ロンドンでは珍しいイタリア料理の日本人ヘッドシェフ、古橋洋平さんが辿り着いたマネージメントの哲学、そしてそぎ落としの料理とは? 新規オープン「The Lavery」でその手腕を発揮する多忙なシェフに、お話を伺った。
最近のロンドンではときおり「素材の良さが分からなくなってしまっているのでは?」と思うような濃いソースやパンチの効きすぎた味付けに走るシェフを見かける一方で、素材だけに向き合う奇跡のようなシェフに出会うこともある。この春オープンした地中海料理レストラン「The Lavery レイヴェリー」のヘッドシェフに就任された古橋洋平 Yohei Furuhashiさん(写真上©Kyle Caddey)は、間違いなく後者に属する救世主シェフだ。
古橋さんは以前、このコラムでもご紹介した「Toklas トクラス」というレストランでヘッドシェフをされていた。トクラス以前に9年勤められた「The River Café リバー・カフェ」時代からのご縁で移籍が決まり、新たなチームで新出発となったそうだ。
さっそく足を運んでまず驚いたのは、古橋シェフならではの「引き算の料理」がますます洗練の度合いを増し、完全なる職人の領域へと到達していたことだ。彼の料理は複雑さを嫌う。食材とのまっすぐな会話がすべて。シンプルな季節の地中海料理は、シェフが食材に触れた瞬間から最高の状態がイメージされ、すべてが「そうあるべき」姿かたちに彫り起こされる。一皿にのる食材の数は入念にセレクトされ、完全なハーモニーを奏でるよう調理される。直感と調理技術がイコールでつながっている証拠だ。
レイヴェリーは富裕層が多いロンドン南西部、サウス・ケンジントン地区にある。画家ジョン・レイヴェリーの邸宅兼アトリエだったタウンハウスを改装したレストランには、ファッション・デザイナーのポール・スミスさんも毎週のように顔を見せるという。すでに「ネイバーフッド・レストラン=ご近所レストラン」として大成功しているのだ。
気軽さを練ったコンセプトとは裏腹に、料理もサービスも一流。フロアを統括するのはトクラス時代からの同僚で、ともに移籍してきたAlcides Gauto アルシデス・ガウトさん。古橋シェフによると彼のサービスは本当に特別で、業界でも一目置かれる存在なのだとか。シェフとマネージャーのすぐれたコンビがレストランの特質を定義することを考えると、レイヴェリーはそういった意味でも際立っている。
あまりに料理が筆者好みだったので、23年に渡るロンドンでのシェフ人生を古橋シェフに振り返っていただきつつ、現在のスタイルについて伺った。古橋さんは大学卒業後に渡英され、複数のレストランを経て、ロンドンで最も尊敬される創業38年の老舗イタリアン・レストラン「リバー・カフェ」に就職。彼の原点は9年勤めたこのレストランにあるという。カリスマあふれる女性オーナーシェフが率いるリバー・カフェは、これまで数多くの優秀なシェフを輩出してきた。
「チーム作りはレストランを成功させる鍵となるので、人材の採用にはとても気を遣っています。例えば、チームを男女半々で作り上げるというのも、僕のストラテジーの一つ。厨房のエネルギー・バランスがよくなり、チーム全体が穏やかになってうまく回っていくんですよね。この男女半々のやり方は、『リバー・カフェ』で学びました」
リバー・カフェのように、働くすべての人が力を発揮でき、ハッピーでいられる企業カルチャーを目指している、と古橋シェフは言う。
「リバー・カフェでは昼と夜、毎日違うメニューを提供していました。日々異なる食材を、違う調理法で扱うというやり方はシェフにとってはかなり刺激的で、最高の環境ですよね。それが身についてしまうと他では物足りなくなってしまうほどです。
そんな経験もあって、決まったレシピでチームをがんじがらめにすることには抵抗があります。その日、食材と向き合ったときの感性を大切にしたいから。例えばリバー・カフェではパスタのレシピがないんです。毎日違うシェフが自分の方法でパスタを作る。それぞれ違うけれど、一定のクオリティ内に収まっていて、ヘッドシェフからOKをもらえれば、良しとされる。その中で自分は多くを学びました。
例えば、今日はタリアテッレを出すから麺を作れと言われる。どんなソースを合わせるのかを聞いて、それに合う麺を作るために小麦粉や卵の配合を決めていく。ウサギのラグーなら歯応えのある硬めの麺にしたい。ヘッドシェフがOKなら完成品の味や食感、バランスをどうするかをイメージし、作り始める。その工程で自分が発見したことは、他の人に伝えたりもします。そんな環境が大好きでしたね」
素材を前にしたとき、最高の状態になるよう完成品をイメージする。そこは古橋シェフがチームに教えたいところでもある。
「その日の食材の状態によって下処理も味付けも火入れも変わってくる。レシピ通りに作ればいいというわけではないので、シェフを育てるうえでは難しさもありますね。個々のシェフの個性も尊重したいですし。僕は素材の持ち味を引き出すことばかり考えているので、おのずと調味料の量が少なくなり、たまに『洋平はスパイス使わないよね』と言われてはっとすることもあるんですが。僕自身の好みとして軽めの料理が好きというのがあるので、それが反映されているところはあると思います」
現在のチームはうまく機能しているのだろうか。
「シェフ・チームは僕を含めて6人。若いチームなので、レストラン全体の動きを学ぶよりも、料理を純粋に楽しんでいたいという子たちです。もちろん僕の料理をわかってくれて、それに応えようとしてくれる子もいるので助かっていますが。実はスーシェフが今いないので踏ん張りどころですが、将来的にチームがまとまり、安定してきたら、おつまみセクションにもう少しクリエイティブなものを増やして個性を出していきたいと思っています。揚げ物がおつまみセクションに入ってきたら、『やっと厨房が落ち着いたんだな』と思ってください(笑)。
レパートリーを増やしてメニューが変わることで常連さんの満足度を上げていくこと、働いている子たちが引き続き学べることが大切だと思っています。料理はヘッドシェフの仕事のほんの一部であって、全体のマネージメントやチームを作っていくことが最重要という立場です。その挑戦自体、僕にとっては意義あるものでもある。自分がよりよいマネージャーになって、よりよいリーダーになることでチームがまとまり、働きやすくなる。そのチームに加わりたいというシェフが増えれば、『自分はいい仕事をしたんだ』と思える。そこを目指しています」
古橋さんはシェフ人生の大半をロンドンで過ごされ、業界を知り尽くされている。その中で、多国籍チームになりがちな厨房をどうマネージメントしていくかが鍵になると直感されているのだろう。
ロンドンではブレグジットとパンデミックでシェフの絶対数が少なくなり、レイヴェリーでも良いシェフを確保するため、目下奮闘中だ。その課題を乗り越え、古橋さんの理想とするチームができたときにどんなメニューが登場するのか、楽しみでならない。
The Lavery
https://thelavery.co.uk
text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni