山地陽介さんは、料理学校の名門「ポール・ボキューズ学院」に始まり、計11年をフランスで学んだ。師と慕うシェフは複数いるが、もっとも厳しく、強く影響を受けたのがジャン=フランソワ・ピエージュ氏だ。出会ったときは「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」の総料理長。山地さんは学校卒業後の研修生。日本人初のスタッフとなって、周囲の目は厳しく、誰も何も教えてくれなかった。なぜなら「全員『見て盗める』力があるからなんです」。
衝撃を受けたがなんとか食らい付き、やがてソシエのアシスタントを任されるまでになった。以来ピエージュ氏が職場を移る度に声がかかり、何度も同じ厨房に立った。「いつも1秒、1ミリの単位で叱られました。切った食材が心持ち太かったり、火入れ時間がほんの少し長かったりする度に『なぜだ、理由を言え。指示どおりでないからには意味があるだろう。ないなら降格だ』と。でもきちんと理由があり、納得すればOKなんです」。
この日々が、「なぜ」を考える習慣をつけてくれた。例えばピエージュ氏の店でも「山地陽介」でもスペシャリテとなっている「イカのカルボナーラ」。師とともに開発した思い出の皿だ。その頃には、「イカを切っておけ」としか指示が出ないほど師との信頼関係ができていた。
「自分の思うベストに切るしかない。仕上がりを見て『厚過ぎると思わないか?1ミリ厚いだろう?』と、また叱られたんですけど(笑)。こうして何度もチャンスをもらいました」。ピエージュ氏のイメージに、1ミリ差まで肉薄できる弟子と認めるからこそ、最低限の指示だったのだろう。
ソースについても「生ハムを煮ていると、ある瞬間にクリームの中から肉の味がフワッと上ってくるんです。そのタイミングこそが煮込み時間。ただ煮詰めるのではなく、常に『理由』を考えて調理しています」。
ピエージュ氏のカルボナーラはシンプルだが、山地さんは「イカの甘味がもっとも出る」と感じる5ミリにカットし、ザクロなど7種のトッピングを散らす。酸味、甘味といった様々な要素を盛り込むためだ。「理由なく真似だけをしても、自分のものになっていなければ、店を持つ意味がないと思います」
独立の地は「ほんまもんがある」と感じた京都を選んだ。食感のアクセントにと足したぶぶあられは、京都ゆえだ。「自分」を表現するエッセンスのひとつが「京都」なのだ。
独立のために帰国する日、師は「今日から対等だな」と言った。「もうライバルだぞ」と。はじめて自分を認めてくれたその言葉に、山地さんは感動を抑え切れなかった。今でも迷ったときには「あの人ならどうするだろう」と考える。もうひとりの大切な師匠であるパスカル・バルボ氏とともに、師の教えは山地さんの中に根づいているのだ。
京都・伊根町産のアオリイカをパスタに見立て、温泉玉子と生ハムのクリームソースで食べる。レモンピール、ザクロ、バジル、インカの目覚めのチップス、ぶぶあられなど 7 種のトッピングで多彩な味と食感をプラス。
アオリイカ(1人分)
アオリイカ…1/3杯/温泉玉子…1個
ソース(作りやすい分量)
生クリーム…100ℊ/生ハム…20ℊ/塩、コショウ…各適量
盛り付け
レモンピール、バジル、ザクロ、ぶぶあられ、糸唐辛子、ビーツの葉、インカの目覚め(スライスして素揚げ)、パルミジャーノ・レッジャーノ…各適量
Yosuke Yamaji
1985年埼玉県出身。フランスの「ポール・ボキューズ学院」卒業後、「アランデュカス・オ・プラザ・アテネ」、「アストランス」等で経験を積む。「オテル・ロワイヤル・リヨン」総料理長等を経て、2015年 6 月独立。
藤田アキ=取材、文 三國賢一=撮影
本記事は雑誌料理王国259号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は259号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。