グランメゾンで働き続ける理由。「アピシウス」森山順一さん


組織力の強さは、みんなでサポートし合えること

創業1983年、実に30年以上の歴史があるフランス料理店「アピシウス」は、日本に数十軒しかないと言われるグランメゾンのひとつに数えられる。その店で、スーシェフとして活躍しているのが森山順一さんだ。

今年で勤続年数は18年を数えるというが、大きな組織に属し、長く働いて店作りに貢献する理由は何なのだろうか。森山さんが考える組織の中で働くメリットを聞いた。

まず挙げてくれたのは、「料理人同士が、さまざまな面でサポートやカバーができる」こと。たとえば、独立開業してひとりで店を回していると、体調を崩すことはイコール店を開けられないことになってしまう。それは非常にシビアで、リスクも伴う。しかし、組織で動かしていれば、まわりの人間がカバーに入ることができる。これは、日々の業務でもしかりだ。

「『アピシウス』では、中堅の料理人がまかないを作ります。11時と夕方の4時の1日2回ですが、その時間に間に合うか間に合わないかを、まわりの料理人たちはよく見ていて、もし間に合わなそうだった場合は、手を貸します。僕も若い頃、時間までに準備が整わなくて、よく先輩に助けてもらいました。本来は間に合わせなければいけないので、安易に手を貸すことはありませんが、時間に間に合わないと、その後の作業すべてに影響を及ぼします。それを回避できるのは、チームのよさだと思います」

また、「料理のことだけに集中できる」、これも組織に属しているからこそのメリットである。個人で開業するとなると、経営のノウハウなど、料理以外のことも学ぶ必要がある。しかし、店に勤めていると、そういった仕事はほかの人が担ってくれるので、その分料理人への負担は軽くなる。つまり、自分の好きなことに、とことん集中することができるのだ。

さらに、ひとりで考えていると煮詰まってしまったり、アイデアが枯渇してしまったりしがちだが、大勢で考えれば、その分アイデアがたくさん出る。ひとつのものを作り上げるのに、知恵は多い方がいい。ブラッシュアップできるともいえる。

実は「アピシウス」には、勤続年数が15年を超える料理人が、料理長の岩元学さんと森山さんを含め4人もいる。ゆえに、勤続年数が長い料理人が多くいる店ならではのメリットもあるという。それは、何か物事を伝えるのにも、まるで長年連れ添った夫婦のように「あうんの呼吸」で通じあえること。長く同じ時を過ごしていれば、話も早い。そういう関係を築くことで店に安定感が生まれ、結果的に客からの信頼にもつながっている。

「アピシウス」にいるからこそ体験できることがある

組織の中で働くことのメリットは多々あれど、ほかではない、「アピシウスで働くこと」ならではのメリットもあるのではないだろうか。それについて聞くと、森山さんはこんな風に答えてくれた。

「『アピシウス』で扱う食材は、どれも最高級の品質のものです。また、『アピシウス』にいなければ使えない、グランメゾンならではの特別な高級食材もあります。こうしたものを使えること、これはここで働いている最大のメリットですね。それにより、目が養われ、目利きできる力が身につきます。それから、長年培ってきた〝伝統の味と技〟を教えてもらえることも、『アピシウス』ならではのよさ。たとえば、3日かけて引いているコンソメ。そういった技を、レシピだけではなく身をもって学べるのは、誰もが体験できることではないですから、とても貴重なことだと思います」

さらに、スタッフでフランスへ研修旅行に行くことがたびたびあるそうで、本場の味や食材と対面できる機会に恵まれることも有意義だという。その一例として、2008年に岩元シェフとともに、フランスの南部にある都市カオールを訪れ、トリュフ採り名人として知られるペベールさんの林に連れて行ってもらったときのことを話してくれた。「トリュフといえば、業者が持ってくる土をきれいにはらったものしか見たことがなかったので、ペベールさんが見せてくれた、掘りたての、まだ土がついたままの状態のトリュフを見て衝撃を受けましたね。普段見られないものを目にして、生産者さんのトリュフにかける思いを知ることができ、とても貴重な体験でした。それ以降、僕の中でのトリュフにかける思いが、がらりと変わりましたから」

重厚感のある設えはクラシックな雰囲気で、店の歴史を感じさせる。数々の名画が飾られた店内は、さながら美術館のようだと客から評判が高い。店の象徴とな っている果物のオーナメントは、2007年の改装の際にオーナーのこだわりにより取り入れたものであり、リンゴのほか、5つの果物が各個室に置かれている。

長く同じ店で働くことは、ときにデメリットにもなる

多くのメリットを挙げてくれた森山さんだが、デメリットについては、どう考えているのだろうか。

そのひとつとして彼が挙げたのが、「年長者がたくさんいると、若手が育ちにくい」ということだ。年長者がいることは決して悪い面ばかりでなく、知識の継承ができるなどのメリットもある。しかし、上の者が席を譲らないと空席は生まれない。すると、若手はいつまでたっても新しい仕事を覚えることができず、若手が育たないというわけだ。

また、長年同じメンバーで働くことは、安定感があるという一方で、裏を返せばマンネリが生じてしまうというデメリットも持ち合わせる。そうなると、よりよくしようとする向上心や覇気が失われがちだ。「そうならないように、つねにアンテナを張ってセンスを磨くように心がけている」という森山さん。

「絵を見に行ったり、音楽を聴いたりもそうですが、違うジャンルの友人と会うことも、僕にとっては刺激をもらえるいい機会です。同郷には、元料理人で今は陶芸家をしている者がいたり、地鶏の販売業者をしたりしている者がいるので、そうやってがんばっている友人と会うことで、刺激を受け、違う視点を発見できます」

独立開業ではなく、組織の中で長く働くわけ

ところで、森山さん自身は、将来像をどう描いているのか。また、今「アピシウス」にいる理由は何なのだろうか。

「ここまで『アピシウス』で働いてきたのだから、この店でトップを目指すのもひとつの選択だと思う気持ちと、独立開業して自分の城を持ちたいと思う気持ちと、正直半々くらいですね」

しかし、「まだまだここで勉強したいことがある」と森山さん。伝統の料理だけでなく、創業当初には使っていなかった新しい食材を使うこともあり、「食材は追求していくと奥が深いから、新しい食材と向き合うのは楽しい」と語る。たとえば、白トリュフやハモは、ここ2~3年で使いはじめた食材である。

とはいえ、グランメゾンとしての地位を持つ「アピシウス」のような店は、伝統と革新のバランスが難しいところである。変えることも必要だが、変わりすぎないことも重要なファクターだからだ。

今回、「アピシウス」のスペシャリテとして紹介してもらった「雲丹とキャビア、カリフラワーのムース コンソメゼリー寄せ」は、初代料理長だった高橋徳男氏の頃からある名物料理。味もレシピも創業当時から変わっておらず、代々受け継いでいるそうだ。これは、変えてはいけないものの中でも最たるものといえるだろう。

今後については“未定”と話す森山さんだが、これからのアピシウスのあるべき姿については、こんなふうに考えている。

「これまで代々のシェフが作ってきた伝統は守りつつ、新しいエスプリを加えていきたいですね。初めて来店されたお客様に“また来たい”と思ってもらうには、ひと皿でいかにインパクトを与えられるかにかかっていると僕は考えています。品数がたくさんあっても、結局何を食べたか覚えてないというのではなく『印象深いひと皿』を作りたいです」

雲丹とキャビア、カリフラワーのムース コンソメゼリー寄せ
ウニとキャビアのムースをカリフラワーのムースで覆った上に、コンソメがかけられている。コンソメの濃度の調整に技が必要で、温めたり冷ましたりを繰り返して、絶妙な濃度に仕上げる。アピシウスの名物料理だ。

置かれている環境に感謝をし、若い力を磨いてほしい

現在、スーシェフという立場の森山さん。シェフの仕事をサポートしつつ、若手の育成にも気を配らなければならない。

「今は情報が溢れているので、知識だけならば、すぐに手に入れられるかもしれません。しかし、料理は実際に手を動かさないとうまくならない。数をこなしてはじめて覚えられるものです。調理に関するすべての行為は、経験によって培われるものだと思います。僕が手取り足取りすべてを教えることはありませんが、状況を見つつ、要所要所を教えています」

若手が技術を学ぶ場としては、日々の業務のほかに、まかない作りもいい機会だという。そういう時にこそ、魚や鳥をさばく練習をしてほしいと語る。たとえば鳥なら、どんな鳥でもだいたい骨格が同じなので、ひとつきちんと習得すれば応用がきく。いきなり本番ではなく、こういったときに経験を重ねることで、本番に生かせるのだ。

また、「自分の置かれている状況がいかに恵まれているのかを自覚すべき」とも。最高級の食材があるのが当たり前の状況にいると、それに慣れ過ぎてしまい、貴重な経験をしているという感覚を失いがちである。「せっかくそんな恵まれた環境にいるのならば、目、鼻、舌すべてを使って吸収すべき」と話す。森山さん自身も、そうして、腕を磨いてきたのだろう。そんな風に五感をフル活動させる場は、仕入れの時にもやってくる。

「築地に買い出しに行くのは若手の仕事なんですが、その時に、決められた店に行って言われた食材を買ってくるだけではなく、ほかの店も見て回っていろいろな食材も見てきてほしい。そうすることで、新しい食材に出合ったり、旬が見えてきたりしますからね」
 最後に、若手の料理人に対し、当たり前だが忘れてはならないアドバイスを送ってくれた。

「料理人は何より体が資本。体調管理をしっかりして、毎日、明日も働ける体に整えることを肝に銘じてほしいです」

Junichi Moriyama
高校卒業後、故郷の宮崎県にある、シーガイアホテル系列の北郷フェニックスリゾート(現在のホテルジェイズ日南リゾート)にて約2年半働く。その後、知人の紹介により1998年に「アピシウス」に入社し、地道に経験を積む。 2013年にスーシェフの地位につき、岩元学シェフの右腕として活躍している。


荒巻洋子=取材、文 林輝彦=撮影

本記事は雑誌料理王国2016年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2016年10月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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