渡邉卓也のパリ通信 第4回 バスクに魅せられた料理人の、次なる舞台とは——前田哲郎シェフの挑戦


「タクさん、エチェバリ辞めました」
哲郎からの連絡はいつも急であり、内容もヘビーである。

スペイン・バスク地方の山奥にある、元々は街の食堂的存在だった「Asador Etxbarri(アサドール・エチェバリ)」を、世界のベストレストラン50の3位まで押し上げた原動力は、紛れもなく前田哲郎の存在である。

何年か前に、哲郎が自分のプロフィールに〝スーシェフ〟と書いて良いのかどうかで悩んでいた頃が懐かしい。誰もが認める存在なのに。自分の立ち位置や肩書きを気にする理由を、その時はまだ知らなかった。

2019年の夏。コロナの前、哲郎は日本での開店準備を進めていた。
何度も相談の電話がかかって来ては、エチェバリのオーナーシェフであるビクトルに自分の意見を言えず、独立の話が進まずに悩み、苦しんでいた哲郎と様々な話をして来た。
独立する事を考えながら、本当は自分の存在価値や、同年代の渥美創太や古田諭史の活躍を羨んでいたのだと思う。

自分の方が凄い、自分だって負けてない。
自分の料理の方が美味しい。

それが日本へ帰る理由なのかは定かではないが、哲郎と会って話すと、話の軸がブレているように感じた事を覚えている。

僕もその頃帰国していて、夜中に「恵比寿でも、道端で食べられる花を見つけました」とメールしてくる前田哲郎の自然体を、本当の意味で活かせるのは日本では無い、と感じ始めていた。

日本での独立を反対する自分と、日本での独立を計画する哲郎。
朝方の渋谷道玄坂の交番の前で口論となり、反対する自分に、いつも素直な哲郎は納得の行かない顔をして僕を睨みつけ、何でそんなに反対するんですか、の押し問答が続いた。
今思えば、哲郎も何故この人はこんなに反対するのがと不思議だったと思う。
反対したのは、前田哲郎はスペインに残る事が大事だと強く思ったからである。

そんな哲郎は結果、ビルバオで独立を決めた。
日本人のインベスターである平井誠人氏と組んで、壮大なプロジェクトがスタートするという。サンセバスチャンとビルパオのほぼ真ん中、山間にある人口100人ほどの村での開業を決めたのだ。店舗となるのは。アサドール・エチェバリと同じ村の中にある、築400年ほどの石造りの家。かつてスペイン国王も足を運んだという、村で最初のレストランがあった建物だそうだ。

「目指すものは、生活の豊かさと気づきのプレゼンテーション。僕が毎日感じる世界の美しさ、朝日を迎える喜び、新芽が出る春の豊かさ、真夏の日陰の涼しさ、冬が来る前に実りを結ぼうとする自然界の濃さ、冬を乗り切ろうとする凛とした生命力、山を登っていてふと顔を上げた時の開放感と、振り返ったら虹がかかっていた喜び…。悦びに満ちた自分の人生を、お客様に届けたいと思うんです。この場所で、ここの食材で、ここの木を燃やして。

近年の戦争や原発、燃料の値上げなどいろいろな問題を考えると、いろんなことを自分以外の要素に依存しすぎている気がするので……自己処理できるコミュニティの範囲で料理をして行けたら」

独立を決めた彼は、こうも言っていた。
「コロナ禍からの独立について言えば、運が良かったと思っていて。一度毎日のサービスとストレスから解放されて、自分のその後や純粋な理想像を考えられたことは大きかったと思っています。

誠人さんとの出会いは、本当に偶然でした。しかし、振り返ればなるべく多くの人と会おうとしていましたし、お客様にはできる限り挨拶するようにしてもいました。
誠人さんとの出会いもご挨拶させていただいていた事がきっかけでした。
日本人のお客様がいるからという理由だけで、片付けも発注も終わった後、2、3時間(お客様がお帰りになるまで)ずっと待っていることもよくありました。それでも声をかけていただけない時ももちろん、ありました。

インベスターと仕事をする心構えは、自分がいないと成り立たないプロジェクトだと自覚すること。始める選択を取るならば、いつでも辞める覚悟で挑むこと。
お客様を楽しませるのと同じように、インベスターにも楽しんでもらうこと。
自分の人生に魅力を感じてもらうこと。
彼女を作りたい時のように、その準備をいつもしていること」

哲郎が独立を決めた後の2022年の夏、東京でシェフ達と一緒に飲んだ際に、同じ歳の古田論史と哲郎が料理理論やお互いの環境について口論になった。
自然を相手に仕事をする彼は感性で料理を作ると思っていたが、実は理論派である。
理由や意味や互いの料理哲学の話だったが、最後に論史が「哲郎の環境が羨ましい!」と言い放って話が終わった。

論史との料理論争に勝ったのでは無く、自分の今の環境を論史に認められた事が嬉しかったのだろう。満足気な哲郎の顔が忘れられない。

スペインに残った事、スペインでの独立を決めた事にもう迷いは無い。
あとは人生の師匠でもあるビクトルに認めてもらう事が本当の意味での恩返しだと思う。
日本が世界に誇る料理人前田哲郎。
コロナを乗り越えた今、インベスターとの新しいシェフの在り方も含めて、海外での独立の意味を示してくれるだろう。

■シェフプロフィール
前田哲郎
1984年、石川県生まれ。高校卒業後、エアロビやスキー・スノーボードのインストラクターを経て山小屋の仕事や農業を経験。2010年、スペイン在住の日本料理人との出会いをきっかけに、バスク地方の1ツ星「アラメダ」で働くために渡西。2011年、客として訪れた「アサドール・エチェバリ」の料理に衝撃を受け、直談判し入店。現在は新店舗の開業準備を進めている。

渡邉卓也
1976年、北海道生まれ。2013年にフランス・パリに鮨と日本酒を楽しめる店「JIN 仁」をオープン。地産地消をコンセプトに掲げ、フランス近郊で獲れる魚をメイン食材に使用している。2014年にミシュラン1つ星獲得。

Text:Taku Watanabe、Photo:Tetsuro Maeda

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