店を受け継ぐということ。「リストランテ カシーナ カナミッラ」


オーナーから店を受け継いだシェフ
残していきたいものを残す選択
リストランテ カシーナ カナミッラ ◉ 岡野健介さん

前オーナーの元でシェフとして務め、現在はオーナーシェフとなった岡野健介さん。 変えていくべき部分と、変えない部分を考えた末にあった、今の店の姿とは。

やるなら店を続けるし、やらないなら潰す

東京・中目黒の目黒川沿いに「カシーナ カナミッラ」はある。この店は以前、イタリア料理界では名を知られている、イタリア食文化研究家の長本和子さんがオーナーを務めていた。その長本さんから店を受け継いだのは、現在はオーナーシェフである岡野健介さんだ。長本さんがオーナーであった頃からシェフとして腕を振るっていた岡野さんだが、店を受け継ぐまでには、どんな経緯があったのだろうか。

「僕がまだイタリアにいる頃に、長本がイタリアまで来てくれて。『アニョロッティ・ダル・プリン』を食べた時に、これをスペシャリテにしてうちの店でシェフをやってくれないか、というお話をいただきました。同時に、その気があるならばそのままレストランをゆずってもいい、という打診もあったんです。とくに強制的な感じでもなく、その気があるならいいよ、くらいの感じでした。
もともと、イタリアへは長本を通じて修業に行っていましたし、長本の店で働くことに抵抗はありませんでした。理由は詳しくわかりませんが、その当時ですでに、僕がやらないならこの店を続けていく気はなかったようで、潰すか、僕がやるか、という話でしたね」

店を受け継ぐ時、とくにアドバイスはなかった

オーナーの長本さんに客がついていた店を受け継ぐのは、プレッシャーだったのではないかと思ったが、そう感じたことはないらしい。
「シェフになって3年目くらいまでは、受け継ぐつもり半分、別で独立するのも半分くらいに、可能性を広く持とうとしていました。どうしてもこの店でうまくやれないのであれば辞めようと。受け継ぐための準備はつねにしっかりしていたんですが、料理やスタッフなど、何かひとつでも欠けていたら、やっぱり店はスタートできなかったと思います」
そんな岡野さんを見てか、長本さんは店を渡す前の3年ほどは、ほとんど顔を出すことがなかったという。「店を受け継ぐにあたっては、とくにアドバイスはありませんでした。でも、あまり理解されないかもしれないんですが、長本はすごく先を見ているので、僕がまだ1、2年目の時に、先のことを見越して、キーワード的な言葉をぽんぽんって言ってきていて。それを理解するのは、2、3年後くらい、みたいなことはよくありました。これ、という言葉をすぐに思い出せるものではなくて、その場面がくると思い出すものなんです。

自信を失いそうな時に、必ず自分のことを
シェフとして認めてくれている人がいる。

シェフになって最初の1年目はまだ、イタリアから帰ってきたばかりの勢いだけでやっていけましたが、2、3年目くらいは、日本のレベルの高さとか、メニュー替えの早さだったりとか、そういったものにすごく苦しんでいました。そういう、自信を失いそうな時に、長本の言ったキーワードが出てきたんです。それに、必ず自分のことをシェフとして認めてくれている人、オーナーがいるというのは、すごく心の支えになりました。誰しもがそうだと思うんですけれど、大体雇われシェフから始まりますよね。これが、いきなり独立してオーナーだったら、自分で自分を認めてやっていくしかないので、キツかった時に、たぶん倒れてしまっていたと思います」
岡野さんは、とてもよい形で店を受け継いだと言う。 店も自分のこともよくわかっている人と、今でも連絡を取り合えるというのは、きっと何よりも心強いことなのではないだろうか。

アニョロッティ・ダル・プリン
前オーナーの長本さんが、当時、岡野さんが働いていたトリノまで来てオーダーしたという、今の店の始まりともいえるスペシャリテ。イタリア・ピエモンテの郷土料理で、牛、豚、ウサギなどが、薄いパスタに包まれている。

店の名前を残したことが、全員のプラスになった

岡野さんの場合、実際に受け継ぐタイミングはどのようにしてやってきたのだろうか。「いろいろな要素が全部一気に整って、もう引き継がないと無理だな、という瞬間がありました。スタッフも皆、5年かけて僕が面接をして、僕と一緒にやりたいと集まってきてくれた人ばかりで。でも、『長本さんのお店でしょ?』とほかへ行った時に言われることに、スタッフがすごくもどかしさを感じていた時があったんです。とはいえ、ここで築いた人間関係があるし、独立して店をゼロからスタートしたら、スタッフも減らさなければならないかもしれない。スタッフを減らすという選択肢は、僕にはなかったんです。なので、この店をそのまま受け継ぐという形を選びました」

とはいえ、まったくそのまま店を受け継ぐ、という訳ではなかった。店の内装を一新したのだ。
「前の内装でやっていた時、お客さまに、僕たちが作る料理と空間がマッチしない、と言われていたんです。自分たちで料理やサービスを少しずつ変えていって、世界観ができてきたことで、以前の店とのズレが生まれてきていたんですね。そのズレを解消するために、内装は変えることにしました。ただ、5年間やり続けてきて、この店のどこがよくてどこが悪いかというのは知り尽くしていたので、改装をするにあたっては、残すところは残して、修正をするようにしました。窓やカーテン、床の絨毯などは変えましたが、キッチンは以前のまま。そうしたことで、スムーズにリニューアルオープンができて、最初からすごく料理に集中することもできたと思います」

以前のエッセンスを残しつつ、自分たちなりに、
さらに時代に合わせてカスタマイズしていった。

ほかにも、元の店の要素をあえて残した部分がある。
「もとから、この店のロゴにはオリーブが入っていたんです。ロゴは変えたのですが、オリーブは残すことにしました。店のテーマカラーにもなっています。ヨーロッパではオリーブはすごく重要なものなので、これは大事に残したいなと。以前のエッセンスを残しつつ、自分たちなりに、さらに時代に合わせてカスタマイズしていったんです」残したいものは残し、時代に合わせてカスタマイズする。実は、店名も残すかどうか悩んだという。
「一度は、長本とも話し合いました。でも、自分を育ててくれた店を自分の手でなくすくらいなら、名前は残そうと。それに僕は、自分の店を持つことより、自分の料理をリストランテで出すことのほうが重要だったんです。結果的には店の名前を残したことで、自分だけではなく、スタッフや、お世話になってきた長本もよい具合に仕事ができるようになった。お客さまもリピートしてくださる方が増えて、全員のプラスになる、よりよい状態になったと思います」
受け継がれた店が、すべてによい形で変化した。うまく機能しているのは、シェフからオーナーシェフになったからこそなのだろう。岡野さんはこれから、ここだからこそ食べられるような、日本のイタリア料理を発信していきたいという。この店は、店を継承するひとつの理想型を実現したのかもしれない。

text 澤 由香  photo 林 輝彦

本記事は雑誌料理王国2018年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2018年2月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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