歴史を繙けばその起源は驚くほど古く、文明とともに進化し、近代にようやく完成を見たジェラート。その原型をアルプス・ドロミテ地方の秘境に訪ねるとともに、ジェラートの聖地、フィレンツェの「今」をレポートする。
甘く冷たく官能的なジェラートは、イタリア人にとって暑い夏を乗り切る強い味方。食欲減退時にはもちろん、病人やペットの栄養補給源だったりもするから驚く。しかしそのジェラート信奉の背景には、何やらDNAにすり込まれているのではないかと思えるほどの壮大な進化史が広がっていた。
夏に冷たいものを欲するのは太古より変わらず、すでに紀元前13世紀のメソポタミア文明では、首都マリの地下に巨大な雪倉庫を造り、雪に果物や発酵乳を加えたものを麦藁ストローですすっていた。古代ローマ時代にはファッビオ・マッシモ5世将軍が、雪で覆った容器にハチミツとミルクを入れて冷却することを考案し、グラニータの原型らしきものが誕生する。いっぽう中近東では、中世にサトウキビから砂糖の抽出に成功し、砂糖を加えたソルベットの原型の誕生と相成ったが、当時アラブ世界では薬用とされ、権力者のみが口にできる貴重品であった。
ところが当時交易が盛んであったシチリアにその製法が伝来すると、エトナ火山には真夏でもたっぷりの雪があり、香しい果物などの材料も豊富。享楽的なシチリア人の手により、最先端の嗜好品としてヨーローパ中の宮廷に伝わっていく。
そしていよいよルネッサンス、人間らしさを貪欲に追求する時代に突入して、ようやくジェラートの原型の誕生となる。当時ヨーロッパでも有数の権力を誇ったメディチ家のカテリーナは、ソルベット好きで「ギアチャイア(ギアッチョは氷の意)」と呼ばれるピラミッド型の氷庫をもち、屋敷の庭を彩る当時大変珍重された柑橘類のソルベットを楽しんでいた。そこに彗星のごとく現れたのが、ジェラート界のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼ばれるルッジェリ。
「ドルチェット・ジェラート」なるソルベットに牛乳をいれたクリーミィなジェラートに近い氷菓で、数多のライバルを押しのけメディチ家宮廷一の菓子職人に抜擢された。カテリーナの輿入れに伴いフランス宮廷でその甘美な代物を披露したところ、フランス宮廷側の給仕たちから猛烈な嫉妬を買い、暴行を受け命からがらフィレンツェに退却することに。しかし折よく、カトリック界の異端者ガリレオ・ガリレイがメディチ家のコジモ3世の厚い庇護を受けてフィレンツェに隠居しており、天文学の研究に没頭する傍ら、温度計、溶解物の水分計度器をパトロンのために開発し、ジェラートの発展の一役を担うという幸運な歴史スクランブルもあった。
ルッジェリの後、メディチ家に重用されたのが、ジェラートの祖として有名なマルチアーチスト、ブォンタレンティ。ルッジェリのベースとガリレオの科学の上に、ハチミツ、卵、ワインなどを加えて、モダンジェラートのレシピを作り、ザバイヨーネなども考案。世紀に大流行したチョコレートも原材料に加わって、人々を魅了する嗜好品としての王道をたどることに。現在でもフィレンツェには彼のジェラート工房のあった道が、ギアッチャイエ通りとして残っており、ブォンタレンティと呼ばれるミルクジェラートは、町一番の人気フレーバーである。
その後、パリのカフェテリア・ブームやアメリカの好景気を経て、味や技術は進化を続けたものの、まだまだ王侯貴族やブルジョア層限定の贅沢品。
18世紀に入り、もっと手軽に食べたいと考えたグルメ貴族が専門店第一号をオープンし、ジェラテリアの原型も確立、一般市民向けにも荷車や屋台などで売り始め、ジェラートは各層に広まり、当時の恰好のベンチャービジネスになっていったという。
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