する穴水町や能登町の避難所や学校給食の代わりに温かい料理を届けている。
「七尾での炊き出しを終えて、少しだけ心のよりどころがなくなったような気がしました。あのときは、何かをしていないとどうしようもなかった。不安に押しつぶされそうになっていた料理人たちが集まり、ひとつのものを調理しながら励まし合ったり情報交換したり。あの時間があったからこそ、まちづくりを考えるようになったのかもしれません」

店の再建は地域の復興ありき。だから、まちづくりに加わる

「一本杉川嶋」の店舗は、有形文化財の建物だ。再建にはかなりの金額と時間を要する。川嶋さんは、店の再建に向けたクラウドファンディングを立ち上げ、その一方で復興に向けたまちづくりに加わった。
「再開している飲食店も出てきたのですが、オープンして2~3日はお客さんがたくさん来るけれど、数日したらピタッと来なくなってしまうそうです。人もまちも元通りじゃないから、しかたないことなんですが。でも、この厳しい状況が続くとまちの小さな飲食店は閉店してしまう。まちが復興したときには、チェーン店ばかりになってしまうかもしれない」と川嶋さんは危惧する。商店街名「一本杉」を冠した店名をつけたのは、故郷七尾への恩返しをしたいからだと語っていた。一本杉商店街、七尾市、能登への思いは言わずもがなだ。

歴史ある建物が建ち並んでいた一本杉商店街。震災後2ヶ月経っても復興は進んでいない。

震災の前から考えていたこと、と前置きをして「一本杉商店街を24時間周遊できる場所にしたい」いう川嶋さんは、さらに言葉を続けた。「震災があったからこそ、推し進められることもあるかもしれない、と前向きに考えたいんです。ターニングポイントだ、と。復興は10年、いや20年かかるかもしれない。並大抵のことではないからこそ、この機会を逃してはいけない。震災という大ピンチを大チャンスにしたいんです」

まずは経済をまわすこと、だという川嶋さん。仮店舗で料理人仲間と共におにぎりやハンバーガーなどカジュアルな、だけどちゃんとした味の飲食店を開くこと、復興のために七尾に来てくれる職人たちが食事をする場所として、断水が解消すれば、コンテナ形式の屋台村も作る。そうすることで料理人たちのなりわいができる。そしてゆくゆくはそこを復興のシンボルにと考えているそうだ。

料理人を支えてくれている能登の生産者のためにも

一本杉川嶋はカウンター8席の店だった。目の前でスペシャルな食材を掲げ、語る川嶋さんの誇らしげな顔も、ごちそうのうち。見て、聞いて、そして味わって、能登の食材の素晴らしさを体感するのだ。川嶋さんだけではない。能登の料理人の多くは、この土地でしか味わえない食材に魅せられ、生産者をリスペクトしている。

「僕たち料理人は、生産者のみなさんに支えられています。まちや飲食店だけが元通りになっても、素晴らしい食材を作る人たちがいなければ、意味がない」という。

「ある生産者さんに連絡をすると、『被害はあるけれど、続けたい』と力強い言葉が返ってきました。生産者さんがやると言ってくださっているのだから、応援したいです。以前のように『すごい食材ドーン!』ということはできないけれど、能登の食材の素晴らしさを伝え続けたい。そのためには、コラボやECサイト、ODM、OEMにも挑戦できればと思っています。あれ?これって応援しているようで、逆に応援されているのかな?」

川嶋さんは、時間を作っては産地に出向き、生産現場を目で見て体感して、その素晴らしさを料理に反映させていた。

必ず復興する。だから能登を忘れないでほしい

料理人たちは、おいしいものを作るだけではない。一次産業や器などの工芸も含めた地域の食文化を支えている。災害時には食のインフラとなり、復興のためのまちづくりの一端を担う。

能登半島は、高齢化と過疎が進んでいる。一本杉川嶋がある七尾市も例外ではない。だからこそ、川嶋さんのような若い料理人たちの前向きな言葉が必要になってくるに違いない。
「言葉にすることって大事だと思うんです。もちろん、言った責任も出てきます。でも、聞いた人もその言葉を共有して語ることができますから」という川嶋さん。
「自分の店はもちろんですが、一本杉商店街、七尾を必ず復興させます。だから、能登を忘れないでほしいです」

能登の人だけではなく、聞いた私たちにも力をくれる言葉だ。

誇らしげな満面の笑顔。能登で採れた松茸を、カウンター越しに見せる川嶋さん。一本杉川嶋で食事をする楽しみのひとつだった。
写真:つぐまたかこ

一本杉川嶋クラウドファンディング
『能登地震で倒壊した七尾・一本杉通りの名店「一本杉川嶋」を再建したい』
https://readyfor.jp/projects/137574

取材・文:つぐまたかこ, 写真提供:川嶋 亨

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