歌川国芳は、「水滸伝」「忠臣蔵」に代表されるように、武者絵を得意とした浮世絵師であったが、印象深い美人画も多数残している。「園中八撰歌・松」は、唐の詩人・杜甫が8人の酒豪詩人をユーモラスに歌った「飲中八仙歌」をもじったもの。この団扇絵は、おそらく桜や梅、牡丹など、8種の植物と美人を組み合わせたシリーズ。中には猫を抱きかかえた愛らしい美人が登場する「菊」という作品もあり、大の猫好きで知られた国芳の趣好がうかがわれる。
これらの作品は実用品である団扇用に描かれたため、見本として保存されていたものがわずかに残っているのみ。この作品では「松」を背景に女性が串に刺した海老の天ぷらを手にしている。庭見物の合間なのか、語らいの最中なのか、視線を左に向け、口元にもう一方の手を添える姿はなんとも律動感にあふれて、女性が次の瞬間には首の向きを変え、海老天を口いっぱいに頬張るーーそんな様子が目に浮かんでくる。跳びはねる武士たちの姿をいきいきと描くことを得意とした国芳の表現が光る、そんな美人画である。
国芳が生まれた寛政の時代には、すでに天ぷらは江戸の町中に普及していた。寛延元年(1748年)に刊行された『歌仙の組系』や『黒白精味集』の中にその名が登場し、「うんどん粉(うどん粉)を玉子にてねり・・・」とその作り方も記載されている。同じ頃に胡麻油が増産されるようになったことも手伝って、1785年頃から庶民たちを中心に、江戸っ子は屋台で天ぷらを楽しむようになった。それから20年ほど先には早くも高級料理としてももてはやされるようになる。
国芳は登場人物の運動能力や喜怒哀楽、心情などを見事に描き出した数少ない絵師のひとりである。それと同時に、歴史画や猫の絵など自分が好きなものに気持ちを傾け、多くの名作を残した主観性の強い絵師でもあった。この天ぷらの団扇絵にも、当時の江戸っ子の「食」に対する気持ちの高まりが描かれているかもしれない。たっぷりと胡麻油を吸ったぶ厚いサクサクとした衣。江戸湾から揚がった海老の香り。皿いっぱいに盛られた天ぷらを串一本で思い切りいただくというこの場面、国芳自信が好んだ食卓、はたまた夢見ていた理想の江戸の食卓だったのかもしれない。
海老 8尾
小麦粉 1カップ
卵 1個
冷水 120㎖
胡麻油 適量
天つゆ 適量
文・料理 林 綾野
キュレーター。美術館における展覧会の企画、美術書の執筆、編集に携わる。企画した展覧会に「パウル・クレー線と色彩展」など。『ゴッホ旅とレシピ』『モネ庭とレシピ』、近著に『フェルメールの食卓』(すべて講談社刊)。
北村美香・構成 竹内章雄・写真(料理)
construction & styling : Mika Kitamura /photo : Akio Takeuchi