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おいしさは追いかけてはいけない「かんだ」神田 裕行さんのこだわり


おいしさから敢えて一歩引くという繊細さこそが、日本料理の美学

かんだ 神田裕行さん

日本人にとっての食を語るならば、まず日本料理を知らなければならないだろう。日本の風土ともに発展した、日本の伝統料理。名店「かんだ」のオーナーシェフ 神田裕行さんが考える日本料理の本質とは。

東京・元麻布、毛利庭園近くの閑静な一画にある日本料理「かんだ」。店にメニューはなく、その日の仕入れとお客さまに合わせた、その日だけの料理を供する。カウンター8席、個室1室の静謐な空間でいただく“かんだの味”を求めて、毎夜、国内外のゲストたちが足を運ぶ名店だ。オーナーシェフの神田裕行さんは、徳島で日本料理店を営む家の長男として生まれ、自らもその道に。大阪「昇六喜川」を経て渡仏し、パリの日本料理店で約5年間料理長を務め帰国。徳島「青柳」に約年間勤めたのち、2004年に独立し「かんだ」をオープンした。2007年には『ミシュランガイド東京』で三ツ星を獲得。食の未来について考えるNPO法人「FUUDO」の設立メンバーとしても活動している。

徳島の日本料理店の息子として生まれ、大阪、パリ、徳島で日本料理の修業を積み、東京で頂点を極めた料理人。緊張感がありながらも優しさの感じられる神田さんの料理と言葉には、あらゆる土地を巡りながら長年日本料理と歩み続けたからこその、日本料理への深い愛がこもっている。そんな神田さんに、日本人にとっての日本料理とは何か、また、日本料理ならではの美学についてお話を伺った。

日本料理は、海際に首都を置いた日本の歴史とともに発展した 

 日本人は、日本の風土とともに「そこにあるもの」を食べ、日本の歴史とともにその食文化を発展させてきました。日本は海に近い場所に都市を持った国です。通常、国は外敵に攻められないよう国土の中央部に首都を置くものですが、日本は太平洋という天然の要塞があるため、海際の東京に首都を持ってくることができました。首都とともに文化が発展し、食も首都とともに発展します。海際に首都を持つ日本の日本料理は、海で獲れる新鮮な魚介を中心にして発展してきました。

 たとえばフランスは、首都が国土の中央にあり海から離れていたため、魚介の鮮度を求めることはできず、それに代わるあらゆる火入れ方法やソースといった、さまざまな調理技術が発展してきました。日本はそれとはまったく別のアプローチで、独自の食文化を育んできたのです。海に恵まれた日本人は食材の鮮度に頼っておいしさの輪郭を作ってきましたし、実際にそれをおいしいと感じてきました。おいしさを構築する際に、魚の骨から旨味を抽出して料理に足すなどという必要もなく、ただシンプルに食材の鮮度においしさを求めてきた。日本料理は恵まれた「鮮度」により進化してきたのです。

新鮮な食材の自然な甘味があれば過度な味付けは必要ない  

 食材は、鮮度がよければよいほど自然な甘味、自然な旨味をしっかりと感じることができます。冷蔵庫や輸送技術がなかった頃は魚にも塩を当てていましたので、完全な生の状態で食べるようになり始めたのはここ100年くらいの話ではありますが、それでも食材の鮮度がよい状態で食べることによって、自然な甘味、すなわち旨味を感じてきたのです。トマトやトウモロコシ、芋などの野菜だけでなく、マグロにも白身の魚にも、新鮮なよいものには甘味がある。私たちはその甘味を探して感じ取り、「おいしい」と言ってきたのです。塩や醤油も同じです。できたての醤油やよい塩には甘味がありますよね。この甘味をもって私たちは「おいしい」と感じるのです。

 鮮度がよい食材には甘味がしっかりと含まれています。すると調理をする際に、調味料が少なくてすみます。精製した不自然な糖である砂糖を足さなくてもすむのです。鮮度が落ちてくると、調理で甘味を足さなければなりません。鮮度がやや落ちた魚はあら炊きにしますが、新鮮な鯛があれば、少しの塩を振って蒸しただけで十分においしく食べられます。かなり極端な言い方をすれば、一流店の料理は素材の味を食べさせ、B級グルメと呼ばれる料理は調味料の味で食べさせます。基本的にどちらが体に優しいかは、誰にでもわかることでしょう。

「夏をむねとすべし」につながる日本人ならではの感性 

吉田兼好の『徒然草』の中に、「夏をむねとすべし」という言葉があります。日本人は勢いよく流れる川よりも浅くちょろちょろと流れる川を涼しいと見ますし、花が多く飾られることよりも、そこに一輪あることが美しいと見ます。日本人は本来「たくさん」があまり好きではなく、「少し」が好きなのです。それは料理の旨味にも通じるところがあり、おいしすぎるものは重い、疲れると感じ、もう少し食べたいと思わせるような、薄味の素材本来の味を好みます。これは日本人の体質というよりも、感性と言えるところでしょうか。調味料を過度に使わない、「素材の力」で食べさせる料理のほうが、絶対的においしいと感じるのです。

日本料理を学ぶとどんどん薄味になるといいます。それはなぜかというと、薄い味でも十分においしさが作れるから。今回は鱧の吸い物を作りましたが、日本料理のだしはフランス料理のコンソメなどに比べると旨味は少ないです。その分、使う塩も少なくてすみます。日本料理のだし1リットルに対し味を決めるための塩は1.2グラム程度ですみますが、旨味の濃いコンソメは、味を決めるために日本のだしの何倍もの塩が必要になります。主婦の方などが吸い物で失敗するのは、だしを濃くとりすぎるから。鰹節をたくさん使って濃いだしを取れば、なかなか味が決まらずに塩や醤油をたくさん入れてしまう。それでは体によいとは言えないですよね。

日本料理の美学は、おいしさから一歩引いたところにある

 おいしさは追いかければあるものだと思いがちですが、実は日本料理のおいしさは、そこから一歩引いたところにあるのです。だしを繊細に取ることによって、少しの塩でおいしくさせることが日本料理の美学です。これは日本人が古くから感覚的に愛してきたものだと思いますし、現代でもごく自然にそれをおいしいと感じていると思います。私の店には海外のお客さまも多くいらっしゃいますが、どんなお客さまに対してもこの味を変えることはありません。お客さまによっては薄いと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、それは“文化の洗礼”だと考えています。

 私たち日本人も30年前にイタリアに行けば、アルデンテのパスタを「固い」と感じたかもしれない。でも今ではそれがイタリアの食文化として日本でも広く受け入れられています。日本に初めて来た外国人が日本料理を食べて、薄いと感じた時、それをきっかけに日本文化を垣間見るか、見ないか。それはわかりませんが、私は本来あるべき日本料理の味を作り続けたいと思っています。日本の風土や歴史に根付き、日本人の感性とともに育まれてきた日本料理、私たち日本人がおいしいと感じる料理を、これからも作っていきます。

夏の終わりの鱧椀
初夏に旬を迎え、晩秋に再び旬を迎える鱧を、夏の名残、秋の気配とともに楽しむ椀物。繊細なだしにぽってりと肉厚な鱧、夏の冬瓜、秋の松茸などを合わせていただく。季節の香り・味わいとともにすっと体に沁み入るおいしさ。

Hiroyuki Kanda
1963年徳島県生まれ。大阪で日本料理の修業後、渡仏。パリの日本料理店で5年間料理長を務める。 1991年に帰国し、徳島の「青柳」、東京・赤坂の「basara」を経て、2004年、東京・元麻布に日本料理「かんだ」をオープン。『ミシュランガイド東京』で、2007年の創刊から2017年現在まで連続で三ツ星を獲得し続けている。

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河﨑志乃=取材、文 宇都木 章=撮影

本記事は雑誌料理王国278号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 278号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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