料理界の若き才能の発掘、指導を目的としたサンペレグリノ ヤングシェフアカデミー国際料理コンクール。そのアジア予選が2024年10月香港で開催された。日本から参加した一之瀬愛衣シェフをはじめ、10人のシェフたちの挑戦から見えてくるものとは。
2024年10月末、サンペレグリノ ヤングシェフアカデミー国際料理コンクルール(以下SPYCA)のアジア予選が香港で開催された。アカデミーは、才能と情熱をもった30歳以下の若きシェフたちを世界の舞台の入口へと導き、各国のトップシェフら料理界のキーパーソンとの交流の機会を与え、教育・指導に加え、さまざまな経験の機会を提供することを目的に2015年に創設された。コンクールはコロナ禍を挟み、今回で6回目を迎える。世界を15の地域に分けて地区大会が行われ、イタリア、ミラノで開催されるグローバルの決勝戦への出場権を得るという流れだ。
千人を超える応募者の中から、イタリアの料理教育機関の最高峰であるALMAの専門家によってアジア地区大会のファナリストに選出されたのは、シンガポール『Labyrinth』のウィリアム・イー、タイ・バンコクの『Elements, inspired by Ciel Bleu』のヌシタ・ウッティディッチ、香港『Belon』のアーディ・ファーガンソンをはじめインドネシア、韓国、そして日本を代表する7か国10人の料理人だ。日本からは会員制レストラン『SOLUNA』を拠点に世界で活躍するフリーランス料理人、一之瀬愛衣シェフが出場した。
予選、決勝戦ともに審査員団が世界的な有名シェフで構成されるのもコンクールの特徴だ。今回のアジア予選も客観的かつ適切な審査を行うため、アジア全域の異なる国や食文化をバックグラウンドとする熟練したシニアシェフの中から、活躍が際立つスターシェフたちが審査員に選ばれた。2024年『アジアのベストレストラン50』で5位に輝いた香港『Wing』のヴィッキー・チェン、同ランキングで最優秀女性シェフの受賞経験があるシンガポール『Lolla』のヨハンヌ・シーシェフ、そして日本からは『MUNI Kyoto by 温故知新』のエグゼクティブシェフとして『MUNI ALAIN DUCASSE』も率いるアレッサンドロ・ガルディアーニが選ばれた。イタリアにルーツを持ち、モナコ、ロンドン、パリと各国で経験を積んだ後に日本で活躍するガルディアーニは、早い段階で国際的な舞台での仕事を意識してキャリアを積んできた料理人だ。予選会本番前、大会の意義と審査について話を聞いた。
「一流の料理人を志すならば、異国の文化に触れることは必ず役に立つ。私自身、長いこと拠点としていた欧州を離れ、日本で仕事をするようになって、非常に多くのことを学んでいる。食材の素晴らしさ、日本人の仕事の正確さ、地方の豊かな食文化などは、イタリア人でありフランス料理人である自分の料理の創造力を磨いてくれました」
審査は、素材本来の魅力を生かし優れた味わいを引き出す「技術力」、革新的な視点を探求し、料理に関する個人の哲学を伝える「独創性」、そしてガストノミーの世界に対するビジョンや、食を通した現代社会への貢献を一皿のシグネチャーディッシュを通じて発信する「信念」が評価基準とされている。とりわけ重要なのは「信念」の部分ではないかとガルディーニシェフは話す。
「素材を生かし“おいしい”と思える味を作り出すのは前提で、世界で勝負するにはその先が重要になる。一皿を食べ終えた人の感情に訴えるメッセージ、ストーリーが確固たるものとして自身の中にあり、それをきちんと皿の上に表現できているかが大事です。つまり、料理が何を語っているのか」
ファイナリストに残った10人のシェフたちは「メンター」と呼ばれる先輩シェフとタッグを組み決勝戦本番のプレゼンテーションに備えるのもSPYCAの大きな特徴だ。メンターはヤングシェフたち自らの指名で選出されることが一般的で、通常は、勤務しているレストランの料理長などが務めることが多い。店に属さない一之瀬のメンターは、『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ丸の内』の総料理長、ステファノ・ダル・モーロが務めた。
大会当日は、会場となったの薄扶林(ポクフーラム)にある国際料理学院(ICI)の広い実習用キッチンが出場者ごとの区画に区切られ、それぞれがメンターと共に準備を行う。本番にあたるプレゼンテーションは別室で、各国からの報道陣が見守る中、一列に並ぶ審査員にシグニチャーディッシュをサーブし、プレゼンテーションをする形で行われた。制限時間は1人15分で、サーブとプレゼンテーションの後に審査員からの質疑を受ける時間も確保せねばならないと、なかなかタイトだ。
ミシュランガイドや「アジアのベストレストラン50」にランキングするなど、国際的に知名度のあるレストランに所属するシェフのプレゼンテーションにはおのずと注目が集まるが、「30歳以下」という条件から、どのシェフも現時点では等しく個人としては無名の原石だ。ガルディアーニをはじめとする審査員陣も、出場者は「初めて知るシェフがほとんど」と、口をそろえる。10人のプレゼンテーションは短い時間の中に笑いあり、涙ありで、会場を盛り上げた。優勝は香港『Belon』のアーディ―・ファーガンソンが獲得。2025年10月にミラノで行われる決勝で、15地域の代表と世界一を争う。
『Hope for the Future of Food』と題し、絵巻物をあしらった一皿を用意した一之ノ瀬。残念ながら本戦への出場はならなかったが、「参加することができて本当によかった」と、話す。
「日本国内で同世代のシェフを見渡すと“目立ちたくない”と考える人がとても多いように思います。でも海外のシェフと話すと、同世代で修業中の身でも環境問題やサステナビリティについて考えている人はとても多く、それが食の世界の共通認識なんだと気づかされました。審査員の方々をはじめ、大会を通じてお会いした世界のトップシェフのすごさも、改めて感じることができました」
自身も「目立ちたいわけではないけれど」と前置きしつつ「自分や自分の料理を支持してくれる小さなコミュニティに囲まれて満足するより、食の素晴らしさ、毎日の暮らしの中にある食の大切さを多くの人に伝えられる料理人でありたい」と、話す。一之瀬いわく、語学力やプレゼンテーション能力など、足りない部分に気付かせてくれるのも、公の場で評価を受けるコンクールならではで、それが成長の糧になる。出場者の中でもひと際若く、あどけなく見えるように感じるが「根はアグレッシブです」と、笑いながら話す表情は頼もしく、「毎日が挫折と反省の連続でした」と言いながらも、一流店の厨房を生き延びてきたタフさも窺えた。
「何より、日本で生まれ育ち、健康で、進路や職業を自分で決められる環境にあったことをありがたく思っています。世界には自分で好きな仕事を選べない地域や社会に属する人もたくさんいるので。だからこそ、料理を志した以上、料理を通じて“世界をよくする”ことに貢献していく責任があると考えます」
一之瀬愛衣
1997年、滋賀県生まれ。調理師専門学校を卒業後『ランベリー京都』、銀座『エスキス』等で腕を磨き、2018年『LURRA°京都』の立ち上げに携わり、部門責任者を務める。2021年株式会社満を設立、代表取締役として完全予約制限定レストラン『SOLUNA』を開きつつ、全国、世界を旅しながら料理を続けている。
2017-2018年に開催された第3回大会で、日本代表の藤尾康浩(現京都『middle』オーナーシェフ)がワールドチャンピオンを獲得し、ガストロノミー業界では注目を集めたSPYCAだが、日本からの参加者が少ないのは課題だ。それは日本の料理業界の体質にも課題がある。参加条件には30歳以下という年齢制限に加え、レストランまたはケータリング会社で1年以上「コミシェフ」「シェフ・ド・キュイジーヌ」「シェフ・ド・パルティ」「スー・シェフ」として勤務した経験が求められるが、日本で30歳までにその地位を与えられる料理人は極めて少ない。また慢性的に人手不足が叫ばれる業界で、コンクールのために人員の穴を開けられないという事情もある。英語を日常的に使うアジア各国の若手料理人に比べ、日本人は英語力に乏しいのも一つのハードルだろう。
しかしながら、トップガストロノミーの世界は近年、ますますボーダレス化が進んでいて、技術とセンスに抜きん出た料理人が活躍する場は、世界に開かれている。ガルディアーニのように、自身のルーツと、料理の分野と、活躍の拠点それぞれを異にすることは、もはやスタンダードになりつつある。「料理」を志した若者たちが、技術と表現を武器により広い世界で可能性をつかむために、日本のレストラン業界でもSPYCAの真の意義が認知され、挑戦の輪が広がることを願うばかりだ。
問い合わせ先
https://www.sanpellegrino.com/jp/jp
Instagram
@sanpellegrino_jp
Text: 佐々木ケイ