米スターシェフ、ジャン-ジョルジュ氏のもとで学んだ若き韓国人女性シェフ、キャリアの築き方と伝えたい「京都らしさ」とは


ニューヨークのスターシェフ、ジャン-ジョルジュ。旅にインスピーレーションを受け、フランス料理にエキゾティックなスパイスを合わせたモダンな料理で、今や世界に知られている。

そんなジャン-ジョルジュが、京都・祇園の新門前町に、アートをテーマに2021年にオープンしたホテルThe Shinmonzen 内にJean-Georges at The Shinmonzenをオープン。安藤忠雄氏が設計した、わずか9室のラグジュアリーホテルらしく、こぢんまりとした目の届くサイズのインテリアが印象的だ。この厨房を率いるのが、韓国・ソウル出身の、ハナ・ユーンシェフ。

NYの名門料理学校、カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ(CIA)時代から、ジャン-ジョルジュの旗艦店で研修をはじめ、そのまま就職した生え抜き。21年にはスーシェフとなり、今年春に、シェフとして京都にやってきた。ジャン-ジョルジュ流のリーダーシップのあり方、そしてこの京都で表現したいものとは。

「NYからやってきたシェフ」と聞いて、豪快なイメージを抱く人も多いかもしれないが、ユーン氏は小柄で華奢な女性だった。ソウル出身で、子供の頃から、手先が器用。ものを作ることが大好きだったのだという。「物心ついた頃には椅子に乗ってパンケーキを焼いたりしていた」ほどの料理好きだったが、会社経営の父は、5歳年上の兄と共に、ユーン氏に自分の会社を入ることを期待していた。12歳の時に「シェフになりたい」と伝えると、とても反対されたという。

「今から18年前、韓国にはファインダイニングで活躍している女性シェフはいなかったので、偏見があったのだと思います」中学を卒業したら料理を学べる高校に行きたいと考えていが、父が会社を持っている上海に半ば強制的に引越しさせられてしまった。

「両親は、環境が変われば、そんなことは考えなくなるだろうと期待したようなんです。でも、家族でTVを見ている時に、料理番組が流れるたびに『自分は何をしているのだろう』と涙が出て止まらなかった。それを見た両親は、徐々に考えを変え、ユーン氏は「英語が学べるから」とNYの料理学校、CIAへ。

「それまで、手先の器用さや創造力には自信があったし、女性シェフが少なかったから、すぐ自分はナンバーワンになれるだろう、とたかを括っていたのです。でも、NYに行って、とんでもない間違いだったと気づきました」。最先端のニューヨークに世界から集まったクラスメイトは、すでにプロの厨房を経験した上で技術の向上を目指して入学した人も少なくなく、自分の実力不足を思い知った。

「韓国人のグループもあったけれども、そこにいては英語も料理も上達しない」と、特に料理に熱心な多国籍な友人たちと、休みの日には学校内でポップアップレストランをしたり、寮についている厨房で、故郷から届いた食材を試しあったり、お互いの国の味を料理して食べたりと、料理漬けの生活を送るように。

研修は、「最高級の食材を使って革新的なアプローチの料理を作り、忘れられない食事体験を生み出していた」という理由で、ジャン-ジョルジュ氏の旗艦店へ。時間外の仕事は禁じられていたが、仕事の習熟度を上げるために、毎日こっそり始業の2時間前から来て仕事をしていたという。「もちろん、見つかって怒られました。今となっては、それは、チームにとってよくないことだと分かるのですが、当時は少しでも料理ができるようになりたい、と必死だったのです」

そんな努力が実り、研修が終わった時には「卒業したらうちに来なさい」と当時のヘッドシェフに声をかけられるほどに。その言葉を信じ、卒業の際に真っ先に連絡、採用されたのだという。

ジャン-ジョルジュグループでは、女性が多く活躍している。左はグループの料理ディレクターを務める、エミリー・ジオーク氏

その後順調にキャリアを重ね、2021年にはスーシェフに。しかし、身長150センチ余り、女性シェフとしても小柄で華奢なユーン氏。タフな印象のあるNYの厨房を取り仕切ることは難しくなかったのか。

「アメリカのリーダーシップには、色々なスタイルがあると思います。普段のことも相談したり、先輩が家族のようにケアしてくれ、フレンドリーなのがジャン-ジョルジュのチームの特徴。でも、一般的にアメリカでは、言葉数が少なくて厳しさでチームを率いる、軍隊型のリーダーシップもあります。例えば、大きなパーティーなどが行われるときに、そういうった厳しいリーダーシップを持つシェフが上手に仕切れるだろうと思われることもある。でも、私の強みは観察力。チームの一人一人の表情をみて、どんなものを求めているかを推察するのが得意」。

そんなリーダーシップの形が認められ、今回の京都の店を任されることになったというが、ここまでの道のりは順風満帆だったのだろうか。

「とんでもない!元々、すごく失敗するタイプなんです。それも、今も『伝説』として語り継がれるようなすごい失敗ばかり」と笑う。ゲストの目の前で、ワイングラスに肘をぶつけ、ドミノのように20脚ほどを倒して壊したり、1000ドルもするようなナッツを全部、丸焦げにしてしまったり。「もちろん、とても怒られました。でも絶対に諦めなかった。泣きながら家に帰って、翌朝はちゃんと気持ちを立て直して厨房に行く」。それは、家族に反対されながらも、やっと念願の仕事ができた、という気持ちよりも、「ただ純粋に仕事が好きで、仕事場にいるのがとても楽しかったから」なのだという。「特に全てが歯車が噛み合ったような、チームが完璧に連携した瞬間の感覚は最高です」。

そんなハーモニーを、この京都の厨房でも生み出していきたいという。日本語は今勉強中だが、マネージャーでパリのプラザ・アテネをはじめ、長年デュカスグループで経験をつんだ料飲部長のアントワーヌ・ジュフー氏など、バイリンガルのスタッフの助けも借りながら、この場所ならではの「調和」を生み出している。「36席のここのチームは12人でうち厨房は9人。120席もあって、40人のスタッフが働いていたジャン-ジョルジュの厨房とは違います。休みをカバーするために、全員が全ての工程を理解する必要がありますし、コミュニケーションを密にとってお互いにサポートしています」。

日本に来て、NYでは手に入らなかった昆布や、ホタテなどの海産物、柑橘類の素晴らしさに魅了されているというヨーン氏が、特にここから発信したいのは、京都の食材の素晴らしさ。「例えば、今の時期は唐辛子。NYでは主にメキシコ産のものを使っていましたが、日本の唐辛子は、メキシコや韓国のものと違い、辛みではなく、甘味と香りが強いのです」ヨーン氏自身、元々は辛い食べ物が好きだったが、4ヶ月京都で暮らすうちに、味覚が日本に適応し、辛いものが食べられなくなってきたという。

食材の40%以上、野菜に関しては半分以上が京都産だ。

「今特に気に入っているのが、赤万願寺唐辛子。平井牛と合わせて提供しています。そのほかにも、市場に行っては新しい食材を買ってきて、自宅の台所で試作をするのが楽しくてたまらないのです」という。

NYにいた時代と比べて、故郷のソウルとは近くなったものの、5月の就任以来、仕事が忙しくて帰れていないという。「その代わり、大好きな家族に、逆に京都に来てもらい、ここで料理を食べてもらうことができました」と笑顔を見せる。あれほど反対していた両親も、今ではよき理解者としてサポートしてくれているそうだ。

ここは宿泊客だけでなく、一般のゲストも利用可能。「まだ開業間もないけれども、地元の人にもっと親しみを持ってもらい、家族の祝い事や記念日など、スペシャルな時間を過ごしてもらうようになること」。そんな未来に向けて、ヨーン氏の挑戦が始まっている。

取材・文・写真(一部):仲山今日子

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