佐伯は料理写真の最高の写真家として多くの雑誌や書籍のみならず、食品広告の写真と幅広い活躍をしていました。1974年にハルコは『家庭画報』のデザインを手掛けていたスタジオに新米デザイナーとして就職しました。その頃家庭画報は200ページにも満たない厚さでしたが、その当時の編集長が雑誌の巻頭特集として料理を取り上げて他の婦人誌と一線を画す内容になっていたのです。その時に初めて佐伯義勝の生写真を見たのですが、4×5(しのご)という大判のポジフィルムには佐伯義勝というプリントが袋に刻印されていて別格な写真家だと思ったのです。
3年勤めたスタジオを辞めた時に、事務所の代表が家庭画報から婦人画報のアートディレクターに代わりフリーランスになったばかりのハルコにそれまで手掛けていた巻頭料理特集のデザインをしないかと持ち掛けられました。まだ、事務所も無い時でしたが家庭画報編集部の好意でデスクを用意してもらい引き続き仕事が出来るようになったのはラッキーでした。
編集部では料理班のデスクと毎日相談しながら30数ページに渡る巻頭の料理特集の撮影コンテを描いていました。佐伯のメインの写真撮影の他にも料理ページを全般に任せてもらったのですが、その頃は佐伯の多くの弟子たちも活躍して料理写真を数多く撮っていたのです。ちょうど、その頃にヨーロッパで修行したシェフ達が日本に戻ってき街場でレストランを開店はじめた時期と重なり、家庭画報では積極的に若手シェフ達を取り上げていたのでした。熊谷喜八、三國清三、石鍋裕、周富徳、片岡護、野崎洋光・・・・とジャンルを問わず30代の伸び盛りの料理人を誌面で登場させたのでした。
やがて、料理人は一流と認められるには佐伯義勝に自分の料理写真を撮ってもらうことが一流のなった証として一つの目標ステータスとなっていくのでした。実際に多くのシェフ達から「佐伯先生に写真を撮ってもらって誇りに思った」と聞いています。