東京にそのままパリを持ち込んだ伝説のレストラン「マキシム・ド・パリ」とは?


料理もサービスも雰囲気もパリそのまま 夜ごとセレブが集う大人の社交場に

 東京オリンピックを契機に、続々とホテルが誕生した1960年代前半。巷では、「帝国ホテル」の村上信夫料理長と「ホテルオークラ」の小野正吉料理長という2人のスターシェフが、テレビや雑誌で大車輪の活躍をしていた。

 時代は高度成長期。好調な産業は飛躍的に業績を伸ばし、国民の間にも高揚感が満ちていた。

 そんななか、1966(昭和41)年10月31日、その〝事件〟は起きた。東京・銀座の数寄屋橋交差点にあるソニービルの地下3階に、「マキシム・ド・パリ」がオープンしたのだ。「大人の社交場をつくりたい」という、ソニーの盛田昭夫副社長(当時)の熱い思いが結実したのだった。


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山内章子=取材、文 依田佳子=撮影 

本記事は雑誌料理王国228号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は228号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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