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日本のイタリアンの歴史Part3 (1980年代)


 1980年代は、日本が急速に勢いを増した時代である。まさに、高度成長のただ中。1981(昭和56)年には海外旅行者が400万人を超え、多くの日本人が世界に目を向け始めていた。
 そうしたなかで、イタリア料理もまた〝店〞から〝人〞へ、変化の時代をむかえる。日本のイタリア料理界における、スターシェフの登場である。

代表格は現「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」の落合務さんと、「アルポルト」の片岡護さんのふたり。47年生まれの落合さんと48年生まれの片岡さん。いずれも東京育ち。ふたりには、それぞれにその才能を見出し、バックアップしてくれた恩人がいる。「天才肌」と呼ばれるふたりに、いくつかの共通点があるのは偶然か――。

本物を知る人たちが日本のイタリア料理を認めた

 落合さんが、じつはフランス料理出身だというのは有名な話である。修業先のフランスからの帰途、ローマに4日間滞在し、イタリア料理の歴史と真髄に触れ、方向転換した。そして82年、「ざくろ」のオーナーでもあった桂洋二郎氏から赤坂のイタリア料理店「グラナータ」のシェフを任された。

しかし、パスタという言葉すら一般的でなかった時代。開店してもまったくお客が入らない。「オーナーに申し訳なくて、胃が痛くなった」。自信も失って、日本風のイタリア料理に変えようかと悩んだ。けれど、オーナーは「本物を出す」という最初の方針を曲げようとしなかった。

 風向きが変わったのは、イタリア政府観光局の局長フランチェスコ・ランドウッツィーさんが来店してからだ。彼の口コミでイタリア人が次々と訪れるようになった。まさに、「本物」の勝利だった。12年後、オーナーが急死。3回忌を待って退職。97(平成9)年9月に「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」を開く。

銀座 ラ・ベットラ・ダ・オチアイ
La Bettora da Ochiai
東京都中央区銀座1-21-2
03-3567-5656
● 11:30~14:00LO 18:30~22:00LO(土祝18:00~21:30LO)
● 日第1・3月休
● 36席
http://www.la-bettola.co.jp/

 一方、グラナータに遅れること1年。片岡さんは「アルポルト」を開く。その料理人人生のきっかけを作ってくれたのが、ミラノ総領事の金倉英一さんだった。母親が金倉家に勤めていた関係で、ミラノ赴任にあたり片岡青年をコックとして雇ってくれたのだ。

「とはいえ当時の僕は、イタリア料理はおろか、料理人としても素人同然。作れるものなんて何もなかった」出発前の3カ月間、日本料理の『つきじ田村』で修業させてもらったが、ミラノに着いてしばらくは、金倉さんの奥さんが料理の先生だった。

「ただ、暇を見つけてはレストランを回り、イタリアの味を覚えました」

そのうちミラノ総領事館のイタリア料理は、客として招かれるイタリア人や、世界の文化人、音楽家などに認められ、評判をとった。そして帰国。片岡さんは、35歳で西麻布の坂道の途中に「アルポルト」を開いた。

落合さんと片岡さんによって根付き、注目を集めるようになった「本物の」イタリア料理は、バブルに沸く東京にあって、その後一気に花開くことになる。

アルポルトの隠れた定番メニュー「コータ・ディ・バチナーラ」は牛テールの煮込み。パスタにもアレンジされる。

西麻布 アルポルト
Al Porto

東京都港区西麻布3-24-9 上田ビルB1F
03-3403-2916
● 11:30~13:30LO 17:30~21:30LO
● 月休
● 54席
http://www.alporto.jp/

1985年、「バスタパスタ」オープン。それは“事件”だった

1985年。この年、日本の株価は最高水準となり、バブル全盛。尾崎豊の『卒業』がオリコン1位になり、「新人類」が流行語に。子どもたちがファミコンに夢中になったこの年、日本経済は大きな転換期を迎えた。東京・原宿、東郷神社向かいのビルの地下には、100坪ほどのイタリア料理店が誕生した。今はなき「バスタパスタ」である。

フルオープンのキッチンは「舞台」だった

 初代のシェフは山田宏巳さん。オーナーの杉本尉二さんは、日本初のレゲエライブの店「ホットコロッケ」や「バナナパワー」など、東京の夜をリードする伝説の店をいくつも生み出したトレンド・リーダーだった。

「バスタパスタ」の何がすごかったかといえば、イタリアン・レストランでありながら完全フルオープンキッチンで、料理人が「スター」の祝祭空間だったからだ。キッチンの怒鳴り声も笑い声も料理人同士の喧嘩も、すべてが料理を楽しむスパイスだった。

「杉本さんが『ダイニングじゃなくてキッチンでメシを食うのが好き』と言うから出来た店。でも、奇想天外なだけならお客さんはすぐに飽きるよ」と山田さんは断言する。

「ピンの素材しか使わず、本当に旨いイタリア料理を出していたから人気が続いたんだ」山田さんは若い料理人にも、自分で考えた料理をどんどん作らせた。「だからこそ、卒業していった料理人は、それぞれに独自の路線を歩いていった」

「カノビアーノ」の植竹隆政さん、「リストランテ濱﨑」の濱﨑龍一さん、「ミキータ」の北見博幸さん……。現代のイタリアンを担う錚々たるシェフたちがここから巣立っていった。

 誰もが「天才」という言葉を口にする山田さんは、じつは新潟「イタリア軒」の出身で、料理人生のスタート時点から、日本海側の迎賓館ともいえる老舗で「ピンの食材」の洗礼を受けている。年たった今でも、旨いパンがあると聞けば長野まで駆けつけて、窯の構造を夢中で語り、目を輝かせる。

 1985年。街にフェラーリやランボルギーニが走り、日本の若き料理人たちがイタリアへ修業に飛び立つ。「イタメシ食べに行こう」と、日本人が当たり前のようにイタリア料理を楽しむ時代が到来したのだ。 今、山田さんは銀座のヒロソフィーで、腕をふるう。「バスタパスタ」で一緒だった植竹さんは、山田さんを「ばけもの」と評する。「やることすべてが独創的で、まさに天才。あの人の下で働けて楽しかったし、勉強になりました」

植竹さんはイタリア修業ののち、「ニュヨーク・バスタパスタ」のシェフを務め、99年に「カノビアーノ」をオープン。自らの料理を「オリーブオイルを使った日本料理」と言う植竹さんの料理を愛してやまないファンは多い。

カノビアーノ Canoviano
オープン以来変わらないひと皿「しまエビとカラスミの冷製カッペリーニ」。

代官山 カノビアーノ
Canoviano
東京都渋谷区恵比寿西2-21-4 代官山パークスビルB1F
03-5456-5681
● 12:00~14:00LO 18:00~22:00LO(日祝18:00~21:00)
● 無休
● 50席
http://www.canoviano.net/

リストランテ山﨑が目指した”ハレ”の日のイタリアン

 日本がバブルの渦中にあった頃、本場イタリアでは「ヌオーヴァ・クッチーナ・イタリアーナ」という新たな潮流が生まれていた。その旗手として頭角を現していたのが、グァルティエーロ・マルケージ氏である。オーナーシェフを務める「グァルティエーロ・マルケージ」は、1985年にイタリア初のミシュラン三ツ星に輝いた。

「リストランテ山﨑」のオーナー、山﨑順子さんがその店を訪ねたのも、ちょうどその頃である。

「84年にイタリアへ渡った当初は、自分で調理してイタリア料理のお店をやろうと思っていたんです」

ところが、イタリアで食べ歩くうちに、素人同然の自分が、ひと皿1000円で出す料理では、都内で家賃も払えないと思い始めた。

「やはりプロのシェフの腕が必要だ」それで、当時評判をとっていたマルケージ氏の店を訪れた。山﨑さんは、そこで衝撃的な味と出会う。冷たいキャビアのパスタだ。

「マルケージさんからパスタを一任されていた寺島豊を説得して、彼をシェフとしてむかえました」

86年、山﨑さんは北イタリアらしい手の込んだ美しい料理を出す「リストランテ山﨑」をオープンさせた。

すべて上質であることがリストランテの使命

 イタリア料理が日本の社会に浸透してきたとはいえ、当時はまだピザやスパゲティが主流。イメージは限りなくカジュアルだった。しかし、山﨑さんはあくまでリストランテを目指した。料理はもちろん、カトラリーも器もグラスも、そして空間にもサービスにも、すべてに配慮が行き届いている店。それがリストランテだと思うから。山﨑さんの脳裏には、若い頃に垣間見た「キャンティ」の川添梶子さんの美しいマダムのイメージがある。

「本当に優雅で美しかった。あんなマダムになりたいと思ったものです」だから、店のなかで忙しく動き回ることはない。笑顔で挨拶をしたら、お客さまに見えない場所でスタッフにアドバイスをする。それがマダムのサービスだと思っている。料理も、「見た目に美しく、食べておいしいリストランテ料理」という以外は、すべてシェフに任せる。その懐の深さが、名シェフを育てる「孵化器」の条件なのだろう。初代の寺島さん(現「ホテル・アローレヴェラヴィスタ」のシェフ)、現「アクアパッツァ」のオーナーシェフ日髙良実さん、現「リストランテ濱﨑」のオーナーシェフ濱﨑龍一さん、現「イ・ルーチ・リストランテ」の武田匡弘さん……。そして今は、高塚さんが五代目として腕をふるう。

バブル期にオープンした「リストランテ山﨑」は、時代の勢いに支えられて高級志向を貫き、それを東京に根付かせた。ディナーで2万円から2万5000円と客単価も高い。「一度、安めのコースを作ったんですが、それでも皆さん、高いコースをお選びになるんです」

それこそが、東京に根を張った本物のガストロノミーの証だろう。

「冷たいキャビアのスパゲッティ」は、山﨑さんが惚れ込んだ創業当初からメニュー。五代目シェフの高塚さんも、これだけは初代シェフの寺島さんのところへ習いに行った。

南青山 リストランテ山﨑
Ristorante Yamazaki
東京都港区南青山1-22-10 ウエスト青山ガーデン2F
03-3479-4657
● 11:30~14:00LO 18:00~21:30LO
● 日休(月が祝日の場合は日が営業、火が休)
● コース昼4200円~/夜10500円~
● 32席
http://ristorante-yamazaki.jp/


山内章子=文 大野利洋、富貴塚悠太、星野泰孝、依田佳子=写真

本記事は雑誌料理王国第219号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第219号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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