“料理人”は災害時の重要なインフラ 温かい食事のため行動したシェフ達を追う


元日に石川県能登半島で発生した最大震度7の地震。多くの人が避難を余儀なくされるなか、現地では地元の料理人達が炊き出しを始めていた。料理で被災者を勇気づけている彼らも、また被災者だ。そんな彼らをバックアップする輪も、瞬く間に広がっていった。震災後、いち早く動いた料理人達を、災害時の料理人の必要性を提唱する「HAJIME」米田肇シェフへのインタビューと共に紹介する。

text:つぐまたかこ
「美味しい」で人と企業と地域を元気にする食プランナー・フードライター。石川県金沢市を拠点に執筆、地域食材や生産者のブランディング、商品開発、イベント企画などに携わる。

輪島市では、「ラトリエ・ドゥ・ノト」を中心に、近隣の飲食店、WCKのチームも加わり、被災者への炊き出しを続けた。
即席の厨房で温かい食事を提供し続けた。

震源地の能登から130km離れた金沢での体感

長い横揺れだった。2024年元日。その日は冬の北陸にしては珍しく、朝から温かな日差しが降り注ぐ穏やかな正月だった。その太陽が西に傾いてく午後4時過ぎ、けたたましいアラートが鳴り響いた直後、何の音かわからないがガタガタという音と共に、ゆっさゆっさと家が揺れた。収まったかとほっとしたのも束の間、その数分後、再びアラート。午後4時10分、前よりも強く長い横揺れが始まった。

棚から本が飛び出し、キッチンからは何かが割れる音がする。しかしそのとき私は「これ、危ないな」と、普段から不安定な場所に置いていることを気にしていたワイングラス2客を両手に持ち、部屋の真ん中でしゃがみ込み、倒れてくる棚や飛び出してくる本を「わぁー」などと声を上げながら眺めていた。今思えばかなり滑稽な姿なのだが、そのときは冷静に動くことなどできなかったのだ。頭の片隅に、29年前に体験した阪神大震災がよぎる。当時、私は兵庫県西宮市の実家に住んでいた。石川県金沢市に移り住んだのは、今から約25年前のことだ。

ここ数年、能登では地震が相次いではいたし、2007年には最大震度6の地震も発生した。しかし、今回は違うような気がする……。そのぼんやりした不安が現実味を帯びるのに、そう時間はかからなかった。津波警報が発令され、テレビの画面には倒壊した家屋が映し出されている。SNSでは現地の映像や画像が流れてくる。被害の様子は、時間が経つほど深刻さを増してきていた。
「能登の人達は大丈夫だろうか。あの店は、あの生産者は、あの人は無事だろうか」。正月気分は一気に吹き飛び、テレビを付けっぱなしにしてスマホを操作し続けた。災害時に直接被災地へかける電話が迷惑なのは百も承知なのでメッセージを送るのだが、なしのつぶて。だから、SNSを見続ける。あの店、あの生産者、あの人達が、あるいはまわりの人達が、何かを発していないか、と。

「生きています」。そして「炊き出し、します」

発災後、炎に包まれる市内の様子。(写真提供/池端隼也)

その頃能登半島では、深刻な通信障害が起こっていた。電波の繋がる場所まで出てきて「大丈夫、生きています」と返事をくれた生産者さんや、SNSで「電波が通じないけれど無事です」と発信するシェフがいて少し安心すると同時に、被害の甚大さが明らかになってくる。

能登半島の先端近く、海沿いの道路にはいくつもの土砂崩れが起こっていた。大動脈の道路も崩落したり、土砂や倒木に遮られたり。珠洲や能登町の海辺の町は、津波が押し寄せていたらしいという情報が届く。テレビやSNSで届く能登の町の姿は、何度も通った見覚えのある風景とは一変していた。手が震える。

輪島の朝市通りの映像が突然目に飛び込んできた。ビルが横倒しになっている。火災も発生しているようだ。地図を見る。近くには、「能登を世界一の食の街にしたい」と常々話してくれていたシェフ・池端隼也さんの店、フランス料理の『ラトリエ・ドゥ・ノト』がある。
「どうか無事で!」祈りながら池端さんのSNSを開くと、画像がアップされていた。割れた窓、倒れた家具なのか建材なのか、散在している木材——。店はこの状態だが、無事だという短いメッセージに、ほっとして力が抜けた。

ほどなく、奥能登だけではなく、中能登と呼ばれる七尾市もかなりの被害を受けていることがわかった。老舗の醤油蔵や漆器店、和蝋燭の店が建ち並ぶ、一本杉商店街の映像が流れた。斜めに傾く建物、屋根に押しつぶされたような家屋。この商店街には『一本杉川嶋』という日本料理店がある。ふるさと能登への愛に溢れ、能登の食材を誇らしげに語る若き料理人・川嶋亨さんの店だ。彼もSNSに自分の店の写真を載せていた。築90年以上の有形文化財の建物は、外壁が崩落している。美しいカウンターは傾き、修業時代から収集してきた器も被害を受けている。その投稿には、家族と従業員全員の無事を確認したこと、当面は休業を余儀なくされること、そして、驚くことに、「明日から炊き出しを予定している」と書かれていた。

被災した料理人の炊きだしを支えるチームの連動

2020年、七尾市一本杉通りで開業した「一本杉 川嶋」の川嶋亨さん。発災翌日にチームを立ち上げ、4日から七尾駅前の商業施設パトリアで毎日炊き出しを行った。(写真提供/川嶋亨)

石川県内で避難所に身を寄せている人は、発災翌日の2日午前8時現在で、少なくとも3万251人と推定されていた。車中泊や避難所以外にいる人を合わせると、もっと数は増えていたはずだ。その人達の多くは着の身着のまま。夜になると寒いし、お腹もすいてくる。「温かい食事を」と、料理人が立ち上がったのは、使命感だったに違いない。

『一本杉川嶋』の川嶋さんは、被災した翌日の1月2日には炊き出しのためのチームを立ち上げた。メンバーを募ると、地元の料理人や近所に住む人が集まった。食材を持ち寄り、1月4日から七尾駅前の商業施設に集まって炊き出しを開始したそうだ。この商業施設のキッチンを拠点に、周囲の避難所に料理を届ける仕組みを徐々に構築していった。

同じ七尾市にある、イタリアンオーベルジュ『ヴィラ・デラ・パーチェ』のシェフ、平田明珠さんは震災当日、東京にいた。翌日、悪路のなか車を走らせて能登に戻り、ガスと電気が使えることを確認すると、店に残っていた食材でカレーを作って周囲の集落に配ったそうだ。その後、避難所になっている小学校で、七尾市の職員から引き継ぐ形で炊事担当を任された。

壊れた店の写真と共に「無事です」とSNSに投稿していた『ラトリエ・ドゥ・ノト』の池端さんも、被災した店から食材を持ち出し、炊き出しをしたシェフだ。近くの料理人達と協力して、カセットコンロと鍋の即席キッチンを路上に作り、温かい料理をふるまった。

2016年の熊本地震をきっかけに発足した石川県内の料理人団体「北陸チャリティーレストラン」。
そのメンバー達が現地で奔走する料理人の活動を支えていた。

一方、被災地で炊き出しをするシェフたちをバックアップしていた仲間もいた。金沢のシェフ達を中心にした有志の集まり「北陸チャリティーレストラン」というチームだ。このチームの始まりは8年前。東日本大震災でのボランティア活動をしていた人と共に熊本地震の支援金を集めるため、志を同じくするシェフたちが集まり、金沢市内でチャリティーレストランを開催した。その後も東北や熊本との交流を続けている。

「北陸チャリティーレストラン」が動き出したのも、震災直後だった。炊き出しを手伝いに能登に向かうシェフがいる一方で、食材を購入するための資金を広く集める働きかけをした。またセントラルキッチンを確保して、現地のシェフたちが必要な食材を発注し、下調理したものを能登の避難所に届けるスキームを作り上げた。隆起や渋滞で道路事情の悪い能登への配送を担うプロのドライバーも一員になっている。彼らの思いは「被災した人達にあたたかい食事を」。被災地のシェフたちと同じ思いなのだ。

支援のその先の仕組み作りを…米田シェフの思いとは

コロナ禍では、飲食業界への助成金や補償制度の実現などを政府に掛け合った経緯をもつ米田肇シェフ。能登地震では発災直後から、政府や支援団体と現地を繋ぐハブとなった。

現地の料理人たちが炊き出しに奔走している頃、大阪では『HAJIME』の米田肇シェフがあちこちに連絡を取っていた。
「大阪でもかなり揺れましたから。広域の災害なので、向こうのサポートができるようにしておいたほうがいいと、すぐに食団連(一般社団法人日本飲食団体連合会)に連絡しました。とはいうものの、最初の72時間は救助隊が優先で入らなくてはいけないので、『行かないように!』というメッセージも広く投げかけていました。東日本大震災の時は、助けに行きたい人、送りたいものが大渋滞を起こしてしまっていた。これを繰り返してはいけない、と」

人脈を駆使して内閣官房、石川県庁、災害支援や海外人道支援を行うNPO「ピースウインズジャパン」、自然災害の発生時に食事を提供するNPO「ワールドセントラルキッチン(WCK)」などと連絡を取り合い、支援の道筋を照らしていくなかで、米田シェフはある料理人のことを思い出したそうだ。料理の専門学校で同級生だった『ラトリエ・ドゥ・ノト』の池端さん。先に紹介した、輪島で被災し、路上で炊き出しをしていたシェフだ。
「2015年に再会したとき、池端くんは、“生まれ育った輪島は高齢化が進んでいる。僕は料理しかできないから、その料理で何か輪島に役に立ちたい”と言っていて、翌年その言葉通り輪島にレストランを開きました。震災後、彼に連絡を取り、食団連に共有したいので被害状況を知らせてほしいと、またそのことをSNSで仲間に広めてほしいと伝えたんです。また、WCKから現地に入りたいという要望があったので、石川県庁に繋ぎました。さっそく1月7日に、池端くんとWCKが一緒に炊き出しをしている写真が送られてきて、“少しは役に立てたかな”、と思ったんです」。

その後も米田シェフは動き続けた。さまざまな団体に協力を仰ぎ、また力を貸しながら支援の道筋が何本もできあがってきた。物資援助や資金援助のための窓口も立ち上げた。なぜそこまでするのだろう。その原点は、東日本大震災の時だった。米田シェフは言葉を続ける。
「“どうして自分はこんな料理を作っているんだろう”と思いました。ラーメン屋さんとかうどん屋さんだったらよかった、すぐに温かい料理を提供することができるのに、と。僕らが作っているのは日常食とは違う。それでも被災地の力になりたくて、 仲間のシェフ達に声を掛けて現地に行きました。そこで作ったのは、ハンバーガーとオニオングラタンスープ。バーガーのバンズなんて、ビーツを練り込んでいるので真っ赤ですよ。できあがったものを皆が喜んでくれるのか不安になっていた時、ひとりのおばあちゃんが近づいてきました。そして言ったんです。“おじいちゃんも子どもも流されてしまったけど、こんなハイカラな料理を食べられて……生きててよかった”って」

東日本大震災の際に米田シェフたちが提供したハンバーガーの、ビーツが練り込まれたバンズ。

今回の震災での料理人たちを見て、彼らが作る温かい料理を食べて、多くの人が料理の力を知ったはずだという米田シェフ。料理人も自分の価値を改めて感じたに違いない。米田シェフは震災から10日経った1月11日、七尾市で炊き出しをしている川嶋さんに連絡を取った。
「自分も被災しているのに、避難所向けにチームを組んで500食を作っていると言っていました。“こんなときですから、料理人として何ができるのか。最初はお腹を満たすことが優先でしたが、今は心を満たすフェースになっているので、料理が勇気と希望になればいいです”と。素晴らしいと思います。今回は、被災しながらも地域のために料理を作る料理人がいて、彼らを支援するために多くの人が動きました。でもまだ、バラバラに動いていた部分も多かった。情報統制がされていなくて、共有できていないこともいろいろ出てきた。いらないものが届いて、それが避難所のストレスになったり。今後は、救護隊を優先する72時間のあと、誰が何を支援するのか、何を送り込むのか、有効な支援を必要なところに届けられるように、話し合う必要があると思っています。イタリアでは、国主導の災害専門機関があって、支援ボランティアも国が管理していて、職能支援者として、国から要請を受けた人が活動できるように料理人やトラック運転手が300万人いるそうです。日本も、イタリアのようにシステムを作るべきだと思います。そのためには、まず被災地の料理人を集めて、災害が起こった場合に、何が必要でどうすればよいかを聞けばいい。それを整理して、次回は……ないほうがいいけれど、そのときのために共有することが大切です」

商業施設パトリアで作った温かい料理を、市内の各避難所へ料理を届ける。(写真提供/川嶋亨)

あの地震から約1ヶ月がすぎ、支援を続けるチームを残してWCKは引き上げている。被災した料理人達も炊き出しを一旦終了し、ようやく自分達の今後に正面から向き合う時間ができたようだ。炊き出しが必要なところには、継続して「北陸チャリティーレストラン」や全国からの応援が力を貸している。少しずつではあるが、前に向かって動き始める時期が来ているのかもしれない。米田シェフは言う。
「これから先、復興するために街をどう作るのかを考える機会が必ずあると思います。その話し合いには、料理人は必ず入ったほうがいい。政治家に任せるとコンクリートの四角いまちになってしまうから。とはいうものの、日本は優しいですよ。政府も県庁も、すぐに動いてくれる。夜中に電話をしてもどこかに繋がる。皆がなんとかしようと一生懸命なんです。よく“政治って動かない”っていうじゃないですか。でも、決してそんなことはないんです。声を挙げたら動くという経験もしているので、やはり声を挙げることは大事です」

今後、飲食店が事業を立て直すためには、多くの資金が必要になってくると考えている米田シェフ。少しでも不安を軽くしたいと、理事を務める食団連が支援金のために立ち上げた基金は『食の文化を未来につなぐ基金』と名付けられている。

能登半島地震 食の文化を未来につなぐ基金への支援金について
⚫︎銀行口座
金融機関:三井住友銀行
支店名:青山支店(258)
口座番号:(普通) 7433549
口座名義:一般社団法人日本飲食団体連合会災害支援基金
⚫︎ご寄付の使い道
お預かりした支援金は、「石川県令和6年能登半島地震災害義援金窓口」をはじめ、飲食店や食産業に携わる事業者・団体へ食団連で決定し、100%寄付をさせていただきます。

北陸チャリティーレストラン「能登半島地震における被災地支援ご協力のお願い」
⚫︎お振込先
ゆうちょ銀行 記号13110
       番号20590611
名義名 ホクリクチャリティーレストラン
【店名】三ー八(読み サンイチハチ)
【店番】318【預金種目】普通預金【口座番号】 2059061
⚫︎ご寄付の使い道
集まった義援金は、炊き出し活動を中心に、被災飲食店及び被災地のために活用させて
いただきます。
なお、参加スタッフの給金や手数料は発生いたしません。
※移動のための燃料費やスタッフの安全性の担保にかかる経費は発生します。

text:つぐまたかこ


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