すし屋の門を初めてたたいてから50年以上もの間、すしを握り続ける銀座「すきやばし次郎」の主、小野二郎さん。彼が求め続けるすしとは、職人の姿とは。二郎さんが「もっとも信頼していて話しやすい」と名をあげる料理評論家、山本益博さんが、その言葉を聞き出す連載。ジャンルを超えてすべての料理人に伝えたい。
すしを語るとき「ネタの産地がどうの」とか「ネタに施す仕事がどうの」という話ばかりするのは、どうも違う気がします。なぜなら、すしの良し悪しを決めるのは、半分以上、シャリですからね。よく言うんですよ。「シャリ6割、ネタ4割」ってね。
それなのに、多いですよ、魚ばかりに気合いが入ってシャリに気が入ってないすし屋は。といって、どれだけ心血注いでおいしいシャリを作っても、上の魚がダメだと台無しですから、本当に難しいんですよ、すしは。
理想のシャリは、完成したときに「しっとりふんわり」しているもの。これは、どこどこの銘柄米だからできるというものではなく、お米にある程度の油がのっていて、小粒でしっかりしたものがいいんです。お米に油がないとね、炊いたときにパサパサになってちょっと固いんですよ。適度な油が、ふんわりを生む。また、しっとりが理想といっても、米そのものに水分が多すぎるとベタベタになってしまう。
そんなことを理解してくれる日本橋の米屋に頼んでブレンドしてもらってサンプルをいくつかもらい、その中からいいと思うものを選んで使っています。
そういえば以前、米が大豊作になった年がありましてね、その米はどんなにブレンドや炊き方に工夫を施しても、水とデンプン質が多いのか、割れてベトベトになってしまうんですよ。米屋を呼んで、もう、毎日「ああでもない、こうでもない」ってやりとりをしていたことがありました。そのときは、農家でじっくりと時間をかけて天日干しをした米をもらいました。今はもうほとんど手に入らなくなってしまいましたがね、天日干しはやっぱり、いいですよ。米が微妙に変わります。
私はネタや握り方で悩んだことはほとんどないですが、米に関しては、もう、ノイローゼになるほど悩みます(笑)。
シャリは鉄の羽釜で硬めに炊きます。ひと肌の温度で食べてもらえるように、予約時間から逆算して、20分前に炊き上げるんです。炊く量はカウンター席で1回転弱の計算なら1回に1・2升。ひとり1合強の計算で、人数によって7合、9合と炊きます。営業時間内に追加することもありますね。
米を研いでから炊き上がるまで、約50分間。そのごはんを飯台に移すのですが、釜の底のごはんはうっすら焦げているし、固くなっているので使いません。
飯台に移したごはんに合わせ酢をかけ、しゃもじで切り、お櫃に入れ、さらに藁櫃に入れて保温します。ここで、酢がごはんになじむまで、しばらくおきます。そして、ちょうどよい硬さとなる温度が、ひと肌。
シャリの温度は、この「ひと肌」に限ります。ネタの持ち味が引き出せるし、シャリの表面がなめらかでふんわりしているから、手につきにくいんです。冷めてしまうと、手につくし硬いしで、とても握りにくいんですよ。
以前、この「ひと肌」という温度になじめないという方がよくいらっしゃいました。生の魚には冷たいシャリがいいんじゃないかと思われるんですね。だから、あたしは申し上げたんですよ。「刺身定食でごはんに刺身をのせて食べるとすれば、冷たいごはんと温かいごはん、どちらがいいですか?」
皆さんは迷わず、「あっ、温かいごはんだ」と即答されます。これで、納得されますよ。冷たいごはんに刺身をのせても、魚の味は引き立ってこないでしょう?同じことです。おにぎりを冷たいごはんで握らないのも、同じ。
ひと肌の状態で提供できるのは、藁櫃に入れてから1時間くらいが限度ではないでしょうか。それ以上経つと、シャリがどんどん冷えて硬くなってしまいます。ご来店されたときに、ちょうどいい温度、状態になるように計算したものを食べていただこうとしています。だから、多少の遅刻はしょうがないとしても、約束のお時間に来ていただけると、ベストの状態のすしを食べてもらえるのです。
そうそう、シャリは多めに用意するから残るんですよ。その場合はまかないになります。シャリ・チャーハン、シャリ・雑炊が毎日ってことも。それも、すし屋の仕事です(笑)
山本益博 監修、管洋志 撮影
本記事は雑誌料理王国第164号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第164号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。