日本人シェフが率いる快空間「Toklas」はアートが宿る場所


ロンドン中心部にこれまでにないタイプの地中海料理レストランが誕生して賑わっている。ヘッドシェフは日本人。現代アートの専門家が集まる、とっておきの隠れ家として、目下人気上昇中だ。

20世紀初頭にパリで活躍したアメリカ人女性、アリス・B・トクラスが記した料理エッセイをご存知だろうか。1954年に出版されたその本には、彼女のパートナーだった美術評論家ガートルード・スタインとの芸術あふれる暮らしぶりや歴史的なエピソード、著名な文化人たちとの食卓について綴られている。トクラスが考案した素晴らしいレシピは当時、相当な話題になったようだ。

アートと食を融合した女神、トクラス / Toklasの名を冠したレストランが2021年、ロンドン中心部の静かな一画にオープンし、話題を呼んでいる。オーナーはロンドン発の世界的な現代アート誌「Frieze」の創業デュオ。ブルータリズムを感じさせる1970年代のコンクリート・ビルにはFriezeのオフィスやアート・ギャラリーが入り、この度のレストランやバー、そしてアルチザン・ベーカリーが加わって、ある種のカルチャー・ハブへと変貌を遂げた。2階のレストランと同じレベルには広々とした屋外テラスまであり、暖かくなると戸外を愛するロンドナーたちで溢れかえることだろう。

しかしトクラスが興味深い理由は、それだけではない。実は昨年5月に新しく就任したヘッドシェフへの大きな注目がある。ロンドンで長らく活躍されている日本人シェフ、古橋洋平氏(冒頭写真)だ。

テムズ川に近いロケーションだが、人通りの少ない静かな一画。都会の隠れ家である。
テムズ川に近いロケーションだが、人通りの少ない静かな一画。都会の隠れ家である。
過去50年間に開催された重要な展覧会のポスターやヴィンテージ・ポスターが並ぶアート専門誌らしいインテリア。©ToklasPR
過去50年間に開催された重要な展覧会のポスターやヴィンテージ・ポスターが並ぶアート専門誌らしいインテリア。©ToklasPR

古橋さんは1980年代から続くロンドンの伝説的なイタリア料理店であり、長らくミシュランの星をキープしているThe River Café / リバー・カフェに9年在籍し、カリスマあふれるオーナーシェフからたっぷりと薫陶を受けた後、自ら複数の実力派レストランを率いてきた経歴の持ち主。

リバー・カフェは過去35年以上に渡って優秀なシェフを数多く輩出してきた虎の穴的な存在で、卒業生たちはもれなく英国を代表するシェフに育っている。古橋さんも同レストランを心の故郷としているシェフの一人。旬を重視した素材本位のスタイルは、リバー・カフェ仕込みだ。

もともと旅が好きで、旅するために料理を始め、今も大好きなイタリアを味の拠りどころとしてロンドンに暮らす。ゆえに古橋シェフのメニューは、否応なく自然の恵みを感じさせる、気負いのない地中海風である。例えば旬のアーティチョークを素揚げにしたローマの郷土料理「ユダヤ風アーティチョーク」をこんなに美味しくいただいたのは、筆者は初めてだった。まさにシンプル・イズ・ベスト。

イカとチョリソー、ひよこ豆のトマト煮込み、ウズラのグリルとフリーカのサラダ、ウサギ肉とフェンネルの煮込み(オリーブとウサギがこんなに合うとは!)。いずれも味の着地点にズレがない。南イタリアの上質トラットリアにいる気分にさせてもらった。

アーティチョークの最高の食べ方!アーティチョークってこんなに油と相性が良いのですね。
アーティチョークの最高の食べ方!アーティチョークってこんなに油と相性が良いのですね。
毎日でも食べたいシンプルで飽きのこない組み合わせ。ポイントはイカの食感とソースの味。
毎日でも食べたいシンプルで飽きのこない組み合わせ。ポイントはイカの食感とソースの味。
ウズラのグリルに、ザクロとフリーカの中東風サラダを合わせるのは大賛成。
ウズラのグリルに、ザクロとフリーカの中東風サラダを合わせるのは大賛成。
さっぱりといただけるウサギ肉はフェンネルの香りと好相性。オリーブの酸味がアクセントに。
さっぱりといただけるウサギ肉はフェンネルの香りと好相性。オリーブの酸味がアクセントに。

トクラスはダイニングとバー、合わせて170名を収容できる大規模レストランだ。屋外テラスがオープンすると、さらに 120席がそこに加わる。春から夏に向けて確実に客の数が増えていくが、古橋シェフにプレッシャーはないのだろうか。食事を終えてシェフに話を伺ってみると、存外に飄々とした様子でこう答えてくれた。

「もちろん挑戦ですし、シェフの数もできれば増やしていきたい。大きなレストランの厨房をまとめるには、チームワークが重要な鍵です。料理と同様、チーム作りも楽しんでいきたいですね」

ロンドンのレストラン厨房は映画『ボイリング・ポイント/沸騰』にもその一端が描かれていたようにテンションが高くなりがちなのだが、古橋シェフの厨房はなかなかどうして、風通しが良さそうだ。イタリアの陽光のように明るく前向きな人柄もあるのだろうが、経験からくる落ち着きと貫禄も併せ持ち、この大所帯を引っ張っていく力量も十分。物腰柔らかな新時代のヘッドシェフという印象を受けた。再訪が待ちきれない。

Toklas
https://www.toklaslondon.com

text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni

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