アルプス山脈の南端、中央ヨーロッパに位置するスロベニア。知名度は低く、美食のイメージからも遠い。日本の四国ほどの小国を、一人の女性が世界に知らしめた。イタリア国境に近い小さな村にあるオーベルジュ「ヒシャ・フランコ」のシェフ、アナ・ロスさんだ。
動画配信サービスNetfrixの番組「シェフズ・テーブル」に出演するやいなや注目され、世界各国から客が訪れる人気店に。スロベニアの伝統を再構築した独創性の高い料理と、食と社会慈善事業を結びつける活動が評価されて、「世界のベストレストラン50」の「最優秀女性シェフ賞2017」を受賞した。
9月に「ブルガリ東京レストラン」の美食イベント「エピクレア Epicurea」のゲストとして来日したアナさんに、異色の経歴からシェフとして成功をつかんだ道のりについて聞いた。
──ルカさんとのコラボレーションはいかがでしたか。
とても面白い体験でした。アドレナリンが満ちている時にしか生まれない料理もあるので、セッションするのは楽しいし、好きですね。
──今回のメニューで一番のシグニチャーはどの料理でしょうか?
店で唯一長く出しているという意味では、洋梨のデザートです。「バクラヴァ」というバルカン半島の甘い伝統菓子をベースにしています。世のパティスリー・シェフは不完全なものだと思っているようなんですが、その不完全さが好きなんです。私は、シグニチャー・ディッシュは大事だとは思っていない。料理は、常に変化していくものだから。
──移ろって行く感覚ですね。どこか日本人と似ていますね。
決め込まずに、その時の風や自然を感知して、受け入れながら変えていくという考えは、スロベニアにもあるんです。人間なら成長し成熟することもあるでしょう。ものの見方やアプローチの方法も変化していきます。自分が変化することで、自分を取り巻く周囲への見方も変わっていくし、周囲も変わっていきます。ですから、変化することによる失敗は恐れていません。
──今回アナさんが大切にしたコンセプトは何ですか?
どこで料理し、どんな食材を使ったとしても、自分自身を見失わずに、私が作った料理だとわかる料理であること。そのことをもっとも大切にしています。スロベニア東部では豚を多用するので、今回のメインには豚肉を使おうと思っていました。魚はルカさんに築地に連れて行ってもらって、金目鯛、ノドグロ、アマダイを買いました。メインを豚に決めていたので、魚は脂の少ない金目鯛を使うことにしました。
──ルカさんはどうでしたか?
ルカ アーティストというのは、アドリブで料理する要素が強い。アナさんは僕のキッチンで料理を完成させたんです。僕は確実に何かをやりたいし、着地点を理解した上で、やりたいタイプ。でも彼女はその日に様子を見て決めるわ、という感じで、それがすごく印象に残りました。
──ほぼ即興?
ルカ 事前に打ち合わせはしましたが、とてもおもしろい体験でした。
――料理はメロディを聞いているような感じで、気持ちよく自然でした。
準備不足だからアドリブになるというわけでもないと思います。ベストの料理は、そういう瞬間に生まれるものだと思いますし、その後に、それを改良するかもしれないし。
──料理人を目指していなかったとうかがっていますが。
私は活動的な子どもで、語学系の高校へ通いながらスキーやダンスに夢中になり、大会を目指してトレーニングやレッスンに明け暮れる生活を送っていました。でも、怪我をしてしまい、興味のある語学を生かして外交官になる道を目指そうと大学へ進み、キャリアを積んでいました。人生って不思議なもので、その過程で夫と出会って、料理に関わる大きな転機になりました。
──それがご主人とスロベニアで経営されている店「ヒシャ・フランコ」なんですね。夢やキャリアを捨てて、新しい世界に飛び込むことに葛藤や不安はありませんでしたか?
主人の両親の店だったんです。年前に、義父が引退することになり引き継ぎました。私の両親とはもめました。スロベニアでは、料理人は名誉な仕事と思われていなかったから。ただ、私は心の声に従っただけ。大きな決断ではなかったんです。
──でも大きな方向転換ですね。
人生の岐路に立って何をしなければいけないか決断を迫られた時、国際政治や外交を勉強したいと思った。もし自分が何をしたいかがはっきりわかってないなら、最適な学問だったと思うんです。いろんな勉強ができるし。でも、さっきも言ったように、人生というのは流れるもの。夫に出会ってしまった(笑)。それでも、実際にキッチンに入ることになった時は怖かったですけど(笑)。
──料理は独学だそうですけれど、どうやって身につけたんですか?
最初の数年は学びの連続で、いろいろと試しました。泳ぎと同じで、水に飛び込んで覚えたほうがいいこともあるんです。たくさん間違いもしましたけど、ひとつ上手くいったら、ひとつはだめだったのが、7割は上手くできるまでに向上していきました。
──ご主人とヨーロッパの有名レストランを食べ歩いたそうですね。
自分がどういう時にどう楽しいと思うのか。興味のあるレストランに出かけて、そのことをわかっておく必要があると思ったんです。もちろん、印象的な料理を多く体験することで、自分の料理の世界も出来上がっていったと思います。けれども今は、なるべく他の店には行かずに、距離を保つようにしています。
──それはなぜでしょうか。
知らないうちにコピー&ペーストの罠にはまってしまうおそれがあるからです。自分の料理を維持したいなら、他の人の影響を受けすぎないほうがいいと思う。必ずしも気がつかないかもしれないけれど、知らないうちにそういう風になってしまうと思うから。距離をもって体験するのが私は好きです。ただし、オープンマインドでないといけないとは思います。今日、ルカがうなぎや豚を違う形で提供していましたよね。ルカがやったことは、私が決して思いつかないことかもしれないけれど、それをやろうとは思わない。それはルカの料理であって、私の料理ではないから。
cauliflower ravioli, veal liver, hazelnut milk and crab
カリフラワーのラヴィオリ 仔牛のレバー ヘーゼルナッツミルク 蟹
ラヴィオリはゆでた後、さらにビスクのソースで火を通す。ソースはヘーゼルナッツミルクと蟹のマリネをあわせ、その下にはレバーのソテーが。
──アナさんを取り巻く環境はずいぶん変わったでしょう?
2016年、「シェフズ・テーブル」に出演したことで、大きく変わりました。知らない人から声をかけられ、シンガポールなどの世界各地から予約が入るようになりました。スロベニアではウーマンオブザイヤーに選ばれ、大統領からも賞を授与されて、今年は名誉ある「最優秀女性シェフ賞」をいただきました。なによりも両親が、私がシェフであることを誇りにしてくれています。
──アナさんの成功は、国や人々に影響を与え、女性の料理人にとっても励みになると思います。
国際的な賞によって、これまで注目されていなかったスロベニア料理が世界に知られるきっかけとなったことに感謝しています。また、観光にとってガストロノミーが重要であることや、シェフの果たす役割が有益だと人々に伝わったことも、大きな意味があります。この業界で働く女性にとってもそうです。私がポジティブな姿を見せることで、シェフの仕事と家庭のどちらも選べるのだと示すことができます。そして働きやすい環境を作ることも私の役割。関わる人たちがハッピーになることで、結果的にそれが自分にも戻って来ると思うんです。
──女性としても勇気の出るお話でした。ありがとうございました。
Oops! kinmedai landed on the wrong continent Oops!
異世界に来てしまったキンメダイ
金目鯛を豚の背脂を使ってゆっくり火入れし、ユズなどの柑橘で味を調えている。日本と西欧の文化を融合し現場で完成させたひと品。
Ana Roš
スロベニア共和国生まれ。父は医師、母はジャーナリストという家庭で育つ。10代はスキー選手だったが、怪我により断念。外交官の道を目指して大学へ進学し、EUに勤務。夫と出会い、義理の両親が営むレストラン「ヒシャ・フランコ」を受け継ぎ、独学で料理を学びシェフの世界に。スロベニアの伝統と食材を大切にした独創的な料理、食を通じた社会慈善活動が国際的に評価される。2016年に出演したNetflixの番組「シェフズ・テーブル」をきっかけに世界で注目され、2017年には「最優秀女性シェフ賞」を受賞。
民輪めぐみ=インタビュー 御門あい=構成 依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国281号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は281号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。