バスクの地で、日本のルーツを表現する 「Txispa(チスパ)」前田哲郎シェフ【後編】


山裾に広がる緑豊かな菜園と、400年前に建てられたという石造りの建物。開店わずか半年でミシュラン一つ星を獲得した前田哲郎シェフの店は、バスク地方のとある村にあった。日本料理のルーツとバスクの典型的な薪焼きの技の融合が、食通の間で高い評価を受けている。その料理は、「400年前、ここに日本人が住んでいたら何を食べていただろうか」という問いから始まった。後編では、バスクの土地と暮らしに対するシェフの深い敬愛と、飽くなき探求心の源を探る。

クライマックスを演出する熟達の技

ダイニングに席を落ち着けた後の料理からは、さらにこの店の「今」が伝わってくる。エビの糠漬けや、シードルを煮詰めたタレを使った鰻の蒲焼き、日本でいう「焼きびたし」の技を使ったトマトとピーマン。キャビアには、ヒヨコ豆の豆腐を合わせてある。焼き牡蠣のソースには、この地に古くからあるヤギのミルクが使われている。

この日のもう一つの主役であるヤングコーンは、時間をかけてオーブンで焼いた牛タンと一緒に出された。ソースのベースは、トウモロコシの麹。スパイスは、畑にある野菜やハーブをあわせて作った「五味とうがらし」だ。中盤で再登場したナミダ豆は、アサリの酒蒸しをだしにして作った茶碗蒸しの上にたっぷりとのっていた。「畑のキャビア」と称される旬の食材を、存分に堪能できるのだ。

ダイニングで最初に出されるのは、和食の八寸のような一皿。エビの糠漬けや鰻の蒲焼など、日本を感じさせるテイストが詰まっている
笠間焼作家Keicondo氏作のシンプルな器に映える、トマトとピーマンの焼きびたし。アンチョビの樽に残っていた汁を使って味付けされ、そのまろやかな塩味と絶妙な焼き加減が、野菜の食感と滋味を引き出している
日本では、一本のトウモロコシを大きく育てるため他の幼果を生育途中で間引きする。ヤングコーンは、日本式栽培の副産物だ

その後、日本酒をかけて焼いた赤エビ、熟成させたキンメダイのグリルと続き、肉料理を前に再び厨房まで案内された。前田シェフは、切り分けた肉の塊を薪火のコンロの網にのせ、塩を振る。オイルをスプレーすると、静かに熱をたたえていた薪から高々と炎が上がった。「東京のホテルでこれをやったら、警備員が駆けつけてきました」とシェフは笑って見せる。炎を完全にコントロールしながら繊細に焼き上げるその技は、師匠である「エチェバリ」のオーナーシェフ、ヴィクトル・アルギンソニス氏のもとで培ったものだ。

このランチのクライマックスとなる、バスク牛の骨付き肉「チュレタ(Txuleta)」。メニューには「2017年7月30日生まれ」の8歳牛であることが記されている。表面はカリッと香ばしく、なかは麗しいほどの赤みを帯びたチュレタ。その色彩と香り、噛むほどに滲み出す豊潤な旨みは、すでに11品もの料理を平らげて満腹であることを忘れさせてしまうものだった。

メインにふさわしい圧倒的な存在感を放つチュレタ

チスパの料理は、「スペイン版懐石料理」と呼ばれることもあるという。無地でシンプルな和食器や漆器で供される料理は、食材本来の色彩や素材感が際立って見える。採れたてのみずみずしい野菜は、丁寧に仕込まれただしの旨みによって、奥深い風味を引き出されていた。過度な装飾をしない代わり、野菜と一緒に花や葉も添えられ、大地との繋がりや一体感、器との調和を感じさせてくれる。

デザートまで食べ終えた頃、時計を見ると18時近くになっていた。それでも、食事を終えてすぐに帰る人はいない。食後も来店時と同じように、ダイニングに残って談笑したり、写真を撮ったり、庭や菜園を歩き回ったり。料理そのものだけでなく、アシュペという村の環境と、その恵みを受けたこの店の空間すべてを味わうために、ほぼ丸一日を費やすのだ。

庭の木陰のベンチで菜園や山の風景を眺めながら余韻を味わうのも一興

レストランは「全体」なのだと、前田シェフは表現する。

「うちは一軒家だからわかりやすいですが、ビルの中のレストランでもそれは同じ。その屋根の下にあること全部がレストランだと思います。一つ一つの小さなパーツが完璧にできていて、その完成度の集合体だと思っているんです」

たとえば、どんな表情で、どんな言葉で客を迎え入れるのか。左右どちらの方向から誘導するのか。ユニフォームにきちんとアイロンはかかっているか。そんな小さなことの徹底を積み重ねているのだという。

「だから料理は、そういったことをプレゼンする一部でしかないし、なんならお客さんを呼ぶ理由でしかない。この店のオリジンは、畑にある。商業的な言い方をするなら、畑で採れたものに価値をつけて売るということですね。ブドウをワインにする人がいたり、土をお皿に変える人がいるのと同様、ぼくらはここで採れた農産物を料理に変えるという仕事をしている。そう考えています」

その日畑で採れるものにあわせてメニューを構成。栽培担当スタッフの佐藤壱樹さんとは密にコミュニケーションを取っている。

「なぜなのか」を追求する

2023年5月に開店し、わずか半年後にミシュラン一つ星を獲得したチスパ。金沢で生まれ、20代の頃はスノーボードの選手として活躍していたという前田シェフが、なぜここに至ったのか。その経緯を問うと、「たまたまなんです」という答えが返ってきた。
「実家が食器屋だったので、食には興味があったものの、日本ではあまり勉強したことがありません。居酒屋でバイトしたり、おばんざいのバーをやったりしていた頃に、研修生としてスペインに行かせてもらう機会があって。魚ぐらいはさばけるようにしておこうと、地元の料理人の先輩に基本を教えてもらった程度です。料理を専門的に学んだのはスペインに渡ってからですね」

2012年、前田シェフは海を渡り、バスク地方の港町オンダリビア(Hondarribia)にある名店「アラメダ(Alameda)」で修業を始めた。アラメダは、地元の食材と伝統を大切にしながら現代的な感性で再構築する料理が高く評価されている。「畑と鍋の距離が短いほど、料理はおいしくなる」という教えを守り続ける家族経営の店だ。ここで働きながら、夏のバカンスを利用してエチェバリで食事をしたことが転機となった。
「すべての料理をバーベキューで作るレストランがあると聞いて食べに行ったら、ものすごくおいしくて、次はここで働きたいと強く思いました。店に何度も電話して、『シェフに会わせてほしい』とお願いし続けたんです」

同じ村内にある前田シェフの古巣「アサドール・エチェバリ」。惜しまれながら送り出された

何度目かの電話でやっと面会が叶ったとき、アルギンソニス氏に思いのたけを懸命に訴え、受け入れられた。当初は従業員用のアパートに住み、バスで通勤。だが、ほどなくして引っ越しを考えるようになったという。
「この生活を続けていたら、いつまで経ってもエチェバリの料理は理解できないと思ったんです。昔のバスク人のような生活をしたいと思い、古い一戸建てを借りて、馬で通勤しました。毎日、300m以上の標高差を行き来していると、少しずつこの土地の魅力が分かってくる。もちろん、魅力は初めて行ったときから感じていました。でも、それが『なぜなのか』を料理で表現できるようになるのに十年ぐらいかかった、という感じですね」

「豊かさ」のお裾分けをしたい

レストランの料理は、その土地の生活と切り離すことができない。前田シェフがそう考えるようになった原点は、山形県の祖母の家にあるという。

「立派な農家でした。ぼくが小さかった頃は茅葺きの家で、家の周りに田んぼがあって川が流れている。『となりのトトロ』に出てくるような風景でしたね。お盆に親戚が集まるとき、ばあちゃんがいつも畑でトマトをもいでザルに入れ、清流の水で冷やしてくれていたのを覚えています。みんなが来る日にあわせ、畑で採れた野菜を漬け物にしたり、ごちそうを作ったりしてもてなしてくれるんです。レストランってこれだな、と思いました。食べるものを自分で用意して、人を待つ。それがたぶんレストランの基本だと思うし、ぼくが店を始めた理由でもあります」

エントランスに生けられた、楚々とした野の花。前田シェフのレストランへの思いと理想を感じさせる

生活が豊かであることも料理人として大切な要素だと、前田シェフは言う。これも祖母の暮らしから学んだことだ。
「日本には『お裾分け』という言葉があります。余った裾を人に分けられるのは、自分の家に裾が余るほどの豊かさがあるということですよね。それはお金とか、クオリティ・オブ・ライフみたいなこととは違う。いまここにある生活の力強さ、みたいなものからくる豊かさですね。それをまずしっかりと、自分の生活のなかに欲しいと思っているんです」

このことを再認識できたのは、コロナ渦のさなかだったという。厳しい行動規制は、自分がいる場所と、そこで享受できる生活の価値を見直すことに繋がった。朝起きたら畑に行き、日中は農作業で汗を流す。収穫してきた新鮮な野菜で食事を作り、家族みんなで食べる。家に水道はないため、昼間から井戸水を浴槽にためておく。夕方、薪に火をつけて風呂を沸かしながら、樽で造ったバレルサウナに入る。風呂の水がまだ冷たいうちは、サウナの合間の水風呂代わりだ。夜になって適温になったところで、今度はゆっくりとビールを飲みながら浴槽に浸かり、満天の星を眺めながら一日が終わる。そんな日々を過ごしてきた。
「もう、豊か過ぎますよね(笑)。天国のような生活でした。自分が幸せだと感じたことを、他の人にもお裾分けしたいという思いが、ぼくにはある。自分が畑で汗をかいたり、風呂に水を溜めたり、煙にまみれて薪に火をつけたりすることで味わえる豊かさを、テーブルに座ってグラスを傾けながら、エレガントな環境で楽しんでもらえたらと。これこそが、ぼくのレストランのコンセプトなんですよね」

農家の倉庫を改装して開業したチスパ。外観にも料理にも、バスクの歴史や文化、生活の豊かさへのリスペクトが詰まっている

東京やパリ、ニューヨークなどの都会で店を構えるつもりはないという。理由はもちろん、「そこに生活がないから」だ。田舎であっても、日本国内でアシュペ村のような環境を見つけることは難しいと感じている。

「たとえば、通勤の道中で馬が糞をしたって、ここでは誰も何も言いません。それは人間がコントロールできることではないし、雨が降れば流れて土に還っていくものだと、みんなわかっていますから。でも、いまの日本では、そういうのがなかなか許されないでしょうね」

日本の外から、日本を理解する

スーシェフまで登り詰め、アルギンソニス氏の右腕として誰もが認める存在となった前田シェフは、修業を始めてから10年後、同じ村内に自分の店を構えた。「なぜなのか」を考え続けるなかで表現されたものの一つが、大豆を使わずに造る醤だ。ただそれは、「バスクに大豆がないから」という理由だけで作っているのではないという。

「もちろん、事実としてはそうなんです。でも、実は日本で大豆の醤を作り始めたのは7世紀の仏教伝来以降なんですよね。仏教とともに、ヴィーガン思想みたいなものが伝わった時期です。それ以前は、海と山から動物性たんぱく質をとっていたし、発酵や塩漬けという手段でそれを保存するという伝統もあったんです。ぼくらは現代日本のテリトリーの外に出ることで、もう一度日本を理解しようとしているんだと思います。『和食』ではなく、『日本』という土地の歴史をね。これは面白い。すごく面白いなと感じています」

バスクの地から日本というものをとらえなおすなかで生み出されるものがある
スタッフは、ホールも厨房も多国籍。前田シェフは複数の言語を操って意思疎通する

テーブルの上のメニューには、英語でこんな内容のメッセージが印刷されていた。
「師匠はよく言っていました。『火花(チスパ)が足りない』と。それは、すべての料理にはそれを高めるエッセンスが必要だという教えです。だからわたしたちは雄大な山々の麓で、土地との深い結びつきを感じながら、情熱を込めて料理をします。真の繋がりと、シンプルさのなかに宿る美が、一皿一皿に映し出されますように」(筆者訳)

バスクという土地と文化のなかで手にしたものを、どのように解き明かしていくのか。自身のルーツに照らし、それをどう表現するのか。その答えをひたすらに追い求める一人の日本人の、火花のような情熱と閃きが、店名に込められていた。

Txispa ウェブサイト(予約可) https://txispa.com/

前編から読む

Text & Photo:成見智子

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