食と芸術を大切にする両親の影響で、子どもの頃から本物に触れさせてもらいました。例えば、日曜日の朝の食卓にくさやが出てきたり(笑)。子どもにとっては決しておいしいものではないですよね。でも「最初からおいしくないと決めずに食べてみなさい」と教わりました。
決めつけない、拒絶しないという価値観は、料理人になった今も持ち続けています。はじめて見た食材や技術、昨日の自分はやらなかったアプローチも柔軟に取り入れています。ただし、そこにはイタリアの郷土料理の精神が宿っていることが大前提。そうでなければ、僕の料理はイタリア料理ではなくなってしまう。裏返せば、僕が本質と捉えているのは、手法よりも精神の部分なんです。
この考え方は、僕が7年前に付けた店名の「プレージョ」という言葉に集約されているように思います。プレージョには4つの意味があって、一番の意味は敬意。そして価値、美点、誇りという意味があります。敬意はイタリア、生産者さん、ゲストの方、そして働いてくれているスタッフと家族に対して。その敬意を持って、価値と美点がある料理を生み出すために、誇りを持って仕事に臨むのが僕のスタンス。イタリア料理の本質を大切に、その瞬間瞬間に自分が最良最善と思う料理を作っていきたいと思っています。
イル・プレージョ
岩坪 滋
1978年、東京都生まれ。「アクアパッツァ」日高シェフに師事した後、2003年に渡伊。およそ3年をかけてイタリア北部から南部の島々で研鑽を積む。帰国後、「クッチーナ カッパス」、「リストランテ カシーナカナミッラ」の料理長を経て、2012年に「イル プレージョ」をオープン。2014年・2015年版でミシュラン一つ星、「ゴ・エ・ミヨ」2019年版で3トックを獲得する。写真で手に持っているのは、イタリア各地で入手したパスタを作る道具。ひとつ一つに物語があるそう。
おいしい料理とは、考える間もなく「おいしい!」と口をついて出てしまうものだと思います。そういうお皿を作るためには、時代に合わせて表現方法を変え、様々な角度から料理を捉えなければいけません。
例えばスペシャリテのアニョロッティにしても、日本に帰ってきて食材や調理方法を一から見直すことで出来上がったメニューです。私がトリノ修業中に学んだアニョロッティは、肉と野菜数種を詰めたラビオリを茹でてバターソースに絡め、パルミジャーノを削るものでした。
しかし、イタリアで使っていたバターが日本の水と相性が悪かったせいか、どうしても味がズレてしまう。試行錯誤の末、生クリームからバターを手作りしてみたら、イタリアで作っていたアニョロッティ以上の料理が出来上がりました。これは食材だけでなく、日本の水に対する茹で時間からすべてを見直した結果です。
今、私が向き合っていることは「イタリアにしかないおいしさ」と「イタリアにもどこにもないおいしさ」の両軸です。グルメサイトのアルゴリズムに左右されることのない、自分らしいバランスのとれた料理を追い求め、人の心に突き刺さる料理とは何かを掘り下げていきたいと思っています。
リストランテ カシーナ カナミッラ
岡野健介
1981年、ベネズエラ生まれ。名店「ペペロッソ」遠藤シェフの下で6年半を過ごし、2007年に渡伊。トリノの星付きリストランテ「ラ・バリック」で修業を積み、セコンドシェフにまで昇り詰める。2016年に帰国し、「リストランテ カシーナカナミッラ」のシェフを経てオーナーシェフに就任。写真で手に持っているのは、イタリアで入手したトリュフケースとスライサー。「帰国したら必ず白トリュフを削れるようなレストランで仕事する」と心に決めて購入したもの。
町のパスタ屋のコックさんがオープンキッチンで料理している姿に憧れて、料理の世界に入りました。僕にとってパスタは、イタリア料理の中でも唯一無二。食べ終わるのがもったいなくて、ずっとそばにいて欲しい存在なんです。
パスタに対して「おいしい」を超越した感情を抱くようになったのは、フラットリアの黒澤シェフが作ったカルボナーラが原点でした。当時22歳。もちろんカルボナーラは何度も食べていましたが、自分が知っているカルボナーラとはまったく違って。口に含んだときの感動は今でも覚えています。
あれから経験と歳を重ね、自分の店を持つようになった今、あの感動を自分が作ったパスタで味わっていただくことが僕の仕事。そのために大切にしていることは、手間暇をかけて下準備を行なうという、修業時代に最初に教えてもらった料理の基本です。そして、おいしくて心躍るイタリア料理の世界にのめり込んだ初心です。22歳の頃から書き留めているノートを見返す度に、初心が蘇ります。
心躍る料理を作るには、自分が仕事を楽しみ、常にワクワクしていなければダメ。そんな気持ちが、僕のパスタを食べた子どもたちに伝わって、やがてイタリア料理のシェフを目指すなんてエピソードが生まれたら、料理人としてこの上ない幸せです。
カーサ ディ カミーノ
川上春樹
1985年、東京都生まれ。22歳のとき、修業先であった「フラットリア」黒澤シェフの仕事に触れ、料理の概念を180度変えられる。ピッツェリア「サルヴァトーレ・クオモ」を経て、2014年に「カーサ ディ カミーノ」をオープン。多彩な手打ちパスタを得意とし、頭の中には300近くのレシピが入っている。写真で手に持っているのは、20代前半から現在まで、仕事におけるあらゆるメモを書き留めてきたノートの一部。川上シェフの歴史が詰まった大切なアイテムだ。
イタリア修業時代に習得した料理は、現地でイタリア人が日常的に食べる料理。なので、あくまで僕の引き出しのひとつに留めています。
心がけていることは、日本人のお客さんがイメージするイタリア料理の、半歩先の料理に仕上げて提供すること。例えばイタリア現地では存在しない組み合わせや、ボンゴレ、アマトリチャーナ、ナスのパルミジャーノなど定番過ぎてあまり料理人が作らない料理もやります。ミュシュランの星を狙ったコレクション的な料理や和素材を打ち出した創作的な料理とは真逆の、お客さんとイタリアのつなぎ役になることを大切にしています。イタリアの料理が食べたいと思って来てくださるお客さんは、隠し味にワサビを使った料理よりも、もっとトマトを感じたいと思うんです。そういった要望を察し、満足して帰ってもらえる皿を常に考えています。
今までは極端な話、日本におけるイタリア料理とは何かだけを考えてきましたが、2年ほど前から他ジャンルのシェフたちと日本の魚の将来を考える勉強会に参加しています。提供する料理は今まで通り考え抜いたものを出していきますが、いま使うべき魚と控えるべき魚があるということを考えながらメニューづくりすることも、料理人としての大事な役割だと感じています。
メログラーノ
後藤祐司
1979年、千葉県生まれ。パスタ店を営む父親の背中を見て育ち、16歳でイタリア料理の道へ。日本で8年間の修業を積み、渡伊。ペルージャ「オステリアバルトロ」、ラグーザ「リストランテ ドゥオーモ」で腕を磨き、2015年に「メログラーノ」を独立開業。写真で手に持っているのは、イタリアの蚤の市で入手したアンティ―クのレードル。耐久性や機能性は日本製に劣るものの、このレードルを使うことで「イタリアの厨房で作業している気持ちになれる」そう。
小さい頃から歴史に興味があって、縦軸だけではなく横軸で日本史と世界史を比較するのが好きでした。イタリア料理も歴史を紐解くと多くの発見があります。
例えばトスカーナはオレンジの産地ではないにも関わらず、鴨のオレンジ煮という料理がある。何故かと言えば、トスカーナには貴族文化があり、地場のもの以外の食材を輸入してきた歴史があるからなんですね。何故この料理が存在するのか、そこにどのような歴史があるのか。そうやって思いを巡らすことで、イタリア料理の本質が見えてくるように思います。
食材も料理も、日本とイタリア、そして佐藤の融合(フュージョン)であっても、混乱(コンフュージョン)にならないように気を付けています。ただの創作料理ではイタリア料理とは認めてもらえないので、なぜイタリア料理なのかを自分の中できちんと咀嚼し、スタッフにも伝えるように努めています。
それにしてもイタリア料理は奥が深い。パスタひとつとっても、その言葉に秘められた多くの意味は今も自分の中で咀嚼している最中で、飲み込み理解するまでに至っていません。まだまだ謎が多いですし、私が知らないパスタもあります。イタリア料理への興味は、尽きることがありませんね。
クリマ ディ トスカーナ
佐藤真一
1978年、青森県生まれ。1998年に渡伊以降、各地の名だたる名店で研鑽を積む。帰国後、アクアプランネットグループの総料理長に就任し、ベルギー料理やフランス料理も経験。「リストランテ イルデジデリオ」の料理長を9年間勤めた後、2017年に「クリマ ディ トスカーナ」のオーナーシェフ兼ソムリエに。写真で手に持っているのは、キタッラを作る道具。イタリア修業時代からずっと作り続けているバヴェッテも、このキタッラで作っているそう。
イタリアらしさとは、圧倒的なセンスの良さと無駄なものを省く潔さだと僕は思います。ファッションにしても無駄な装飾をせず、素材にこだわって自分らしさを表現している男性をイタリアではよく見かけました。見た目はシンプルだけど、しっかりと本質を捉えていればかっこいいというお国柄。それは料理にも通じます。素材の背景や食材の持っている力を引き出す料理。イタリア修業時代に教えられた「マテリア・プリマ」という言葉は、今もしっかりと胸に刻まれています。
僕の課題を挙げるなら、もっと多くの生産者のところへ足を運ぶこと。生産者とのコミュニケーションを大切に、新しい食材に目を向けることで今までにないひらめきが生まれると思っています。素材を見極め、シンプルだけど脳に訴えかける料理を作っていきたいですね。
もうひとつの課題は、リストランテの価値をしっかりと伝えていくことです。リストランテは、ハレの日に大切な方と過ごすレストラン。しつらえ、サービスを含めたトータルで楽しんで欲しい場所です。主役は常にお客様。というのが僕の考え方。心が楽しくなり、会話が弾む「陽」の料理を、ぜひリストランテという空間で楽しんでいただきたいです。
リストランテ山﨑
矢島直樹
1981年、埼玉県生まれ。23歳の時にシステムエンジニアから料理人へ転身した異色のキャリア。「リストランテ濱崎」で約6年間修業後、渡伊。ミラノ、トスカーナ、シチリア島、ピエモンテ州のレストランで学びを深め、2015年に名店「リストランテ山﨑」の6代目シェフに30代前半という若さで就任する。写真で手に持っているのは、パスタ作りに欠かせないロングピンツァとタイマー。3つ同時に動くタイマーは「営業中の頭脳」だそう。
text 馬渕信彦 photo 堀清英