ヨーロッパの北西端に位置するアイルランド。
アイルランド産の食品というと、真っ先にギネスビールやウイスキーが思い浮かぶかもしれないが、近年注目が高いのは「アイリッシュ グラスフェッドビーフ」だ。
アイリッシュ グラスフェッドビーフを愛用するシェフたちのコミュニティ「Chefs’ Irish Beef Club Japan」メンバーのイタリアンシェフ3名に、この肉を選んだ理由や提供スタイル、現地視察などを語っていただいた。
アイリッシュ グラスフェッドビーフの高い品質に魅せられ、レストランで積極的に提供しているシェフたちが集うクラブとして2004年にオランダから始まった「Chefs’ Irish Beef Club」。ヨーロッパ各国で約80名のシェフが属しており、アジアでは初となる日本版として205年6月に設立された。現地視察、フェアの開催、メンバー同士の情報交換など、アイリッシュ グラスフェッドビーフに関する知識や理解を深め、日本の人々にその魅力を伝える役割を担う。現在、メンバーは3名。120席のキャパを持ち、今回の座談会の会場協力をいただいた広尾「ラ・ビスボッチャ」の井上裕基さん、世界初のポルシェ公認レストランである汐留「ザ・モメンタム・バイ・ポルシェ」の林祐司さん、横浜・馬車道で自店を営む「トラットリア・ダ・ケンゾー」の西沢健三さんだ。

みなさんは「いつから」「なぜ」アイリッシュ グラスフェッドビーフ(以降アイリッシュ ビーフ )を使うようになったのでしょうか。
井上 アイリッシュ ビーフのレストラン向け輸入が本格的に始まったのが2017年で、その頃から使い始めました。当店は炭火焼きをメインとしており、これまでに国内外さまざまな産地の牛肉を使ってきましたが、アイリッシュ ビーフを気に入った点は炭火との相性がよく、グラスフェッドに対する「かたくて独特の匂いがある」というイメージがくつがえされるおいしさだったこと。また、価格も見合っていると感じたことですね。
西沢 僕も同じくらいの時期ですね。当店も炭火焼きの「ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ」を看板にしており、イタリア料理店をやっている以上、ヨーロッパ、それもキアニーナ牛のようなイタリア産を使いたいという思いは当然あります。が、安定供給や使いやすいサイズ、コストパフォーマンスなどを考慮すると、なかなか難しい。そこで仕入れ業者さんからおすすめされたのがアイルランド産でした。正直言って最初はイメージが湧きませんでしたが、試してみると臭みがなく本当においしい赤身肉で、パッキングなどの処理も素晴らしくて蒸れ臭もない。定番の肉として使い続けています。ビスボッチャさんでアイリッシュ ビーフがバンバン出ているという話を業者さんから聞いて、負けていられないぞと奮起しています。
井上 いえいえ、お互い様ですよ。ってなんの戦いかわかりませんが(笑)。

林 当店では和牛を使うことが多かったのですが、インバウンド客やハイエンドユーザーからの「脂が多い肉はしんどい」という声が少なからずあり、2020年にオープンした「ザ・モメンタム・バイ・ポルシェ」ではアイリッシュ ビーフを取り入れることにしました。赤身ながらやわらかく、年間通して肉質が安定している安心感がありますね。

井上 これは個人的なことなのですが、2019年にアイルランド関係者のご好意 で、僕は日本開催のラグビーW杯アイルランド対日本戦を観戦したんですよ。当然、アイルランドの応援席です。が、まさかの日本が勝利で、僕はもう袋叩きに遭うのではないかと思ったのですが、周りのアイルランドの人たちが僕にハグや握手を求めてきて「おめでとう!」と。そんな国民性に感動して、思わず泣いてしまいました。アイルランドがぐっと身近に感じられ、好きになった出来事でした。
アイルランドは北海道より少し小さいくらいで、緯度も似ているが、暖流の北大西洋海流の影響により比較的温暖な気候。国土の85%が豊かな緑地のため牧草肥育に適しており、EU最大の牛肉輸出国である。そのうち約87%は英国やEU各国へ送られ、加えて米国や日本をはじめとするアジア市場での成長もめざましい——

2024年6月に行かれた現地視察の詳細をお聞かせください。
西沢 天気に恵まれ、牧場で牛たちと戯れましたよね。草むらに僕たちが寝転ぶと、牛たちは興味津々で近寄ってくる。起き上がると逃げていく、みたいな。
井上 かわいかったですよね。
西沢 広大な土地でのびのびと、ストレスフリーで育てられている様子がよくわかりました。ホルモン剤や成長促進剤は不使用で、抗生物質の投与も最小限などアニマルウェルフェアが徹底されています。

井上 牧草はシロツメクサやペレニアルライグラス、イタリアンライグラスなどで、ビタミンやミネラルが豊富なのだそう。栄養豊富な牧草を食べて育つので、お肉もそれらを多く含んでいます。ただ、僕はイネ花粉のアレルギーでやられて、あわてて薬を買いに行ったというハプニングがありましたが。
林 3日ほどで牧草がなくなったら次のスペースへ移動させる「パドックシステム」にのっとり、年間220日以上放牧させるとのこと。豊かな環境と新鮮で良質なエサがアイリッシュ ビーフのおいしさやヘルシーさ、安定性を生み出していると感じました。
井上 僕たちが行った時は晴れていましたが、1年を通じて均等に雨が降るため草はよく育ち、水が十分に確保できるという牧畜に適した土地ですね。農場は基本的に家族経営で愛情を込めて育てる一方、政府機関によるトレーサビリティの厳しいモニタリングで管理が行き届いていて安心安全です。

林 食肉工場も見学しましたね。
井上 アイルランドでは独自の方法で枝肉を吊るしていて、それが肉を柔らかくする秘訣らしいです。
林 エイジングも適度に施されていましたね。
西沢 エイジングといえば、食事をしたレストランにおいてもメニューに提示されていました。
井上 ダブリンにある高級ステーキハウス、FIRE Steakhouse Restaurant & Bar Dublinでは、同じ部位でもドライエイジングかウェットエイシングかを選べました。ドライはうま味の凝縮感があって、ウェットは弾力がある感じ。
西沢 肉の焼き加減は、たとえばレアなら我々が考えるそれよりも火が入っており、文化的違いがありましたね。カルパッチョもあったけれど生ではなかった。

井上 ドライエイジングが特においしかった。ドライエイジング専門業者にも会って、そこではウイスキーを表面にぬってエイジングさせていたので、僕も帰国してからそれを真似て研究した時期があるのですが、どうしてもトリミングが必要になるので、せっかくのいい肉がもったいない。そうした葛藤があり、最近は長期のドライエイジングはやっていません。
林 僕もドライエイジングがおいしいと思ったのですが、井上シェフが言われるようにフードロスの観点から、今は違うかなと。店で2〜3日ねかせるだけで十分おいしい。
井上 そうですね、届いたら真空パックを開けて2日くらい冷気を当てるといいですよね。
林 余談ですが、印象的だったのは、つけ合わせがどこへ行ってもじゃがいもだったこと。赤身肉とじゃがいもとのバランスがよく感心しました。
西沢 イタリアだったら白いんげん豆を合わせるかもですが、アイルランドではじゃがいもをパンやライスの感覚で捉えていましたね。
日頃、アイリッシュビーフの「どの部位」を使って料理を提供されていますか。また、火入れなど調理のポイントがあれば併せて教えてください。
井上 アイルランドの牛の品種としてアバディーンアンガス種、ヘレフォード種、デクスター種などがあります。当店では薩摩和牛も使っているため、それと対極にあるタイプとして、より赤身のうま味が味わえるヘレフォード種を使っています。もう少し霜降り感を求めるならアンガス種がいいでしょうね。希少性の高いデクスター種は入荷時期が限られています。当店の使用部位はTボーンまたは骨つきリブロースで、炭火焼きですね。

西沢 うちもヘレフォード種のTボーンの炭火焼きがメインで、たまにリブロースや、少量で提供する場合にはフィレやバベットを使うこともあります。その場合はタリアータにしてルッコラを添えたり、スカロッピーネにしてポルチーニと合わせたり。

林 うちでは、ヘレフォード種の骨つきリブロースを使い、ミラノ料理のルスティンネッガに。肉の表面を焼き、野菜や白ワイン、鶏のだしを加えて蒸し煮にし、バターで仕上げたものです。バベットのサルティンボッカも時折作ります。きのこソースかレモンバターで。

西沢 えっ!? バベットでサルティンボッカ?
井上 やけに食いつきますね。
西沢 いやあ、イタリアではあまり見ないので珍しいなと思って。
井上 掃除済みのバベットは特に歩留まりがいいし、好むお客様は多いでしょうね。
林 ええ。規模の小さい店では使いやすいです。

西沢 グラスフェッドの牛肉は和牛に比べてサシは少ない分、炭火の焼き方にはそれなりの技や慣れが必要ですよね。一言で説明するのは難しいけれど、ゆっくりじっくり火を入れるということ。
井上 そうですね。表面を焼きかため、その後は徐々に中心温度を上げてしっとり仕上げる。できる限り時間をかけて焼き、休ませるのがコツですね。
林 炭火でなくても、やはり常温にもどして、強すぎない火でゆっくり焼きます。


西沢 当店では不定期ですが日曜の夜に「ビステッカ・ナイト」を開催しており、おかげ様で大変好評です。通常1kgからのオーダーになるビステッカを、少人数のお客様にも食べていただけるようにと考えたもので、計20kg分のTボーンを焼き、すべてのお客様でシェアするスタイルに。ワインつきのコースをサービス価格で提供しています。
林 ナイスアイデアですよね。うちでもそれを真似て屋外で、BBQ感覚でやりたいなと考えているところです。
井上 当店ではアイリッシュ ビーフのほか、やわらかくミルキーなアイリッシュ グラスフェッドラムや、濃厚なカキなども使っており、アイルランド愛は人一倍です。

井上 裕基
1985年、三重県生まれ。2006年より恵比寿「イル・ボッカローネ」で修業。2009年より「ラ・ビスボッチャ」に勤務し、2013年に同店の料理長に就任。

ラ・ビスボッチャ
東京都渋谷区恵比寿2-36-13 広尾 MTRビル1F
03-3449-1470
https://labisboccia.tokyo/
林 祐司
1976年、兵庫県生まれ。大阪のリストランテなどを経て1999年に渡伊し、ピエモンテ州を中心に研鑽を積む。2010年、茗荷谷「タンタローバ」料理長に就任。2020年より「ザ・モメンタム・バイ・ポルシェ」総料理長を兼任。現在はグループレストランの統括プロデュースを担う。

ザ・モメンタム・バイ・ポルシェ
東京都港区東新橋1-5-2 汐留シティセンター 1F
03-6280-6785
https://porsche.tokyo/
西沢 健三
1974年、神奈川県生まれ。24歳の時に渡伊し、トスカーナを中心に4年半修業。帰国後は西麻布「ヴィーノ・デッラ・パーチェ」や馬車道「ラ・テンダロッサ」の料理長を務める。2020年に「トラットリア・ダ・ケンゾー」を開業。

Trattoria Da KENZO
神奈川県横浜市中区相生町5-78 清栄ビル馬車道3F
045-298-3737
https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140104/14078936/
○地理的位置と肥育環境
アイルランドは、おだやかな気候と豊富な降水量、ミネラル成分を多く含む石灰質の土壌で、ヨーロッパにおける空気がきれいなトップクラスの国の一つに名を連ねている。1ヘクタールあたり2頭未満というゆとりある牧草地で、牛たちは自由に歩き回り、栄養豊富な牧草を食む。肉牛農場の99%は家族経営で、何世代にもわたって技術と愛情が受け継がれている。
○グラスフェッドならではの栄養素
やわらかでうま味とコクのある赤身肉は、良質なタンパク質、オメガ3脂肪酸、鉄分、ビタミンEやミネラルなどの栄養を多く含むヘルシーな肉として、現代のニーズに合致する。
○「オリジングリーン」によるサステナビリティ
「オリジングリーン(Origin Green)」とは、アイルランド政府食糧庁(Bord Bia)が監督するアイルランドの食品サステナビリティプログラム。国家レベルでの包括的なアプローチは他国に類がない。
温室効果ガス排出削減、水資源の保全など持続可能性に関する具体的な目標を設定し、第三者機関による厳しい測定・監査が行われている。
畜産においては「持続可能な牛肉・ラム肉保証(SBLAS)制度」によって、動物の健康・福祉、バイオセキュリティなどさまざまな面で安全な畜産の要件を定め、農場から製品まで完全なトレーサビリティが確立されている。製品に記載されているQualityマークがその品質と安全性の証だ。

世界最高峰のステーキを決定する国際品評会「ワールド・ステーキ・チャレンジ」。11回目となる2025年は11月11日にロンドンで開催された。
60 名以上の国際的専門家による審査の結果、アイリッシュ グラスフェッドビーフが「世界最高のステーキ」賞を受賞。同コンペティションの 304 個のメダルのうち、金・銀・銅を合わせて計 68 個を獲得し、そのうち金メダルは 24 個(リブアイ12個、サーロイン8個、フィレ 4個)で、総合でも最優秀国に選ばれた。
霜降り具合、肉質のきめ細かさとやわらかさ、豊かな風味のバランスが審査員から高く評価され、アイリッシュ グラスフェッドビーフが世界的リーダーであることを証明した。
アイリッシュ グラスフェッドビーフに関するお問い合わせ
アイルランド政府食糧庁 Board Bia(ボード・ビア)
https://irishbeef.jp/
text: Yumiko Watanabe photo: Hiroyuki Takeda
