【時代を築いた名店2】洋館クレッセントに漂う 至上のエレガンス


「西洋美術と美食の出会い」をめざしたクレッセントは、現代の鹿鳴館と呼ばれた。

東京・芝公園のレストラン「クレッセント」は昭和22(1947)年、古美術商「三日月」の店舗として建てられた。

昭和32(57)年に木造2階建てに改築され、レストランとしてスタートする。オーナーの石黒孝次郎は西洋美術の専門家で、日赤創設者の忠直を祖父に、元農林大臣・忠篤を父にもつ。石黒家は代々宮中に参内して、会食に呼ばれていた旧家でもあった。石黒は旧華族、政財界人、外交官、文化人などの華麗な人脈を持っていたのだ。また、初代の料理長は川瀬勝博。川瀬の師匠は、銀座「花の木」の店主で、吉田茂元首相の官邸料理人を務めていたこともある志度藤雄だ。川瀬は志度の片腕で、名店「東洋軒」の料理長でもあった。川瀬の料理は食通たちをうならせ、のちに「現代の鹿鳴館」と呼ばれる社交の場として発展していくのである。

石黒がめざしていたのは「西洋美術と美食の出会い」である。その理想を実現すべく、昭和43(68)年に改築を行う。これが地下2階・地上4階、現在のクレッセントの建物だ。後期ヴィクトリア朝の建築様式を取り入れた、どっしりと風格のある外観。一歩、中に足を踏み入れるとシャンデリアが輝き、コレクションである西洋骨董がさりげなく置かれている。個室はそれぞれバロック風、19世紀末の北欧様式、オランダ風と異なるスタイルを持つ。石黒のこだわりを反映して、どれもが本物。昭和44(69)年12月10日付けの「サンケイスポーツ」紙は「上流というものを味わうには、ここほど適切な場所はない」と書いている。「定食は3000円」。ちなみに同じ紙面に「東京プリンスホテルにオープンした中華スタイルのスナック」のチャーハンの値段は300円とある。

日本の良さを失わない国際化。和素材を使ったフレンチ

昭和40年頃のメニューは「蝸牛(かたつむり)の洋酒焙焼ブルゴーニュ風」、「家鴨の洋酒蒸焼オレンジ風味」、「特製フィレ肉焙焼シャンピニオンソースかけ」など。「正統的フランス料理でありつつ、日本の良さを失わない国際化。日本的に工夫された日本のフランス料理」をめざしていた。そのため、料理人やマネージャーをフランスなどで研修させるいっぽう、週一回、料理長以下全員で国産素材を使ったメニューの開発を行っていたという。その成果のひとつが「伊勢海老のチーズクリーム焙焼」だ。結婚式やお見合い、古希のお祝いなど特別な日の会食に使われることも多かったそうだ。フランス料理といえども、伊勢海老などの縁起物をメニューに加えると、喜ばれたに違いない。

96年、現オーナーに替わり、外観はそのままに耐震工いそがいたかし事など内部を大改装した。4代目料理長は磯谷卓が務める。フランス、スイスで10年間修業し、帰国後現職についたベテランである。


中島久枝 文、闍橋栄一 写真

本記事は雑誌料理王国第165号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第165号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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