渡邉卓也のパリ通信 第2回 コロナ禍と政情悪化で変わる、パリの飲食店のこれから

「渡邊卓也のパリ通信」第2回は今後を見据えて大きな変化をした4人のシェフの1人目として、「Ristorante Tokuyoshi」の徳吉洋二シェフを紹介する。

コロナ禍になり、今までの環境やビジネススタンスを変えようとしていた料理人は多くいたと思います。

敢えて変えなかった人。
大きく変えた人。
そして変えられなかった人。
気づかなかった人。

様々な考え方があり、決断には大きな労力が必要だと思います。それはコロナも含めて予想されない事が起こるからです。そしてその変化は結果や評価ももちろん、生活や家族まで巻き込む事態になるからだと思います。

そんな状況でも今後を見据えて大きな変化をしたシェフが4人います。
1人目はミラノのリストランテ「Tokuyoshi」の徳吉洋二。
今回は、彼のことをご紹介します。
彼は1つ星のレストランを日本スタイルのレストランに業態を変えました。
コロナ禍のなか、いち早く行動に出たシェフの1人です。

ロックダウン中から彼と何度もメッセージをやりとりして分かった事は、彼が1つ星を失くす覚悟を決めて、単に業態と言うよりも“コロナ後のビジネススタイル”まで見据えて新たなジャンルにチャレンジをした、という事でした。
彼はロックダウン中に「Ristorante Tokuyoshi」を「BENTOTECA」と言う名前に変えて、デリバリーにいち早く取り組みました。それは、医療従事者を含めて食べる事に困っていたミラノの人の事を考えての彼の決断でした。そして、通常営業が可能になった時にもリストランテスタイルに戻すのではなく、「BENTOTECA」のスタイルをそのまま、レストランに落とし込んだのです。

ロックダウン中は医療従事者の方々へ、お昼のお弁当60人前を35日間にわたり提供しました。そのなかで一番喜んでいただけたのが、日本のいわゆる「弁当」だったそうです。焼き鳥弁当、鮭西京焼き弁当、だし巻き卵弁当、餃子弁当など。
その経験から「デリバリーではきっとこのようなスタイルの弁当が受け入れられるのでは」と思考錯誤し、考え出したのが弁当主体のデリバリーサービスとワイン販売というスタイル。店名を“Bento” と“Enoteca“をかけて「BENTOTECA」と名付けました。そして、しばらくは外国人や観光客は一切お店には来ないと考え「Ristorante Tokuyoshi」は続行不可能と判断(Ristorante Tokuyoshiでは50%以上のお客様が外国人)。すぐに店名を変えて通常営業を迎えました。コース料理だけだった「Ristorante Tokuyoshi」に対し、「BENTOTECA」はアラカルトのみ。好きな物を好きな時間で食べてもらうようにしてワインの種類をたくさん増やしました!
そして何よりも“ミラノの人たちに受け入れられる事をやる必要がある”と考え、なるべく多くの方に来てもらいたいと値段を大幅に下げました。それでも、前から使っていた生産者や業者は一切変えなかったそうです。そのかわり人件費が大幅に下がったので(18人から9人に)十分に思っている事ができたといいます。

彼には、私のビジネスパートナーであるケイマン諸島のホテル「Palm Heights」のイタリアンレストランのプロデュースも受けてもらい、「BENTOTECA」 や自身の仕事も忙しい中、N.Y.のブルックリンとPalm Heightsでのポップアップディナーにもスペシャルシェフとして参戦してくれました。それは彼のN.Y.での次なる展開を見据えての行動だったのだと思います。そして、日本でも「ALTER EGO」と言うイタリアンを神保町に構える彼とは、日本のレストランの在り方を良く話します。その話からも、次なる展開も視野に入れて考えていることが伝わってきます。

日本のレストランはまだ、あと1年くらいはコロナの影響を受けざるおえない状況にあると思います。そこでは少人数制の「予約が取れない」レストラン以外は、まだまだ苦戦しそうです。さらに特化型レストラン(焼肉 天ぷら 寿司など) 以外も、苦労するでしょう。
人件費、物価の高騰は経営のバランスを崩します。何より売り上げ優先で料理を考えることが一番です。「ALTER EGO」もお任せとペアリング一本のお店からアラカルトのイタリアンワインバーのような業態に変えました。それでもコロナ前よりも売り上げは好調とのことです。

彼のバイタリティーの凄さは理解していたましたが、そこには相当な葛藤があったと思います。常に時代の先を読む力に長けている洋二ならではのビジネス理念があり、現在のレストランに満足するのではなく、スタイルの変化はもちろん、スタッフの労働時間や家族との時間までを考えての決断だったと思うのです。
いつも明るく、イタリア人より喋る洋二はみんなに平等に優しい。
だからこそ業態を変えてもミラノの人に愛される…。
ミラノはもちろん日本のレストラン業界にとっても特別な存在が、彼なのです。

渡邉卓也
1976年、北海道生まれ。2013年にフランス・パリに鮨と日本酒を楽しめる店「JIN 仁」をオープン。地産地消をコンセプトに掲げ、フランス近郊で獲れる魚をメイン食材に使用している。2014年にミシュラン1つ星獲得。

text・photo:渡邉卓也

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