【時代を築いた名店1】アピシウスに受け継がれた伝説のメニュー


初代総料理長・高橋徳男と二代目・小林定が生んだ創作、海亀のコンソメスープと牛肉の半生ステーキ。

日本がバブル景気を迎えつつあった1983年、「世界一のレストランをつくる」という高い志のもと、有楽町にオープンしたのが「アピシウス」だ。以来、同店は25年間にわたり日本の正統派フランス料理店として不動の地位を気づいてきた。

同店を創業したのは、自動販売機のオペレーター、アペックスのオーナーである故・森一さん。開業にあたり、初代総料理長の高橋徳男さんとともに招かれた現総料理長の小林定(さたむ)さんによると、森さんは「世界中のおいしいものを食べ尽くした男」だった。世界中の旅先から、こんなおいしいものがあったとクジャクやムースの肉など、様々な食材を厨房宛に送ってきた。食に対する思いには並々ならぬものがあったのだ。

その森さんが、もっとも大切にしたのが、「本物」を追求すること。当時は手に入りにくかったジビエなどをまかなうために北海道に牧場を造ったり、野生のキノコを求めてバンクーバーやシアトルまで小林さんに買い付けに行かせるなど、エピソードは枚挙にいとまがない。さらに、口の肥えたお客を満足させようと、スペシャリテのウミガメのスープのように、「アピシウス」でなければ味わえない食材の調達にも力を入れた。

歴代料理長に受け継がれる創業者の熱い思い

こうした森さんの熱い思いを具現化した料理のひとつが、創業時から提供している「小笠原産の海亀のコンソメスープ」。希少な小笠原産の青ウミガメは年間捕獲枠が決まっているが、スポーツフィッシングもよくした趣味人の森さんならではの独自のルートで、その1割、年間12頭を同店で確保することができたのだ。記念すべき1頭目は150キロの大きさがあったが、解体せずにそのまま小笠原から運んだ。大人5〜6人で厨房までやっと担ぎ入れるほどの大騒ぎだったという。現地ではとれたての肉をそのままステーキで豪快に食べるのだが、丸一日かけて東京まで輸送してくると独特の青臭みが出てしまう。初めて扱う食材だけに、当時の総料理長の高橋さんもレシピには苦労したという。そして試行錯誤の末にたどり着いた最上の調理法がウミガメの濃厚なコラーゲンを生かしたスープだった。しかし、ミルポワにニンジンを加えるとコラーゲンが損なわれるなど、思いがけない出来事もあった。

いっぽう、ロシア料理をもとにした「ビトーク」は土台のレシピを高橋さんがつくり、小林さんが総料理長就任後に完成させてグランドメニューに加えた一品。最高級の和牛はサシが多く、ステーキにするとせっかくの脂が抜けてしまう。そこで、和牛の脂のうま味を最大限にいかそうとたどりついたのがこの料理だ。贅沢なことにすてーきにする和牛ロースを挽いてハンバーグのようにまとめ、芯は生の状態で表面だけこんがりと焼いてうま味を閉じ込めた。付け合せの米が和牛の脂肪分と相性がよく、店の歴史とともに歳月を重ねてきた顧客の口にもよく合う。食材と真剣に向かい合い、美味しさを追求する森さんの情熱は、時を経ても代々の総料理長にしっかりと継承されているのだ。

清水敏江 文、高橋栄 写真

本記事は雑誌料理王国第209号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第209号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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