そんな英才教育が功を奏し、スレイマンシェフも17歳で自分の店を持つことに。しかし、程なくしてシリア内戦が勃発します。内戦で、兄弟9人のうち3人が亡くなり、スレイマンシェフの母は、生き残った兄弟全員に、店を捨て、シリア国外に脱出するように勧めます。
「私はこのドバイに逃れ、英語もわからないままに、ジュメイラ通りのアラブ料理店『オートマティック・レストラン』で働き始めました。2年ほど経った頃、このブルジュ アル アラブの料理長が、ふらりと食事しに立ち寄ったのです。私の料理を気に入った料理長が、よかったら働かないか、と声をかけてくれて、面接、料理の試作ととんとん拍子に進み、この『アル・イワン』の魚と肉の部門料理長になりました」
真摯な働きぶりと創意工夫が話題となり「兄弟がいるなら、呼び寄せて一緒に働かないか」と料理長から声がかかり、3人の兄弟がブルジュ アル アラブが属するジュメイラ・グループに加わります。高級ホテルだけに、顧客も王族やVIPばかり。兄弟の作る料理を気に入った、アラブ首長国連邦の某王族が、全員をお抱え料理人として雇いたい、と持ちかけます。他の3人の兄弟は彼のもとで働くことになりましたが、スレイマンシェフは、ホテルに残ることを選びました。
「父母はダマスカスに逃れ、父の作ったレストランはもうない。この『アル・イワン』を有名なレストランにして、一家の名前を取り戻したい」。
そんなスレイマンシェフは、エグゼクティブシェフになるにあたり、このアル・イワンの厨房を大幅に変革。「アラブ料理の基本は、炭焼きのスモーキーな香り」と、大量に安定した火入れができる電気オーブンの代わりに、炭焼きのジョスパーオーブンを導入。「シンプルに焼くだけ」で、乾いた食感になりがちだったグリル料理の火入れを工夫し、ひとテーブルごとに、食材のジューシーさを残す洗練された料理を提供するように。