ジャパンガストロノミー宣言 のようなもの vol.1 24年6月号


高瀬川沿い、御池をちょっと下がったあたり。白木のカウンターに、筆で書かれた和紙のおしながき。この店を教えてくれた京都の大切な知人を待ちながらこの原稿を書き始めた。特段変わったことでもないけれど、おしながきに料理名はなく「タコ 菜の花 柚子胡椒」、「牛もも肉 タケノコ 花山椒」といった調子で、旬を取り入れた食材の組み合わせが並ぶ。カウンターの内側ではこの食材を存分に生かした料理は完璧に計算済みである。当然おまかせもいい。しかしこのお店では、この食材をちょっとこうしてほしい。これがあるならあれはできるか。と、互いの手口や好みをわかっているカウンターの内と外で、割烹よろしくあれこれやりとりして陣形を組み立てていくことこそが醍醐味なのだ。脈絡もなく、ここでクラテッロ・ディ・ジベッロを挟みたいと伝えてもいいし、セージがあるかを確かめたら、突然のサルティンボッカをお願いしたっていい。ここまで読み進めてきた方は途中で「ん?」と思ったかもしれない。そう、この店はイタリアンなのだ。

叙述トリックで読者を惑わせたかったわけではない。私はここをイタリアンであると同時に、日本の四季、二十四節気、七十二候の移ろい、そして京都近郊の食材の滋味深さを楽しむお店だと思っている。和食ではないかもしれない。日本料理と称するのも慣用的には違和感を抱く人も少なくないかもしれない。しかし、このカウンターでいただく料理と体験は、イタリアンとしての技術や感覚を取り入れながらも、日本の気候、風土、文化、社会で培われた賜物に他ならない。この店の真東の東山三条にあるLURRA°も、ジャンルとしてはイノベイティブフュージョンに列せられていることが多いが、ゼネラルマネージャーの宮下拓己は、自分たちがやっていることは「日本の季節と文化のショーケース」だと語る。

人も文物も絶えずシームレスに行き交う現代では、情報は常に海をまたいで均質化する作用に晒される。旧来の料理ジャンルで語ること自体があまり意味をなさなくなってきている今、改めて地域性、土着性を見つめ直し、それぞれの文化圏の料理の輪郭を浮き彫りにし、自覚的に独自のガストロノミーを突きつめていくという動きが世界中で活発になっている。

我々は何を食べてきたのか。
我々は何者か。
我々は何を食べていくのか。

西にユーラシア大陸、東に太平洋を臨み、亜寒帯・温帯・亜熱帯にかけて南北3,500kmに渡って横たわる日本列島は、多数の固有種が存在する世界有数の生物多様性を擁し、四季折々の風土が育む山海の幸は、様式化された伝統の料理や、津々浦々の郷土の料理とともに連綿と引き継がれてきた。私たちが一般に「和食」と称してきた食文化は、季節とそれに紐づく年中行事、素材知識、調理技術、器、設え、装い、礼節など、日本人が集積してきた知を高次元で統合したものである。つまりそれは、日々のささやかな命の営みでもあり、自然科学・人文科学・社会科学のあまねく学問領域に加えて、美術・工芸・建築などの美意識と技術を編み上げた総合芸術でもあると言える。

一方ガストロノミー地政学上、この上ない立地と版図を誇るこの国は1980年代に円が相対的に強くなって以降、多くの一般の人々も世界の現地へ実際に赴き、異国の食文化に触れる機会を持った。その後も世界中の食材と食文化が絶えず流入しつづけ、料理家たちはこれをよく咀嚼、吸収した上で、日々イノベイティブな一品を考案し、世界に向けて発表しつづけている。作り手だけではない。日本には、それらの料理を賞味する鋭い感覚の持ち主である食べ手、そしてその味覚体験を価値化して記述する食の語り手たちも結集しており、世界中のシェフとフーディーが、決して無視をすることができない特異な一大食文化圏を形成している。

2013年、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことは、この手の話の中では頓に引き合いに出される。世界中のトップシェフも日本の津々浦々の季節ごとの食材、精緻な調理技術、うま味を基軸にした味覚設計、至極衛生的できめ細やかなホスピタリティに強い関心を寄せているし、この流れはこれからもさらに続いていくだろう。しかし上述の通り、日本の食文化の生態系は、和食の辺縁にも茫漠とした次元の広がりを見せる。世界各国のエッセンスを取り入れた料理から、カレーやラーメンといった日常的な国民食まで。そして日々開発されているフードテックを背景にしたまだ見慣れない先進的な機能性食品だって、その豊かなエコシステムの一員と言える。

私はここで強烈な衝動に駆られる。これは、いったい何なのか。明らかにしたい。言葉として正確に記述したい。歴史のタイムラインの上に正統にプロットしたい。私は料理人ではない。生産者でもない。あえていうのならば、単なる食べ手だ。学問的出自は考古学。そして親族は画廊を経営している。そもそも歴史を紐解き、分類をし、時代の移り変わりをなんとか定義したい内発的な欲動がある。ファインアートになぞらえて言えば、人の創造性の歴史たる美術史を整理し、その中で目の前の作品が人類の何をアップデートしたのか。何が特筆すべきなのか。何が得難いもので、何がありふれているものなのかを詳らかにしていく癖がある。思えば、ヌーヴェル・キュイジーヌを提唱したアンリ・ゴとクリスチャン・ミヨも、ニュー・ノルディック・キュイジーヌ確立の一助となったクラウス・マイヤーも、料理人ではなく、彼らの傍にいる良き理解者であり、時に反目者であり、何より結果的に料理界へ新たな恩恵を生み出した存在ではなかったか。

日本のファインアート界にも同じような課題が横たわっているが、仮にガストロノミーを国際競争力の柱としたいのであれば、世界的な言論空間の中でサイエンスとして客観的に、ジャパンガストロノミーの真価が議論されるための土台を作らねばならない。しかし今は、日本の卓越したシェフや生産者の営みを、先覚的な海外のシェフや美食家、メディアが勝手連的に個別に訪れ、外的な意志によって海外に紹介されるのみであり、主体的、国家的な発信たり得ているとは言えない。和食、日本料理、ジャパンガストロノミーの本懐は、英語や国際公用語に訳されている要素があまりに少なく、グローバルで価値が流通可能な状態になっていないからだ。これまで「和食」に限って言えば、厳粛な家父長・徒弟制度の中で、秘伝、奥義、一子相伝の名のもとに、客観的な科学としての体系化を意識的、無意識的に忌避してきたようにも思える。一部は、これからも秘すれば花でよいと思う。もっと言えば、個人的に心のどこかではこれからもそうあってほしいとさえ思っている。しかし、広義の日本の食文化の総体「ジャパンガストロノミー」が何たるかは早晩明らかにならなければ、国際的な競争力の柱にはなり得ない。「なんだかわからないけどすごい」という神秘性だけでは歴史に埋もれていくのみ。定義の旗を打ち立てなければ、歴史上はなかったことにすらなりかねないことは世界史の中で幾例も証明されている。

とまあ、そんなこんなで、新しく編集長に就いた柴田さんと本連載の内容をブレストしていて、非常に大仰なタイトルを口走ってしまった。「言うなれば、改めての『ジャパンガストロノミー宣言』みたいなものだと思うんですよ」。危うく、そのまま不遜で迂闊な大看板を掲げることになってしまいそうだったので、私はせめてものハンブルさを示すために、どうか「のようなもの」も付け加えてくださいとお願いをした。何せここは料理王国。私が敬愛するあの方や、あの大先輩や巨匠までもが目にすることになるかもしれない。ただ本連載は、険しく高い山を登ってみることに決めたのだ。単に享楽的な美食体験の追求とは一線を画し、より根源的で本質的な食態度を模索しながら、改めて日本の食文化について暗黙知を明示知化し、再定義化を試みたい。ジャパンガストロノミーを構成する要素を因数分解して、建白するマニフェストの数箇条のうち一条ずつを取り上げて、同時代における食のキープレイヤーとともに、誌上にて思考実験を展開させ、議論を熟成させていく。こうした「のようなもの」を次号からも気負わずにしたためていこうと思う。次号からは各論へ。

木村 元紀 きむら げんき
ガストロノミカルディレクター。博報堂にてコピーライター、クリエイティブディレクターとして国内外のキャンペーンを制作。スーパーテイスターであることを生かし、大手飲料・食品メーカーの商品開発や味覚設計に従事。食とアートと京都に明るい。元京都市都市ブランディングアドバイザー。Liberal Eats Lab主宰。

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