遠藤和年というロンドンの幸運。欧州に打ち立てる「自分ルーツ」の鮨処2.0発動


ロンドンの鮨マスターとしてその名を知られる遠藤和年さん。横浜の老舗鮨屋の3代目として生を受けながら、すでに17年を海外で過ごすトップシェフだ。「おまかせ」で勝負する旗艦レストラン「Endo at the Rotunda」の舞台裏を、改修直後の再オープンに合わせて伺った。

人は五十にして天命を知るというが、その歳をわずかに超えたばかりの鮨職人、遠藤和年さんもその領域にあるようだ。「自分のルーツと天命をようやく腑に落とすことができた」。オーナーシェフとして運営する「Endo at the Rotunda」の改装後再オープンに際して、そんなふうに語ってくれた。

遠藤和年 / Endo Kazutoshi(写真上 ©︎Benjamin McMahon)といえば、英国内の業界で知らぬ人のいない和食界のスーパースターだ。現在5つ星ホテル内レストランをはじめ5つのブランドを展開している。中でも旗艦ブランドの「エンドウ・アット・ザ・ロタンダ」(以下「エンドウ」)は、食通なら誰もが憧れる欧州トップクラスの鮨レストランである。

2019年のオープン後、5ヵ月半でミシュラン一つ星を獲得し、現在は英国レストラン・ランキング15位(日本食では1位)。西ロンドンのメディア地区ホワイト・シティにある元BBCテレビ局ビル最上階がその舞台。眺めのいいカウンター空間で日々、軽妙なトークを交えた究極の「Omakase」18コースを提供している。

そのエンドウが約半年の大改装を終え、9月17日にバージョン2.0にシフトした。今回は茶事で言う「一座建立」をイメージ。スタッフとゲストがゆったりと心を通わせ、気軽に交流できる待合ラウンジをしつらえることで、地上9階の絶景空間をさらに心地よいものにしていくのだという。

建築家、隈研吾さんが手がけた内装。波打つ紙の天井とヒノキの鮨カウンターが目を引く美しいダイニング。

遠藤さんの鮨人生は、生まれた時から定められていた。祖父が1940年に創業し、父が引き継いだ横浜のすし屋の跡取りであり、後世へ譲り渡す役割があった。家業なのだ。

幼少時から生け花、書道など日本文化の素養を身につけさせられた。そして柔道で奨学金を得て国士舘大学へ。体育教師になる道をひそかに温めていたが、大学を卒業するといよいよ腹をくくる時がきた。

「当時は包丁も持っていなかったし、魚の名前もほとんど知らなかった。いきなり板前の世界に入り、かなり荒れましたね」と遠藤さん。しかし26歳の時に転機が訪れる。銀座きよ田に客として訪れ、「この世にこんな旨い鮨があるのか」と唸った。その鮨を握れるようになるにはどうすればいいのか。死ぬ気で考え、そこへ至るロードマップを自分の中で作ったのだという。

下積みを重ね、最終的に大野晃稔さん(名古屋・鮨処成田)の元に2年間弟子入り。渡英するきっかけとなったのは2006年、ロンドンにおけるモダン高級日本料理店の先駆けであるZumaの創業者ライナー・ベッカーさんに、知人を通して声をかけられたことだ。渡英は断り続けたが、説得も続いた。

ベッカーさんの最終的な口説き文句がイカしている。「東京は君にすし業界を背負ってほしいとは思っていないが、Zumaを率いるということは、ロンドンのすし業界を背負うことでもある。30代でそれができたら男冥利に尽きると思わないか?」

それから8年、実質的なZumaの厨房リーダーとして、運営責任も任されつつ精力的に活躍。世界に7店舗のZumaをオープンさせ、大きく貢献された。そして独立。エンドウのオープンへと続いていく。

名刺代わりの第一コース「ビジネスカード」。アイディアが愉しく人柄が伝わる。イングランド南西部沖のマグロ。
左上から時計回りに、山田錦の藁で燻した英国産シートラウト、太白胡麻油で少しだけ火を入れ風味を引き出したスコットランド産ランゴスティン、時間をかけてイチジクの葉で香りを付けたハマチ、大トロ。
イングランド南西部の漁場にある日本の魚屋が届けてくれたヒメジを、自家製ポン酢、土佐酢のジュレで。

エンドウではあらゆる点にこだわるが、中でもシャリへのこだわりは尋常でない。

江戸前鮨伝統の赤シャリ。祖父から伝わる赤酢をアレンジしてたどり着いた独自レシピで、砂糖は入れない。丸々とした福岡産米を艶やかに炊き上げ、まろやかで旨味のある赤酢がほどよく染みた米粒の、確かな歯応えを楽しむ。主張のあるお酢が、旨味の強いネタにスッと馴染んでいく。

おまかせ18コースを調理していくなかで、4度は米を炊くと言うから驚く。米粒の状態を見て、味の調整のためシェフの勘で細やかな指示が飛ぶ。

すし酢に関して以前は祖父の親方のレシピを採用していたそうだが、いつしか祖父のレシピに返ることにしたという。自らのルーツに戻り、己がすでに持っている宝を見る。こういったシェフの個人的な「温故知新」が今回、新たな理念として浮上してきた。

温故知新の取り組みには、例えば子イカを100年前の江戸前鮨の伝統に則った自然手法で熟成させると言ったことも含まれる。またヨーロッパではなかなかお目にかかれない平貝の食感を再現しようと、ホタテを昆布じめにして余分な水分を取り、歯触りを似せるなど面白い試みもある。

麹バターでわずかに火入れしたコーンウォール産ロブスター・テール。しめじ、椎茸、ムール貝の酒蒸し、海藻。
エンドウのシャリは欧州だけでなく日本から訪れるすし愛好家たちをも唸らせている。写真左:©︎Benjamin McMahon
備長炭で火入した宮崎牛。オイスターマッシュルームのポン酢和え、トマト、生姜出汁に漬けた日本産レンコン、味噌ソース。

コースの最初にまず、「名刺(ビジネスカード)」に見立てた手巻きが差し出される。自慢の赤シャリにコーンウォール産の大トロ、静岡産ワサビ、職人の醤油を併せ、備長炭で風味を上げた最高級海苔でカードのように包み、キャビアをのせた逸品に思わず顔がほころぶ。不思議な高揚感が、最後の一品までまるで遠藤シェフの別邸でもてなされているかのように、和気あいあいとした空気の中で続いていく。

「料理は食材の生産者、物流チームやシェフたち全員のコラボレーションの賜物です」と遠藤さん。宇宙がさまざまなエレメントでできているように、鮨一貫にも無限の宇宙が詰まっている。そう教えてくれる遠藤さんの表情は柔らかい。

最良の食材を確保するため、生産者との信頼関係は欠かせない。最高のものを最高の状態で食べてもらうための努力は決して惜しまず、その実りは豊かだ。あり得ない上質素材がシェフの目利きで方々からロンドンに集まり、ここエンドウで見事なハーモニーを奏でていくのだ。

コースが終わるとシェフ自らがメニューに筆を入れて完成させる。写真左:「一座建立」をテーマにした新しいラウンジ。©︎Benjamin McMahon

ロンドンではオープンキッチンで厨房を見せるシアター・スタイルのレストランが大流行りだが、エンドウの劇場は一味も二味も違う。主役の遠藤シェフが熟練の役者のように立ち振る舞い、握りは提供される直前、弟子たちがシトラスの魔法をふりかける。エンターテインメント性がとびきり高い。

世界的な評価も高くなり、今や未訪の食通が憧れと畏敬の念をもって語る存在となった。その思いを知ってか、遠藤さんは「敷居なんてないない」と笑いながらこう言う。

「すし屋なんで、気軽に訪れてもらえれば嬉しいです」

確かにここは楽しく充実した口福時間を過ごせる場所であることは間違いない。「気軽」になるかどうかはあなた次第。まずは通ってみるしかない。まさに日本でお気に入りの鮨屋に通うように。

シェフは今、世界的な美術出版社との契約で自身の哲学を後世に残すための本を執筆中だそうだ。海外で活躍する日本の老舗すし屋3代目が綴る鮨フィロソフィー。どんな内容になるのか、今から楽しみだ。

自分が信じた道をゆく。これほどカッコいいことはない。遠藤シェフのロードマップの終点には何があるのか。その地平が見渡せる場所に今、彼は立っているのだろう。

Endo at the Rotunda
www.endoatrotunda.com

text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni

関連記事


SNSでフォローする