「すきやばし次郎」小野ニ郎の「すし屋の心得」#1


すし屋の門を初めてたたいてから50年以上もの間、すしを握り続ける銀座「すきやばし次郎」の主、小野二郎さん。彼が求め続けるすしとは、職人の姿とは。二郎さんが「もっとも信頼していて話しやすい」と名をあげる料理評論家、山本益博さんが、その言葉を聞きだす新連載。ジャンルを超えてすべての料理人に伝えたい。

一、教わったことをやっているだけでは見習いと同じ

銀座「すきやばし次郎」小野二郎さんは、これまで数多くの雑誌、テレビの取材を受け、著書でもすし職人としてのあり方を語り、惜しみなく技術も披露してきた。その姿は、すし職人としてのひとつの完成形といえるかも知れない。しかし、料理評論家の山本益博さんは語る。「二郎さんは、まだまだ進化し続けている」――江戸前という伝統を背負わざるを得ない世界のなかで、二郎さんはそれでも、自分が納得いくすしを、時に変化させながら探し求め続けているのだ。その姿勢や言葉は、料理を扱うすべての人たちの胸に響くだろう。 今日もひと仕事を終え、二郎さんがほっとひと息ついて語り始める。

一生現役でいたいとは思っていましたが、65歳くらいまで握れればいいな、と。そろそろ(引退)かな、と思ったら、「あれ? 今日は二郎さん見えないね」って言われるくらい、すーっといなくなる。そんな引き際を描いていました。でもね、なんだか知らないけど、いるんですよ、まだ。まわりがやめさせてくれないから(笑)。

ただ、70歳を超えたとき、ひとつの大きな出来事があったんです。狭心症で倒れちゃって。幸い、大事には至らなかったけれど、医者から「タバコを吸ったら終わりだよ」と言われたから、以来、タバコは1本も吸ってない。吸わなくなって変わったことは?と聞かれることはあるけど、味覚についても別に何も変わらなかったですね。そもそも、昔はタバコ吸っていたといっても、ひと口吸ってやめていましたから。本当に、一服だけ。手に煙の臭いがつくのが嫌だったんでね。仕事中は一切吸わなかったですよ。

私の節目の出来事というと、それくらいですかね。でも、そんなことがあっても、何も変わりません。すしを握るスピードもほとんど昔のままですよ。私たちの仕事はね、手が動かないと終わりなわけです。60歳になるとどうしても鈍くなると思っていたから、絶えず、手を動かそう、動かそうとは意識していました。それがよかったんでしょう。ただ、昔は絶対に手のひらにごはん粒が付かなかったけれど、最近、たまにほんの少し付くことがある。手が乾いちゃうんですかね。それだけは、どうしようもないようです(笑)。

つい最近、エビの置き方を変えた。ミソのある側を向こうに。 手前を持ち、口に入れたときにミソのうま味を最初に感じてもらうためだ。

受け継ぐだけではなく考えて、変化させる

私は小さい頃から負けず嫌いでしてね。いつも上のものを、どこにも負けないものをめざしていた。この考えがないと、何をやっても駄目だと思いますよ。人と同じことをしたくない、という姿勢も、きっと負けず嫌いからきているんでしょう。

職人というと、昔からの伝統を受け継ぐものだと考えている人は多いですが、それは違うと思うんです。だって、人と同じものを作っていたら、見習いと同じじゃないですか。日本という国は、教わったことをやっていれば食べていけるので、個性はいらない。ましてすし屋は江戸時代からの仕事ですからね。すしの種類もだんだん増えてきて、もうこれ以上は何もできないよ、っていう考え方がずっとあった。でも、私はそんなことはないと思っていた。江戸前の代表的なネタであるコハダに対してだって、親方から教わったことを思い返しながら「まだおいしくなれる、まだおいしくなれる」って考えていたもの。

実は今日もね、うちの若いもんがまかないでカツオのアラを煮てきたんだけど、「これじゃ駄目だ」って言ってやったの。カツオの出始めのね、脂が薄いときと同じ味をつけてきたわけです。今はカツオに脂がのっているわけだから、ちょっと濃い目の味をつけなくちゃ。カツオの味が変わっているのだから、それに対応していかなくてはいけない。何も、奇をてらったことをしろと言っているわけじゃなく、当たり前のように思えても考えろって言ってる。それだけなんです。

同じことが、コハダにも言えるわけです。コハダって見極めが一番むずかしいんです。握りの横綱といってもいいでしょう。大きい小さい、脂がのっているのっていないによって、酢加減が全部違ってくる。コハダをひと括りにしてすべてを同じように「何分塩につけて何分酢で洗って何分酢に浸ける」って機械的に決めたら、さっきのまかないと同じですよ。特に天然ものはね、一尾一尾みごとに個性がある。さらに小さなシンコはもっとすごいですよ。100枚200枚をそれぞれ秒単位で変えて仕事しますからね。昔はおおざっぱに「保存のために酢で締めちまえ」ですんだんでしょうけれど、時代が変わりましたからね。今のお客さまの好みにあった、最高のコハダの味っていうものがあるんですよ。それをお出しすることが喜びです。サバだっておんなじです。サバというのは塩と酢で締めてこそ味が一体化してうまくなる魚ですからね、サバの大きさを見極め、様子を見ながらジリジリと締めていく。2日締めるものもあれば、3日かかるものもある。時期になると、私は毎朝食べてみて、この味なら、と思って出すタイミングを確かめるんです。

力の弱い魚こそかわいがっておいしく食べてもらう

いい鮮度のものが手に入るようになったということで、イワシやアジを生で食べてもらえるようになったのはうれしいことです。最高のイワシを生で握るなんて、うちくらいじゃないですかね。「下衆の魚だ」といって扱わない店もあるようですが、それは勉強不足だと思う。脂ののった極上のイワシはきれいだし、いい状態で食べれば、本当にうまいんですよ。

ただ、とにかく足が速い魚ですからね。夜まで鮮度を落とさないようにしなくちゃいけない。朝、大急ぎで仕込みをして特別な氷蔵庫で保存。うまく保管できなかったら、昼でやめてしまうこともある。それでいてお金がとれない魚だから、困ったヤツなんですけどね。でも、だからこそかわいい。イワシやアジのように力の弱い魚を大事に大事にかわいがって、お客さんに喜んでいただく。鮮度を落とさないようにするなんて、一見、当たり前で簡単そうに思えるから、もっとも評価されにくい仕事でもあるでしょう。でも、そうした見えない仕事をして喜んでいただくことが、すし屋のおもしろさじゃないですかね。

 ところで、イワシにしてもアジにしても、ネタの上にネギやショウガを置く人がいますね。見た目がきれいだから、と言われているようですが、うちではそれをやらないんです。だって、口に入れたとき、最初にショウガが当たるじゃないですか。大変な思いをして鮮度を保ち、繊細な味や香りを生かした素材ですよ、その持ち味をショウガでかき消されちゃうんじゃ、冗談じゃない。マグロやイカの上にワサビを置いて握りますか? それと同じ。うちではシャリとネタの間にショウガをかませてから握るんです。ただ、これが大変。ショウガは水気を含んでいるので、シャリとネタがすべってしまいますからね。でも、その大変さを補うのが技術であり、そのために技術を得るんです。本当の「修業」をした人ならできるはずです。

 でも、82歳になっても「どうしたらおいしくなるか」って毎日考えているわけですから、もしかしたら、コハダにしてもイワシやアジにしても、明日になったら変わっているかもしれないですよ。考えるって楽しいことです。たとえ修業中でも、自分が主だったら、とイメージしながら仕事をすれば、独立したときにかならず成功します。独立したら考えようなんて人は、独立しても考えないんです。繰り返しますが、修業で学んだことは、基礎であって自分の仕事ではないんです。私はね、つい先日、エビの置き方を変えました。最初にエビミソが口の中に入るようにしたんです。これも、また変えるかも知れないですけどね。

 そうそう、この間、健康診断に出かけたら、血管年齢は47歳、肉体年齢は60歳と言われました。山本(益博)さん曰く、60歳は職人がもっとも円熟しているときだって。もしかして、私はそれが今なのかも知れません(笑)

小肌

塩と酢で締めることで持ち味を発揮する握りの華。江戸前では一番古く、すしとして完成されてはいるが、微妙な締め加減によって味は大きく変化する。コハダ一尾一尾の個性を読む力も試され、「職人の力がわかるネタ」といわれる所以だ。

完成されているが変化もする。それがコハダの凄いところ、怖いところ。

酢洗いしたコハダを大小に分けてざるにあげる。

とにかく足が速いので、朝一番に大急ぎでワタをとり、丁寧に塩水で洗ってから冷やす。この際、冷蔵庫ではなく適した湿度が保てる特殊な氷蔵庫で保管。高い料金はいただけないのに手がかかる。しかしそれだけ思いはこもる。ショウガをかませて。

手のかかる大衆魚。脂ののった極上のイワシはほれぼれするほど美しい。

鮮度が命。注文があってから手開きして握る。

三枚におろしたサバに塩をしてから3時間ほどおき、そのあと酢でしっかりと締める。大きさや脂ののり具合を見極めながら、2~3日間漬けたものを握る。一定時間寝かせるほうが、脂ののったサバの持ち味を引き出せる。

丸々と太ったサバを厳選。脂ののりを確かめつつ塩と酢で締めて寝かせる。

脂ののりを確認しながら、まずは身が隠れるほど塩をする。

昔は酢締めにしたが、鮮度のよいものが手に入る今は生で握る。汁気を含んだショウガを挟むので、ネタとシャリがすべって握りにくい。だが、これをうまく握ることが職人の腕のみせどころ。旬は夏から秋。

光りものだが、繊細な甘みと香りを生かすには、塩や酢に通すよりは生がいい。

余分な身を付けないようにゼンゴをそぎとり三枚におろす。下ごしらえは丁寧に。

山本益博 監修、管洋志 撮影

本記事は雑誌料理王国第203号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第203号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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